6 山の怪④

 気がつくと、咲菜子は田んぼの真ん中に突っ立っていた。

 大勢が自分を呼ぶ声があちらこちらから聞こえてきた。

「ここだよお」

 返事をすると、村の大人達が喫驚と歓喜の声を上げながら駆け寄ってきた。病院にいるはずの祖母も、祖母の弟夫婦もいた。村人総出で咲菜子を捜していたのだ。

 森に入ったのは昼食の前だったが、集落の風景は夕日に照らされオレンジ色をしていた。

「咲菜ちゃん、ごめんねえ……庭でコロと遊んどると思っとったとよ。お昼ご飯ができたけん呼びに行ったら、おらんごとなっとって……」

「まさか、裏の山には、山には行っとらんやろうね?」

 咲菜子はまごついた。

「ご、ごめんなさい」

 その言葉に大人達の顔色が変わった。

「やけん、目ば離したらいかんて言うたやろうが!」

「あんたも同じやろうもん!」

 罵り合いを始めた弟夫婦を祖母が制止した。その顔は険しかったものの、声は落ち着いていた。

「他には? 怒らんけん、何があったか正直に言うてんしゃい」

「あ、ええと……女の子が、お祭り行こうって……でも、男の人が助けてくれたの。目が金色のイケメンさん。フミナによろしくって」

 それを聞いた祖母は一瞬はっと目を見開き、大きく息を吐いた。

 周りの村人達は一様に顔を引き攣らせ「こりゃ神隠しばい」「ケガレばもらってきとるっちゃなかかね」「だけん山には入られんごとしとかないかんって……」と口々に不安を吐露した。

 自分が何かとてつもないことをしでかした気がして、咲菜子は必死に謝った。

「おばあちゃん、ごめんなさい。もう二度としない。山にはもう行かないから、許して」

「いいんよ、咲菜子。ばあちゃんこそごめんね」

 叱られると思っていたのに、祖母は優しく抱き締めてくれた。

「お父さんとお母さんに言う?」

「言わんよ。言わんけん、安心しんしゃい」

 そこに祖母の弟が鳴動する携帯電話を持ってきた。

「フミナ姉ちゃん、電話……岳英たけひでくんから」

 岳英は咲菜子の父の名前だ。

 祖母が「もしもし」と応答した時、強い風が吹いた。何と言っているか聞き取れなかった。しかし、その表情から良くない報せだとわかった。

 その日、咲菜子は母と弟を失った。


           *


 母と生まれたばかりの弟を荼毘だびしてしばらくしてから、咲菜子の父は娘を連れて児童精神科を訪れた。理由は、咲菜子がと会話するようになったからだった。山で神隠しに遭い、母と弟を亡くした日を境に、咲菜子は心霊や怪異の姿を見、彼らの声を聞く能力に目覚めたのだ。

 医師の見解では、咲菜子が喋っている相手はイマジナリー・フレンドとのことだった。母親を失ったショックで娘が空想上の友達を作り出したと告げられた父は、とても心を痛めた。それまでの仕事を在宅ワークに切り替えて、極力咲菜子のそばにいるように努めた。孤独を埋めることでイマジナリー・フレンドは消滅すると考えたのだ。

 しかし、咲菜子に姿を見せ、耳元で囁くのはイマジナリー・フレンドではなかった。どこの誰ともわからない死者の魂が、口々に何かを訴えるのだ。

「お父さん、イマジナントカじゃないよ。ユーレイなんだよ。おばあちゃんにも見えるんだよ。咲菜とおんなじなの。おばあちゃんに会いたい。おばあちゃんならわかってくれるもん」

 そう訴えたが、父は聞こうとしなかった。

 父は亡くなった妻の実家と距離を置くようになった。 咲菜子の母と弟の死について呪いだ祟りだと騒ぐ集落の人々に嫌気が差したのだ。彼は、妻の忘れ形見である娘が祖母に傾倒するのを恐れた。心霊や怪異の存在も、娘が作り出した妄想ということにしたかったのだ。

 祖母は何も言わなかった。ただ、電話をすればいつでも孫娘が納得するまで話を聞いてくれた。

「お父さんはね、咲菜子のことを本当に大事に思っとるとよ。お父さんのそばにおった方がいいと。霊やら見えん方がいいし、見えん人の方が多いんやけんね」

 そして祖母は、霊が見えても無視をしろと教えた。見えないふり、聞こえないふりを決め込んで普通に生きろと。

「怖いもんがおっても、お母さんからもらったお守りがあるやろ? それが咲菜子を守ってくれるけんね。咲菜子は何もせんでよか」

「でも、おばあちゃんはユーレイ退治のお仕事してるんでしょ? 咲菜子、お手伝いできるよ」

 電話の向こうにいる祖母は少しの間沈黙した。

「咲菜子がもっとおおきゅうなって、そん時もばあちゃんの手伝いばしちゃろうと思ってくれとったら、またここにればよかたい。ね?」

「うん……」

 母が他界し祖母とも会えなくなった咲菜子の心の支えは、あの日母がくれた赤いペンダントだった。恐怖や不安に負けそうな時、目を閉じてペンダントをぎゅっと握るのが習慣になった。

 しかし、見えることには変わりない。咲菜子の世界はいつも死者に取り囲まれているのだ。

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