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「えーと、そこの君……なんて名前だったっけ」
ああ、またか……。
普段はこちらから挨拶をしても無視をする職場の上司が声をかけてきた時点で、私は察した。
「
「君、次回の更新はなしね。理由は言わなくてもわかるよね。今日で終わりでもうちはいいよ。派遣の担当さんと相談してね」
「はい……」
居合わせた職員が一斉に私を見る。そして、小声でヒソヒソと話し出す。笑っている人もいる。居ても立っても居られなくなって、私は職場を飛び出した。
何もみんながいる所で言わなくてもいいのに……本当、意地が悪い。表向きは今日限りで退職するかの判断を委ねるところも。
だけど、クビになる理由はこの上司が言ったとおり言われなくてもわかっている。
ここは化粧品のコールセンターで、私は派遣社員。注文受付のオペレーターとして働いていた。お客様との話の最中、雑音混じりの声が聞こえて通話相手の声は聞き取れないことが多々あった。悪戯好きの、迷惑な霊の仕業だった。電話対応は相手の声が聞こえないと話にならない。雑音が入ると上司に訴えても録音した音声に雑音は入っていないと叱られる始末。そんなことが何回も続いて、ついにクレームに発展してしまった。
真面目に働こうとしてるのに。
悔し涙を必死で堪えながら帰りの電車に揺られた。
これで何度目だろ……霊障が原因で職を失うの。
カラオケボックスでのバイトの時は、大声で歌う霊の声に堪えられず自主的に辞めた。コンビニでバイトしていた時には、棚に陳列されている商品を床にバラ撒く霊の悪戯を止めようとしたのに、防犯カメラに映っていたのは私が近づいた直後に商品が床にぶちまけられる様子で、故意に汚損した人物としてクビになった。回転寿司屋の時はレーンに乗って遊ぶ人魂が――とにかく、まともに働くことができないのだ。
トボトボと改札を出た瞬間、私にコールセンターを紹介した派遣会社の担当社員から電話がかかってきた。
『困るなあ、社会人としてこういうの。座って喋るだけの誰にでもできる仕事なんですけどね〜。派遣先に迷惑をかけたとなると、更新なしと言われても仕方ないですね。強要はしませんが、行きづらいでしょ? 今日で契約終了にしときましょっか』
私に弁解する余地は与えられず、通話は一方的に終了した。
「はー……」
盛大に溜息を吐くと、その息は白かった。
季節は冬――キンと冷えた空気と済んだ空が昔のことを思い出させる。
冬は嫌いだ。
嫌なことは全部、冬に起こった。
「……あ」
ふわりと舞い降りてきた雪に思わず声が出た。
冬は嫌いなのに、雪を見ると胸が弾む。幼い頃、吹雪の中で出会った彼がもう一度現れて、奇跡を起こしてくれるんじゃないかと期待してしまうのだ。
霊なんて見えない、聞こえない私がバリバリ仕事をこなして素敵な家族、友人や恋人もいる華やかな人生――そんなに都合よくはいかないことくらい、知っているけれど。
寒いからか、頭が痛くなってきた。
クリスマスを間近に控え、帰り道に通る商店街は賑やかなムードに包まれている。こういうの、私には似合わない……相応しくない気がする。
だって私は――。
『不気味な子ね。幽霊が見える? 気を引くための嘘でしょ』
『あんたは他人を不幸にする人間なの』
『みーんな咲菜子のことキモいって言ってるよ』
何年も前に投げつけられた言葉は今も鋭いガラス片のように尖っていて、いつでも私の心を切り刻む。
何もかも忘れてしまいたい……。
「ちょっと、そこのあなた!」
沈んだ気分で歩いていると突然呼び止められた。顔を上げると見知らぬ中年の女性が二人、私に向けて満面の笑みを浮かべていた。
「今、幸せですか?」
「最近、笑えてますか?」
「はい……?」
「突然ごめんなさいね。あなたからよくないものを感じたので」
「私達、笑えてない方の救済活動をしているの」
自信に満ち溢れた表情で喋る女性達から半ば押し付けられる形で受け取ったリーフレットには〝一人で悩まないで! 心を磨いて笑顔で生きよう! 〜
「温かいお茶でもいかが? 何でも聞くわ。あなたとっても辛そう。私、困ってる人を見ると居ても立っても居られないの」
「あ、えっと……いいです。急ぐので」
小声で断るも、二人は執拗に「悪いオーラが見える」「肩が重いとか、あるんじゃない?」などと付き纏う。
いい加減にしてよ! と拒絶するほどの元気がなくて、俯いたまま歩くスピードを上げた。それでも二人はついて来る。
「少しずつでいいの、最初はみんな話すことさえ苦しいって言うのよ」
「きっと楽になるわ。あなたを助けたいの」
「……憑いてます」
低く言い放つと、二人組の勧誘はきょとんとした顔で私の次の言葉を待っている。
「よくないものが憑いてるのは、そっちです。白地に紺の葡萄柄の浴衣を着たおばあさんの霊、あなた達を恨めしそうに見てる。嘘っぱちの信仰だ、金返せって言ってます。名前は……山下スマ子さん」
名を告げると二人はサーッと青ざめた。
「そんな、どうして……」
怯えた顔でカチカチと歯を鳴らしている。その隙に私は全速力で駆け出した。
怖がらせて悪いけど、しつこいんだもん。おばあさんの霊は本当に彼女達に取り憑いていたし、嘘は言ってないから別にいいよね?
赤信号で立ち止まったが、彼女達はもう追いかけてはこなかった。
ただ、次がいた。
交差点の角地のビルの一階のショーウィンドウの中、流行りの服を着せられたマネキンがポーズを取っている。そして、それを物欲しそうな顔で眺める女子高生の霊が、私の真横にいる。
「ひ……っ」
思わず息を呑んだのは、彼女の腰から下がズタズタに引き裂かれていたからだ。この近くの高校の制服を着ているが、白のシャツは赤く染まり、顔も血にまみれている。足元に目をやると、花束やペットボトルのジュース、菓子類が置いてある。
交通事故の犠牲者――。
自分よりも年若い女の子の死に胸が痛んだ。しかし、同情は禁物だ。
霊達は見えている人間をみつけると寄ってくる。愚痴や恨みつらみを聞いて欲しい、中には世に出せなかったラブソングを歌ったり、自作の小説を朗読しだすものもいる。三百六十五日・四六時中、私は霊から解放されることがない。
「あれ、見えてる?」
そら来た。
「あれあれっ、聞こえてる? ねーねー、おーい」
覗き込んでくる血まみれの顔を悲鳴を上げそうになるが、なんとか堪えてバッグからスマホを取り出す。適当にネットニュースを表示させ、信号待ちをしているふりをする。青になったら猛ダッシュだ。
「ねーえ、見えてるでしょ〜?」
視線も声もすべて無視。そして、何事もなかったように振る舞う。
これが心霊や怪異の存在をキャッチしてしまう私の
普通に、ごく普通に生きたい。ささやかな望みだけど、叶う日はまだまだ遠そうだ。
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