7
『咲菜子、聞こえてる? パパがね、入院したの。それで、あなたには一応連絡しておこうと思って。こっちに帰って来られないかしら』
「えっ、病気……なんですか?」
できるだけ毅然と振る舞いたい。そう思うのに声が上擦った。
『ええ、本人はたいしたことないって言ってるけど。一度顔を見せに帰ってきてほしいの』
「……仕事が忙しいから行けるかわかりませんが、考えてみます」
今日失職したばかりなのに、ここはすらすらと嘘がつけた。否、見透かされているかもしれない。
『私には会いたくないだろうけど、パパには会ってあげて。今となってはたった一人の肉親なんだから。とにかく、伝えたからね』
そう言って相手は電話を切った。
「誰から? どっか行くの?」
ベッドに寝そべったままの姿勢で博生が訊いてきた。
「え……と、あの、母親からだった。帰って来なさいって。お父さんが入院したみたいで」
自分で言っておいて、今すぐ取り消したくなった。
――母親じゃない。あの人は、お父さんの再婚相手。それだけだ。
興味なさそうにふうんと返し、博生は「さっきの話だけど」と切り出した。
「やらない」
珍しく苛立ちを隠せなかった。本当はいつも彼に苛立ちを感じている。それを改めて自覚した。
「やらないよ。絶対に嫌」
「……」
博生はチッと舌打ちし、ベッドの上でスマートフォン弄りだした。気まずい空気に堪えかねて私は立ち上がった。
「友達んとこ行ってくる。今日は帰らないから」
泊めてくれる友達などいないが、悔しくて嘘をついた。彼以外にも自分には誰かいるのだと、居場所は他にもあるのだと伝えたかった。
博生は相変わらずベッドでスマートフォンを見ている。
怖かった。このまま、終わりになるのが怖くて、待てよと抱き締めてくれるのを待った。しかし彼は動かない。
部屋着から着替えて玄関へと進み、靴に足を突っ込んだところで声がした。
「頭冷やして考えてみてよ。俺はさーちゃんのことを思って親切で言ってるんだよ。そこをわかってくれないと、話にならない。ま、明日また話そ」
必死の思いで伝えた自分の心情が彼には全く届いていないことがわかった。凄く、凄く失望した。それでも、自分から別れを切り出すことはできなかった。
「夜道は危ないから気をつけてね」
「……うん」
博生はベッドに横になったままだ。こちらから彼の顔は見えない。
私は部屋の外に出てドアを閉め、その場でへたりと座り込んでしまった。
彼は何もわかっていないしこちらの意見を聞く気もない。それでも、出ていく間際にかけられたのがいつもの優しい声だったことに安堵している、そんな自分がとても情けない。
でも、一人になりたくない。寂しいのは嫌だ。
――寂しいよって言ってたっけ。あの人。
ふいに十五年も前のことが思い出された。
山で私を助けてくれた人――そうだ、あの人……喫茶店で会った、あの人だ!
閉じ込めていた昔の記憶が鮮明に蘇った。
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