――コーヒーとケーキ、もったいなかったな……てか、さっきスマホ鳴ったよね。

 バッグの中からスマートフォンを取り出すと、メッセージが一件届いていた。

『オムライス食べたいな』

 何とも脳天気なメッセージに救われた気がして、クスッと笑ってしまう。

 送り主は、私の恋人だ。

 恋人で……いいはずだ、たぶん。


 彼との出会いは今年の夏――猛暑の中、栄養ドリンクのサンプル配りのアルバイトをしていた時だった。暑さでどうかなりそうで、さっさと割り当てられたドリンクを配って帰りたかった。

――霊はいいなあ、死んでるから暑さとか感じないんだろうな。

 行き交う生者に紛れてうじゃうじゃと彷徨う死者の霊を横目に見ながら、ため息まじりに息を吐いた。

 この頃の私は妙に生きるのが面倒で、漠然とした希死念慮に捉われていた。

 虚ろな顔でドリンクを配っていると、ぐう、と腹が鳴った。

――生きてたらお腹すくし、食べるにはお金が要るし、本当に面倒くさい……。

「ダイジョブ?」

 突然、生きた人間から声をかけられた。

「え」

「これ貸したげる。熱中症にならないように、ね」

 携帯用の小さな扇風機を差し出してくれたのは、同じドリンク配りの男性スタッフだった。明るい茶髪が印象的な私と同じくらいの背丈の人だった。馴れ馴れしいとさえ思える態度と言葉遣いだったが、気にならなかった。だって、この世界で誰が私が熱中症にならないか心配してくれる? きっと九州の山奥に住むおばあちゃんと、この彼くらいだ。

 優しい言葉なんていつぶりにかけて貰えたか、記憶を辿っても思い出せなかった。ミニ扇風機を受け取る時に触れた彼の手は私よりも大きくて少しカサついていた。誰かと手が触れ合うのだっていつぶりかわからなかった。不覚にも、ぽろりと涙をこぼしてしまった。

「えっ……何、どしたの? 俺、余計なことしちゃったかな」

「ちが、違うんです。私……」

 涙がこんなに簡単に出てしまうなんて、恥ずかしくて死にそうだった。

「名前は?」

「加賀利…です。加賀利咲菜子」

「咲菜子ちゃんね。俺、三ヶ瀬博生みつがせひろお。さっさと終わらせてメシでも行かない?」

 彼の笑顔はどこかあどけなくて、人と接することに臆病になっていた私の心を溶かすには十分過ぎるほど温かかった。

 それからの展開は、とても早かった。

 帰りに大手チェーンのファミレスで夕食を取りながら、互いのことを話した。彼とは同い年で、同じアニメが好きだった。恋愛ドラマよりもミステリや刑事ドラマが好きことなど、共通点がたくさんみつかった。食事の後は遅くまでゲームセンターで遊んで、気がつくと最終電車がなくなっていた。タクシー代がないと言う彼に、アパートに泊まっていってと自ら提案した。断られたらどうしようという不安がなかったわけではないが、彼はきっと断らない――そう確信させるだけの熱量を感じていた。

 博生は二つ返事で泊まることになった。一人暮らしの私の部屋には客用の布団もソファもない。だから一緒に寝た。当然のように、体を重ねた。

――軽い……私ってこういう子だったんだ。

 そう思いながらも後悔はしなかった。

 それから数ヶ月経った今、博生は私の部屋に入り浸りだ。家族との折り合いが良くないとのことで、実家には時々荷物を取りに帰る程度だ。あまり立ち入らな方がいい気がして、私から詳しく訊くことはしていない。彼に嫌われるのが怖いから。

 現在、博生は働いていない。彼曰く、パチンコとスロットで稼いでいるということだが、それが仕事と呼べるものなのか、どのくらいの収入があるのか私は知らない。家賃も水道光熱費も食費も全部、私が支払っている。私のアパートなんだから当然といえば当然なんだけど、やっぱりフリーターの身で二人分の生活費を賄うのはキツい。

 もし私に友達がいたら……恋人なんだから半分出してもらいなよってアドバイスしてもらえたりするのかな。

 残念ながら友達と呼べるような人は私にはいない。

 高校を卒業後、特に目的もなく上京して職を転々としているから――いや、他人との関係を築く能力――所謂コミュ力がほぼゼロに等しいからだ。

 けど、博生は恋人ってことでいいんだよね……?

 そんな不安がいつも付き纏う。


 だけど、ブロッコリーとミニトマトを添えたほかほかの黄色いオムライスを想像すると自然と幸せな気分になってきた。

――チキンライス、ムネ肉でいいかなあ。モモは高いし……でも、やっぱモモにしよう。喜ぶ顔見たいし。そうだ、アイスも買って帰ろう。

 足取り軽く、私はスーパーへと向かった。

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