10 疫病神③

 風呂上りに冷凍庫を開けると、目当てのものが入っていなかった。見れば博夫が咲菜子の分のアイスキャンディを咥えてベッドの上で胡坐をかき、スマートフォンと睨めっこしている。よくあることなので彼には聞こえない程度の小さなため息をついてから、床に座った。スマートフォンを弄っている時に覗き込んだり話しかけたりすると不機嫌になるとわかっているので、敢えて距離を取ることにしているのだ。

 することもないので開脚ストレッチをしていると、甘い声で呼ばれた。

「さーちゃん、こっち来て」

 言われるままにベッドに上がり、彼の脚の間に座る。まるで飼い主とペットのようだと思いながら。

「毎日お仕事お疲れ様」

「う、うん」

 首筋に唇を当てられ、咲菜子は肩を竦めた。

――仕事探なきゃ……いっつも人間関係が上手くいかなかったり、霊にちょっかい出されて嫌になったりですぐ辞めてきたけど、そろそろ本当にちゃんと仕事しないとヤバい。博夫はたぶん、これからもお金入れてくれないだろうし……。

「さーちゃん、今の仕事……派遣のテレオペだっけ? 満足してるの?」

「え?」

「前やってた居酒屋のホールスタッフよりは時給いいって言ってたけどさ、朝早起きして満員電車乗るの大変でしょ。仕事も別に面白くないって言ってたし」

「えーと、うん、まあそうだね。また新しい仕事探そっかな〜って思ってるけど……」

 実は本日付で退職しましたとは言えず適当に言葉を濁していると、博夫は「じゃあ、丁度良かった!」とスマートフォンを手に取った。

「これやってみない? 業務委託だけど、時給にするとだいたい三千五百円はいくみたいなんだよね」

「チャット……レディ?」

 咲菜子は博夫のスマートフォンに表示された文字を読んだ。

「そう、完全在宅の激アツな仕事。フルリモートでがっぽり稼げるんだよ。ライブチャットで客と喋ってチラ見せしたり、ちょっとエッチな声聞かせてやるだけ。ちょー簡単でしょ? これならさーちゃんにもできるよ!」

「ライブ……客って何、男の人?」

「仕事内容はここに書いてあるから読んでよ」

 博夫は面倒くさそうに画面をスクロールした。

「チャトレ、アダパフォ……」

 彩度高めの画面と見たことも聞いたこともない文言の羅列に咲菜子が面食らっていると、博夫は真面目な顔つきになり言った。

「さーちゃん、俺と付き合いだしてから何回仕事変えた? そろそろ落ち着こう? 本当はさ、夜職よるしょくやって欲しいんだけど、コミュ障のさーちゃんにそんなの無理ゲーじゃん? だから誰とも会わずに今より高収入なお仕事探したげたんだよ」

「え、えええ……」

 無職の居候であることを棚に上げ、しゃあしゃあと言ってのける相手に開いた口が塞がらない。

「だからさ、頑張ろう? 俺がちゃんとサポートするから」

 咲菜子の首を縦に振らせようと、博夫は肩を抱き髪にキスを落とした。

「……やだよ。そんなの、嫌」

 蚊の鳴くような声で拒絶した咲菜子に博夫は「あ?」と顔を歪めた。初めて見る表情だった。

――どうしよう、フラレる……でも、私は……。

「職業差別は良くないと思うなあ〜。どんな仕事してる人でもさ、みんな必死こいて働いてるんだよ?」

「差別とかしてない。どんな仕事でも、自分が納得して、やりたいって思ったら私はやるよ。押しつけられるのが嫌なだけ」

――そうだ。あの謎のイケメンだって、私に何の断りもなく退職届を出すなんて勝手過ぎる。自分のことは自分で決めたい。そこだけは譲りたくない。

「ハー……さーちゃんがいつも間違った方向に行っちゃうからでしょ? 俺はさ、さーちゃんのためを思って」

「私のためを思ってって何? 博夫の思い通りになるのが私のためなの? 本当に私のことを思ってるなら、まずは私の気持ちを知ろうとしてよ! てか、ここに住むなら博夫も働いて!」

 突然、声を張り上げた咲菜子に博夫は一瞬固まった。関係を終わらせ兼ねない言葉を吐いた咲菜子自身も固まった。

「……」

「……」

 沈黙は、咲菜子のスマートフォンの着信音が破った。

 画面を見ると知らない番号からの着信だった。いつもは知り合い以外からの電話には出ないようにしているが、博夫との会話を一旦中断したかったので[応答]をタップした。

「はい……」

『もしもし、咲菜子? 私よ』

 その声にスマートフォンを落としそうになる。

――どうしてこの人が、私に電話を?

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クロメククリ ―加賀利咲菜子の心霊事件簿― 阿山晃弥 @okiwotasikani

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