第2篇 八丁堀駅


 「あれ、田口さんじゃん。これから帰るの?」

 「うん。篠又くんこそ、もう上がりなの?」

 帰りの電車で乗り合わせたのはたぶん初めてのことだったと思う。

 そして私はこの日をたぶん一生忘れない。


 ――――――――――



 学期末でテストも終わり、終業式を待つ間の一週間は授業がなくなるのがうちの高校の夏前のいつものスケジュールだった。

 でも毎週月曜日は図書委員の活動日で、しょうがないから普段と同じように登校して作業に当たらざるを得なかったのだ。

 たまに朝の仕事が割り振られることがあるから誰もやりたがらなかった図書委員の仕事は、そんなわけで読書と早朝の空気が好きな私が2年連続で務めることになっていた。

 2週にいっぺん朝読書の時間の時間にカウンターにいる必要があって、その時だけは朝7時2分に八丁堀の駅を出る日比谷線に乗るのが定期だった。


 そして彼を見かけたのもその朝の電車の中だった。ちょうど1年ぐらい前の。


 通常の登校よりはかなり早い時間なので、うちの高校の制服を見つけた私はおっと目を留めてしまった。

 向かいの端の席に大きなスポーツバッグをもって座る一人の男子生徒。

 朝練かなー大変そう。それがすべてのきっかけだった。


 なんてったって同じところに同じようにいるもんだから、何とはなしに2週に一回こっそりちらちら見るようになって、でもそれだけだった。

 ある時ジャージを着てたことがあって、その色からおんなじ学年だってことはわかったんだけど、なにせ1学年250人はいるから友達の少ない私に探り当てることはできなかった。


 私にできたことは2週に一回彼と同じ空間を共有することだけだった。


 たまたま友達の楓ちゃんに誘われて見に行った球技大会で、すらっと活躍している彼を見つけたのでバレー部であることはわかったけど、体育館の真ん中で華麗にトスを放つ彼は私とは別世界を生きているようだった。

 テイラーの気持ちよくわかる。I'm on the bleachers.



 転機が起こったのは2年生に進級した始業式の朝。

 楓ちゃんと別のクラスになってしょんぼりしていたら見たことある顔が教室に入ってきて、そしてなんと私の斜め後ろの席に座ったのだった。


 おっしゃ。クラス替えガチャ大成功。


 朝練終わりの彼は先に席についていた私の前を通る時にちらっとこっちを見て、ほんの少し驚いたような顔をして一瞬視線を合わせた。

 私ちゃんとかわいく微笑めてたかなその時。

 そしてその後の自己紹介で彼の名前が篠又博道ということと、バレー部の副将をしていることを知ったのだった。


 でも高校2年にもなると男子グルと女子グルははっきり分かれて形成されていて、私の斜め後ろに座っている彼との接点は1か月がたっても業務的なもの以外ついぞ生まれなかった。

 そこで私は司書の先生に掛け合って朝当番を1週間に1回に増やしてもらったのだった。

 真の目的は言うまでもない。睡眠時間が削られるけど致し方あるまい。


 そんなわけで朝彼と同じ電車になる回数は前年比で倍になった。

 するといろんな彼の姿が見えてくるようで、ぴょこんと寝癖が立っているときや何なら私が彼を視界に見つけたときにはもう爆睡している、なんて時もあった。

 そして、一番の進展は彼の方も私の姿を認めて、ごく稀に視線がこっちに向けられるようになったことだった。


 やった!!


 さすがに凝視するとあれだし立っている普通の通勤客もいることからそれ以上のことはできなくて、でも私はカモフラージュのために開いていたヘミングウェイの文庫本には集中できそうにもなかった。

 地下だと景色を見てたって言い訳は通用しないからね。


 そして先々週のテスト1週間前の日。

 なんと2回も目が合った!!西野カナの曲とおんなじだ!!

 その日はめちゃくちゃ気分が浮かれていたのだけれど、その後のテスト期間中は朝練がなくなるし、選択科目によって試験時間も違うしで全然すれ違うことすら叶っていなかったのだった。

 今の今までは。


 ――――――――――



「田口さんと一回こうやって話してみたかったんだよね」


 彼は余裕そうなセリフを向けてくるけど、その顔が少し照れているのを私は見過ごしていなかった。でもたぶん私も大差なかっただろうとは思うけどね。


「私もです。せっかくクラスメイトになれたので」

 ちょっと固くなっちゃった。

「今日は何してたの?図書委員って言ってたけどそれの仕事?」

「そう。なんで知ってるの?」

「だって始業式の時の自己紹介で言ってたよ。」

「なんで覚えてるの……」


 待って変なこと言ってなかったよね。恥ずかしいかも。

 でも私も(絶対に言わないけど)彼の自己紹介はたぶん一字一句覚えているから人のこと言えない。


「いや、なんか、ああいうのきちんとできる人すごいなーと思って」


「ありがと、そんなことより篠又くんは部活?」

 ちょうど電車もきたしこの話題を続けると私はぼろを出しそうだと思ったので話を転換することにした。


「そう。ほんとは丸一日やりたいところなんだけど、バスケ部が大会近いらしくて体育館を明け渡さなくちゃいけないから今日は3時で終わりだし明日は休みなんだ」

「へえ。バレー部って大変そう」

「練習ちょいキツではあるけど楽しいから頑張れてる感じかな。うまいかはさておき」

「そんなことないよ。去年の球技大会見たけど格好よかったもん」


 言ってしまった!真実ではあるけど!


「ありがと。そう言ってもらえるとモチベあがるからね」

 そう言って笑みがこぼれた彼の顔はまだ少し硬かったけれども、私の心を絆すのには充分で、そこから10分ぐらいは何を喋ったのか正直うろ覚えになってしまっている。なんと勿体ない。



 気づいたら電車は車輪をきしませながらカーブを曲がって八丁堀の駅に滑り込んでいた。

 速度が遅くなったのはもうちょっと話していたいのにな、と思った私の気持ちを汲んでくれたからに違いない。

 でも、あーあ、この瞬間はもう終わりか。


 そう思っていた私に向かって彼が驚くべき言葉を発したのはドアが開く直前のことだった。


「さて降りましょうか」

「え」


 てっきり私の耳に聞こえてくる言葉はじゃあね、だと思ってたので、思わず聞き返してしまった。


「え、ってなに」

「降りるの??」

「降りるよ。乗り換えないと帰れないからね」

「ちなみにどこ住んでるの?」待ってこれ訊いてなかった。

「知らんと思うけど武蔵野線の船橋法典ってところ」

「私新浦安なんだけど」


 よっしゃまだお喋りできそうじゃん!!!というか彼も京葉線ユーザーだったなんて!

 私は彼に気づかれないように心の中でだけ小躍りすることにした。

 さすがにホームの上とかで踊るのは控えておきます。


「新浦安か。京葉線使ってるんだろうなーとは思ってたけど」

「なんで知ってるの?」


 彼の返事が一瞬詰まった。あれ、聞いちゃいけなかったかな。

 そして少しためらったような顔をしながら彼はちょっと言い訳じみた声でこう言った。


「電車の中で田口さんを見かけたことが何回かあって…」

「もしかして朝?私図書委員の朝当番があるんだよね」

「そうだったんだ。朝練あるとあの時間なんだけど、この通路歩いてる同じ高校の制服の人がいるーと思ってたんだよね」

「私は日比谷線乗ってからしか気づいたことなかったからまさか八丁堀乗り換えだとは思ってなかったんだよね」


 私がそこまで言うと、少しばつが悪そうな表情をしていた彼は顔を上げて言った。


「もしかして見られてた系?」


 あ、やべ。こっそり見てていつか話せるようになりたいなーって思ってたなんて口が裂けても言えないかもしれない。


「はい、かなりちらちら見てました、ごめんなさい」


 流石に言わずにおこうと思ったのに!言ってしまった!のだけれど、私はなんだかこれを言ったことで彼との距離が縮まった気がした。

 それに彼の顔からも硬さが消えた気がしたのもきっと思い違いではないはずだ。なぜならこう返ってきたから。


「えっと、実は僕もちらちら見てました。すみません。本読んでるから気づかれてないかと思って」



「私たち似たようなことしてたんだねえ」

 そう口に出してみるとなんだか可笑しくなって、2人ともお互いの方を向いて小さく笑いだしたのだった。

 平日の昼間の乗り換え通路には人がほとんどいなくて、2人分の笑い声は小さくても地下特有のむわっとした蒸し暑さの中に響き渡っていた。

 青春ってこんな感じのことを言うのかな。だとしたら最高なんだけどな。



 ――――――――――


「ねえ」

 私はJRの改札を通りながら半分冗談の口調で聞いてみることにした。

 この感じなら言ってみてもよさそうだ。


「この後空いてたりしない?」

「えっ、僕…?空いてるけど?」


 返ってきた声はさっきまで喋っていたのより上ずんでいて、でもなんだか嬉しそうな感じが伝わってきたのでほっとした。

 ここからは流れで行ってしまえ。


「ちょっとだけ付き合ってくれない?疲れてたらあれなんだけど」

「これでもバレー部副キャプテンなんですけど。体力舐めないでよね」

 彼の口調が今日一でくだけたものになって、そしてそれに伴って2人の間の空気も少しずつふわっとしてくるのが感じ取れた。

 なので私は冗談のめかし具合を4分の3にあげてから、こう言ってみることにしたのだった。


「じゃあアフターファイヴとか行っちゃう??」


 彼の眼が大きく見開かれたような気がして、ぶっ飛んだこと言って引かれたかなと一瞬思ったけど、次に発された言葉はその予想が外れたことを意味していた。よし。


「いいね。行っちゃうか。」



 京葉線のホームへと続く下りのエスカレーターは、いたずらっぽく微笑んだ二人を地下深くへと誘っていった。





 参考(よかったら聞いてみてください!!)

 Taylor Swift. You Belong with Me. (2009).

 https://youtu.be/VuNIsY6JdUw?si=4tPo648lyTa2E255

 西野カナ. Yeah. (2018).

 https://youtu.be/BACltEG1O9A?si=e_LMRwYK66z08mJo

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2024年11月3日 16:00

京葉線短編集 戸北那珂 @TeaParty_Chasuke

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