【1】 加賀利咲菜子の章

1 いつもと違う朝①

 出勤途中に駅前の喫茶店で朝食を取るのが加賀利咲菜子かがりさなこの習慣であり、数少ない楽しみの一つだ。

 いつも窓側の一番端のカウンター席に座ることにしている。大抵の店のカウンターは一人当たりのスペースが六十センチほどだが、この店のカウンター席は百センチはいかないもののかなり幅広で圧迫感を感じない。誰かと肩と肩が触れたり目が合って気まずい思いをすることがないし、一番端ともなれば左側は壁だ。そして窓ガラスには店のロゴが貼ってあって外を歩く人からも顔を見られる心配もない。咲菜子のお気に入りの席だ。ここに座るために、自宅を出る時間を三十分早くしたくらいだ。

 今日もモーニングセットのプレートを持ち、意気揚々と席へと向かった咲菜子だったが、立ち止まり小さくため息をこぼした。

 先客がいた。この店に通い始めてもう半年になるが、初めて見る男性客だった。

 座っていてもわかるスタイルの良さに咲菜子は釘付けになった。

 引き締まった体躯にダークスーツ、すらりと長い脚はシューズのつま先まで美しい。横顔の額から鼻筋のラインが美しい。緩やかなウェーブのかかった黒髪もまた、艷やかで美しい。目を伏せてコーヒーを飲んでいるため、瞳が隠れていることが少々残念に思われた。きっと美しいはずだ。

――私、心の中で何回美しいって言った?

 苦笑しながら咲菜子は別の席に座った。

――あの席が一番落ち着くんだけど、朝からイケメン拝めたし……ま、いっか。

 のんきにコーヒーの湯気を吸い込み香りを楽しんで、一口目を口に含んだ。

 いつもならばボーッと窓の外を眺めるのだが、ここの席からはキッチンでサンドイッチを作ったりコーヒーを淹れるスタッフの慌ただしい姿、大型の壁掛けテレビなどが視界に入ってくる。テレビに流されているのは、朝のニュース番組だ。

――朝のニュース番組なんて、しばらく見てないなあ。

 自宅に住み着いている同居人が嫌がるので、朝の時間帯にテレビをつけることはない。朝食も、カチャカチャと音を立てると不機嫌になるのでこうして外で食べるようになった。

「ハァ……」

 思わずため息がこぼれた。

――別にいいんだけど。きっと前よりは、幸せだし。

 たぶん、と心の中で呟き、咲菜子はサンドイッチをほおばった。

『次のニュースです。本日未明、動画配信者の男性がF県K市の希玖ヶ丘きくがおかの私有地において配信中、首を吊った遺体を発見し、直後に倒れるという事件が起きました』

 そのニュースに咲菜子はサンドイッチを喉に詰まらせ咳き込んだ。

『男性は動画のライブ配信を行っている最中に遺体を発見、その後錯乱状態に陥り配信ができない状態になりました。動画を見ていた複数の視聴者から緊急通報が相次ぎ――』

 コーヒーカップを持つ手が震える。冷や汗とも脂汗ともつかぬものが背筋を伝い、指先から体が冷えていくのがわかる。

 落ち着こう、落ち着こうと自分に言い聞かせても、動悸と息苦しさが襲う。耳に水が入った時のような閉塞感に苛まれていると、誰かが後ろに来た。

「ゆっくり」

「え……?」

 涙目の咲菜子が振り返ると、例の席に座っていたダークスーツの男が立っていた。

「ゆっくり、吸って吐いて。大丈夫だ」

「……は、はい」

 彼は咲菜子の隣に座り、深呼吸するように促した。

 普段なら、他人に距離を詰められるとそれだけでストレスを感じるのに、全く不快に思わなかった。むしろ、体がじんわりと温まっていくような心地良さを覚えた。

 隣で自分に視線を注ぐ男の顔を、咲菜子はまじまじとみつめた。艶のある髪に健康的な肌、すっと通った鼻筋に薄い唇、長い睫毛に切れ長の瞳――咲菜子の考える美男の条件を揃えた容姿だ。何より印象的なのは、金色に輝く両の目だった。

「イケメンだ……!」

 思わず、声に出てしまった。

「あ、すす、すみませ、えっと……」

 慌てて取り繕う咲菜子に彼は「変わってないな」と微笑んだ。

「え?」

「前も同じことを言われた」

「ま、え……? だ、誰?」

「おお、完全に忘れてしまったか。さすが俺……」

 顎を撫でるような仕草をして、彼はほくそ笑んでいる。咲菜子はますますパニックに陥ったが、ここでスマートフォンのアラームが鳴った。電車に乗る時刻が迫っている。

「あの、え~と……そのっ、し、失礼します!」

 口癖になっているフィラーを連発して走り去る咲菜子の背中を見送りながら、男はまた笑みを浮かべた。

「思ったよりも元気そうだ」

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