クロメククリ ―加賀利咲菜子の心霊事件簿―
阿山晃弥
プロローグ 願いが叶うおまじない
――二〇〇八年夏。
「ねえねえ、これ知ってる? 願いが叶うおまじないだよ」
誰かが言った。
小学二年生だった私はクラスメートと体育館裏手の日陰にいた。別のクラスや学年の違う生徒達もいた。
その頃の公立の小学校では各教室に冷房設備がある方が珍しく、昼休みにはよくそこに涼みに行っていた。
周りのみんなが「何、何?」と興味を示したので、私も耳を傾けた。あっという間に人だかりができた。誰が話しているのか、姿は見えない。声だけはしっかり、はっきりと聞こえた。まるで、耳元で喋っている――というより、頭の中にその誰かの声が響いてるみたいだった。
「用意するのは黒い布、なければ黒く塗った紙とかビニールでもいいよ。それと、
供物だなんてこの子難しい言葉を知っているなあ、と思った。おばあちゃんが時々使う言葉だ。神様とか仏様にお供えするもののことだ。
「クロメさんに供物をあげるの。自分が大事にしているものをあげなきゃいけないよ。それと引き換えに願いを叶えてもらうんだから」
クロメさん……? 私が首を傾げていると、隣にいた子がそっと耳元で訊いてきた。
「クロメさんて誰のことだろ。てか、クモツって何?」
「えっと……供物ならわかるけど」
そう返したが、続きを言うのはやめた。
その子は瞬きもせずに姿の見えない誰かの話に聞き入っている。私に話しかけたことなど忘れたみたいだった。
「供物には、体の一部を捧げるの。願いを込めて、大事な部分を」
そこで一瞬ざわっ……とはならなかった。
え、みんなどうして平然としてるの? 体の一部分を捧げるとか、絶対におかしい……そう思っているのは私だけみたいで、周りはみんなその子の方を向いていた。真剣に聞き入ってるといった様子でもなく虚ろな顔で。男子も女子も、みんな同じ顔に見えた。社会見学で行った能面堂のお面みたいだった。
「でも、みんな痛いのは嫌だよね。だから、別に自分のじゃなくてもいいの。それか、食べ物とかでも大丈夫」
それなら納得できる、私は少しホッとした。仏壇にも果物やお菓子を供える。あれと一緒だ。
「やるのは夜。供物に黒い布を被せて、縄でしっかり括る。そしてどこか高い所に吊るしてから呪文を唱える。いい?」
みんなが頷いた。飽きっぽい性格の子も、おまじないには興味のなさそうな子も、誰一人そこを離れずその子の話を聞いた。
「クロメさん、クロメさん、おいでください――これを三回唱えるの。次に願い事を言いながら吊るして、クロメさん、クロメさん、
その子が言うには、待ち時間は願い事によって違うらしい。願いが叶う場合は生贄は吊るされたまま。吊るした縄が切れた場合は願いは叶わないそうだ。
「このおまじないは大人に見られたら失敗する。子どもはいいけど、大人はだめ」
また、みんなが頷いた。自分だけ仲間外れみたいな気分になって、私もとりあえず頷いた。
「コラーッ。君達、何してる! もうチャイム鳴ってるだろう」
突然、大人の声が聞こえた。教頭先生だった。一同、一瞬ビクッとなってからそれぞれのクラスへ帰っていった。
五時限目の授業には全然身が入らなかった。体育館の裏での出来事は、いったい何だったんだろう。先生の怒声が聞こえるまで夢を見ていたような――そんな気がした。
「あんなおまじないあるんだ。知らなかった」
「私も知らなかった」
「……やろっか、クロメククリ」
「クロメククリ?」
「え、クロメククリでしょ? 括る、クロメさん」
「……あー、そうね。クロメククリだ」
「クロメククリかあ……何をお願いする?」
「あれっ? クロメククリ教えてくれた子、誰だっけ。何年何組?」
「そういえば、あの子誰? 名前知ってる?」
「知らない……」
私達は知らなかった。クロメククリを教えてくれた子が誰だったのか。女の子だったのか、それとも男の子だったのか。どんな声だったかも思い出せなかった。
やがて、学校の子ども達の間でクロメククリというおまじないが流行りだした。
これが悪夢の始まりだった。
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