3
「お、お兄さん、だあれ? 村の人?」
「私はこの山の神だよ。
番も深淵も知らない言葉だったが、キリスト教の幼稚園に通っていた私には〝神〟はお馴染みのものだった。
「かみ? お兄さん、神様なの?」
彼は頷き、言った。
「咲菜子、お前は私の番となるべくこの世に生を受けたのだよ。だが、まだ幼すぎるな。大人になるまで待つとしよう」
「ふーん……? クリスマスにはプレゼント贈ってくれる?」
「聞いているか? 大人になったら迎えに行く。それまでにたくさん学んで賢くおなり」
「学んで……? やだー、おべんきょ嫌〜い」
「じゃあ何が好きなのだ?」
「食べること! 私ねえ、好き嫌いないんだぁ。何でももりもり食べれるのは凄いことなんだよ。お母さんに褒めてもらえるよ」
「そうかそうか……では、たんと食べて大きくおなり」
「わかった。お兄さんは? 私が大人になるまで何して待つの?」
「神としての務めを果たすつもりだ」
「え、ここで? 一人ぼっちで?」
幼い私の問いに彼は頷いた。
「寂しくないの?」
「……寂しいよ」
ここで会話が途切れた。
彼に手を引かれて、堂宇から少し歩いた。
「山には入るなと言われなかったか?」
「言われた。どーしよ、叱られる……」
「叱られないよ。みんな心配している。早くお帰り」
「道わかんない」
「大丈夫」
彼は微笑んで私の頭を撫でた。
父や母、祖母のように近しい者以外からそうされるのは苦手だったが、不思議と不快感や嫌悪感を感じなかった。なんとなく照れ臭くなり、私は別の話題を振った。
「お兄さん、そんなカッコで寒くないの?」
白い息を吐きながら見上げると、彼は静かに微笑んだだけで何も答えなかった。
金の瞳が薄暗い森の中で煌めく様を、ずっと見ていたい。そう思った。
――本当にキレイな人だ……。
見惚れる私の傍らで、彼はそこにあった木から葉を一枚取り息を吹きかけた。すると、ザアッと強い風が吹き抜けた。葉は矢のように飛んでいき、そこに道ができた。雪が舞い上がってキラキラと輝いて、とても幻想的だった。
「ここから真っ直ぐ進むと村に戻れる。もう来たらだめだぞ。ここでなくとも、深淵はいつもお前のすぐ近くにある。安易に
言葉の意味はよくわからなかったが、良くないものを指していることはわかった。
――きっと、あの女の子のことだ。
「あの子、私のものをちょうだいって言ってた。飴と取り替えっこだって。でもさ、名前とかお母さんとか赤ちゃんとか……無理ばっか言うんだよ。だから、だめって言ったの。怒ってるかな……」
「咲菜子は大丈夫だ。とにかく今は帰りなさい。あまりここに長居すべきじゃない」
さあ帰れと促し、金目の青年は最後にこう言った。
「フミナによろしくな」
「え、フミナって……ねえ、また会える?」
彼は答えず、ただ微笑んだ。どこか寂しげなその笑顔を見て、なぜかとても悲しくなった。
涙の雫が地面に落ちる前に、私はまた意識を失った。
気がつくと、私は田んぼの真ん中に突っ立っていた。
大勢が自分を呼ぶ声があちらこちらから聞こえてきたので「ここだよお」と返事をすると、村の大人達が喫驚と歓喜の声を上げながら駆け寄ってきた。
「良かった、本当に良かった……! 三日もどこに行っとったとね」
祖母が一番に私を抱き締めてくれた。
「みっか……?」
「咲菜ちゃん、ごめんねえ……庭でコロと遊んどると思っとったとよ。お昼ご飯ができたけん呼びに行ったら、おらんごとなっとって……」
「まさか、裏の山には、山には行っとらんやろうね?」
祖母の弟夫婦に交互に訊ねられ、私はまごついた。
「ご、ごめんなさい」
途端、大人達の顔色が変わった。
「やけん、目ば離したらいかんて言うたやろうが!」
「あんたも同じやろうもん!」
罵り合いを始めた弟夫婦を祖母が制止した。その顔は険しかったものの、声は落ち着いていた。
「他には? 怒らんけん、何があったか正直に言うてんしゃい」
「あ、ええと……女の子が、お祭り行こうって……でも、男の人が助けてくれたの。目が金色のイケメンさん。フミナによろしくって」
それを聞いた祖母は一瞬はっと目を見開き、大きく息を吐いた。
周りの村人達は一様に顔を引き攣らせ「こりゃ神隠しばい」「あの山に棲んどっとは人喰い鬼ばい」「
自分が何かとてつもないことをしでかした気がして、私は必死に謝った。
「おばあちゃん、ごめんなさい。もう二度としない。山にはもう行かないから、許して」
「いいんよ、咲菜子。ばあちゃんこそごめんね」
叱られると思っていたのに、祖母は優しく抱き締めてくれた。
「お父さんとお母さんに言う?」
「言わんよ。言わんけん、安心しんしゃい」
そこに祖母の弟が鳴動する携帯電話を持ってきた。
「フミナ姉ちゃん、電話……
岳英は父の名前だ。
祖母が「もしもし」と応答した時、強い風が吹いた。何と言っているか聞き取れなかった。しかし、その表情から良くない報せだとわかった。
その日、私は母と弟を失った。
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