055 牛乳

「生乳の加熱方法は大きく分けて二つ。70度前後の低温でじっくり時間をかけるか、100度を超える高温でがっつり短時間で済ませるか」


 生乳の入った土器を焚き火で熱する。

 市販の鍋に比べて熱伝導率が低いため、熱くなるのに時間がかかっていた。


「低温長時間コースと高温短時間コースならどっちがいいの?」


 ノートを片手に尋ねてくる吉乃。

 皆も興味があるようだ。


「どっちがいいということはないけど、市販の牛乳と似た味にしたいなら高温短時間コースだ。なんたって市販の牛乳は150度近い超高温でサクッと殺菌を済ませているのが大半だからね」


「150度? そんなに高くできるの? 沸騰しない?」


 牛乳の沸点は水と大差ないと言われている。

 吉乃はその点が気になるようだ。


「普通に加熱したら沸騰するよ。だから圧力をかけて沸騰しないようにするんだ。圧力鍋と同じ仕組みだね」


「なるほど」


「じゃあウチらは超高温の殺菌なんてできないじゃん! ここには圧力鍋なんてないんだし!」


 千夏が言った。

 俺は「全くもってその通り!」と頷く。


「だから俺たちは普通に沸騰させてグツグツ煮込むぜ。最適な加熱法を知っているとは言ったけど、ここでそれができるわけじゃないからな!」


 皆がズコーと転んだ。

 そんなわけで、ひたすらに生乳を熱していく。

 沸騰したあともしばらく火に掛け続け――。


「こんなもんでいいだろう」


 ――適当なところで冷ました。

 それを皆のコップに注ぎ、声高に言う。


「これが異世界で飲む初めての牛乳だ!」


「「「「うおおおおおおおおおお!」」」


 誰もが目を輝かせている。

 サルやジャージー牛たちもにこやかな表情で眺めていた。


「それでは飲むとしよう!」


「「「乾杯!」」」


 まずはチロリと一口。

 想像以上にコクが強く、味はまろやかで濃厚。

 ただし、生ぬるいせいかエグみも感じられる。


「なんか妙な感じ」


 吉乃が呟く。


「牛乳の味はするんだけど、なんかいつも飲んでいるのと違うかも!?」


 明日花の言葉に、「そうそう!」と千夏が同意する。


「その妙な感じというのが加熱方法の差だ。この牛乳は市販品ほど加熱臭が強くないからね」


「加熱臭? 海斗君、なにそれ!?」


「読んで字の如く“加熱したことによって生じる臭い”のことだ。牛乳の場合、約80度辺りから加熱臭が強くなる。市販の牛乳は基本的に超高温殺菌なので、加熱臭が今飲んでいる物よりも強いわけだ」


「そうなんだ! じゃあさじゃあさ、低温でじっくりコトコトした時は加熱臭がないんだ?」


「正解だ。だから低温殺菌された牛乳の味は生乳に近い。牛乳だと思って飲んだら『なんじゃこりゃあ』ってなるくらいに違う味だよ」


「そんなに!? 飲んでみたいんだけど!」


「残念ながらこの環境じゃ低温殺菌は難しいな。日本だとちょっとお高めのスーパーに売っていることがあるので、戻ったら是非とも買ってみてくれ」


「うん! 低温殺菌牛乳を飲むためにも日本に帰るぞー! おー!」


 明日花はコップの牛乳をグビッと飲み干した。


 ◇


 昼食及び牛乳タイムが終わると、俺たちは周囲の探索を始めた。

 三組に分かれ、案内兼護衛役のサルを連れて森を徘徊する。


 組分けは、一組目が俺と明日花。

 二組目が吉乃、七瀬、希美の三人で、残りが三組目だ。

 由芽と希美を別々にしたのは、由芽の人見知りを克服するため。

 本人がそれを希望した。


「ふふふーん♪ ふんふん♪」


 周囲の木々を眺めて愉快気な明日花。


「ずいぶんと機嫌がいいな」


「だって海斗君と二人きりだからね!」


「ははは、嬉しいことを言ってくれる」


「お世辞じゃないからねー? それに知らない果物がいっぱいあるのもいい!」


「この辺は東南アジア原産の果物が目立つな」


 すぐ傍の木にはパラミツの果実が生っている。

 見た目は黄緑色で、表面がブツブツしていて不気味だ。


 そんなパラミツを指しながら明日花は言った。


「この果物、不思議だよねー!」


「不思議? 何がだ?」


「だって幹から直接っているじゃん!」


「そのことか。いいところに気がついたな」


 俺は立ち止まり、パラミツに触れながら解説した。


「こういう幹になる植物を『幹生花かんせいか』と呼ぶんだ」


「呼び方があるってことは、パラミツ以外にもあるの?」


「日本で有名なのだとパパイヤだな。逆に無名なのだとアレだ」


 俺は少し離れたところの木を指した。

 幹のいたるところに、黒に近い濃紫こむらさき色の丸い果実が生っている。

 まるで大きなブドウの粒だ。


「あの黒いブツブツって果物なの!?」


「アレはジャボチカバというブラジル原産の果物だ」


「ジャボチカバ……! どんな味なんだろ? 食べたことある?」


「一回だけあるよ。独特の甘味が印象に残っている」


「そうなんだ!」


「ジャボチカバの味はしばしば『ライチみたい』と表現されるんだけど、そういう感想が出るのも分かる味だった。ただ、ライチと誤認するほど似ている味ってわけではないけどね」


「なるほど!」


「ウキキ! ウキ!」


 案内役のサルがジェスチャーで意思表示をしている。

 どうやら「ジャボチカバを採ってこようか?」と言っているようだ。

 俺は首を振った。


「いや、今は先に進もう」


「ウキ!」


 話を終えて移動を再開。

 サルを先頭に森の中をテクテク進んでいく。


「ん?」


 突然、サルが方向転換を始めた。

 これまで真っ直ぐ西へ向かっていたのに。


「どうした?」


 前方に進路を変えるようなものは見られない。

 これまでと大差ない風景が広がっているだけだ。


「ウキ! ウキキ!」


 激しい身振り手振りで説明してくれているが分からない。

 ただ、なんとなく察することはできた。


「この先は危険なのか?」


「ウキ!」


 正解らしい。


「ふむ」


 地面を確認してみるが、猛獣の形跡は見られない。

 というか、足跡自体が全くなかった。

 巨大ジャガーですら避けている。


「何かは分からないが危険みたいだな」


 この辺の動物が避ける“何か”が、この先にある。

 今の時点で分かっているのはそれだけだ。


「ウキ? ウキキ?」


 サルが「南? それとも北?」と新たな進路を尋ねてくる。


「いや、進路は変えない。このまま西に進む」


「ウキィ!?」


「何か分からないものにビビる気はない」


 ここからは俺が先頭を歩いた。

 明日花がその後ろに続き、サルが最後尾へ。


「ウキィイイイイイイイ!」


 少し進んだところでサルが吠えだした。


「ん?」


 と、振り返ってギョッとする。


「おい、お前、何をしているんだ!」


 サルは険しい表情で弓を構えていた。

 可愛らしい矢をつがえ、限界まで弓を引き絞っている。

 石のやじりが俺たちを睨んでいた。


「ウキィ!」


 次の瞬間、サルが矢を放った。

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