3 山の怪①

 が咲菜子の目に映るようになったのは、五歳の時だった。


 二〇〇五年の冬、里帰り出産をする母に連れられて咲菜子は母方の実家に来ていた。

 祖母の家は九州の山間やまあいにある小さな村にあった。そこには咲菜子と同年代の子どもはおらず、年寄りばかりの限界集落だった。

 村の人達は咲菜子の祖母に畏敬の念を抱いており、彼女は〝ひい様〟と呼ばれいた。村の長老から母の一族は神通力を持つ血筋で幾度となく災厄から村を救ったと聞かされたが、五歳の咲菜子にはピンと来なかった。咲菜子から見た祖母はごく普通の老人だった。会う度に可愛がってくれる優しいおばあちゃん――それだけだった。

 祖母の家はやたら広く、しばらくは家の中を探検するのに夢中になっていたがそれにも飽きて集落を歩き回るのが日課となった。澄んだ小川に住む名前も知らない魚達、川に架かる石の橋、背の高い草、不思議な声で鳴く虫達――ビルの建ち並ぶで都会で暮らしていた少女には全てが新鮮で面白く感じられた。

 村の人達は咲菜子を見かけると手を合わせて拝むような仕草を見せた。あまり居心地の良いものではなかった。

「気にしなくていいよ。ここの村の人にとっておばあちゃんは神様みたいなもんだから、孫の咲菜のこともそう思ってるだけ。お母さんも昔はああいう目で見られたのよ。霊能力がまるでないってわかってからは普通になったけど」

 大きなお腹を撫でながら母の咲希さきが言った。

「れーのうりょく? それがあったら咲菜もお姫様になれるの?」

「咲菜が好きなアニメのプリンセスとは違うのよ。可愛いユニフォームは着ないし、戦う相手だって怨霊とか悪霊とか……咲菜、夜中におトイレ行くのだって怖がるのに、お化けの相手なんか無理でしょ」

「うーん……たしかにお化けはヤダなあ」

「普通が一番なのよ」

「ふうん……?」

 まもなく生まれてくる弟がいる母のお腹に頬ずりをして、咲菜子は目を閉じた。

「あー、早く赤ちゃんに会いたいなあ。咲菜、いいお姉ちゃんになる。普通よりもいいお姉ちゃんだよ」

「フフ、咲菜ならきっとすごくいいお姉ちゃんになるわね」

「なれたら、それちょうだい?」

 咲菜子は咲希がいつも肌見放さず身につけていた赤いペンダントを指さした。

 ガラス玉の中に鮮やかな赤が閉じ込められている、とても綺麗なものだった。

「これ? いいよ、今あげる。だって咲菜子は最初からいい子だし」

 そう言いながら咲希はペンダントをはずした。

「これはね、お守りなの。山の神様からもらったのよ。これからは、咲菜子を守ってくれるお守りだよ」

「じゃあ、お母さんのことは誰が守るの」

 素朴な疑問に咲希は目を細めて娘の髪を撫で、ペンダントをつけてやった。

「お母さんはもう大人だから大丈夫。さ、遊んでおいで。山には行っちゃだめだからね。危ないから」

「うん!」

 それが母と娘が交わした最後の会話になった。

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