第4話 勝利、そして忠誠

 リングにあがってきた俺を、女性は見下したようにふんと笑った。後方にいたのも偶然ではなく、計算づくらしい。賢い女性だ。


「あんた、イルラヒムっていうんだね。子供でもあんなすばしっこくて賢い子は見たことがないよ」


 俺は応えなかった。変に問答して情報を与えたくなかったし、今の俺で対等かそれ以上かくらいなのだから、油断もしたくない。


『さあ! 最初の対決は注目カード! ミルトラン流免許皆伝、アンナ・シルジニアと……その、言いにくいのですがどこの流派にも属していない独学の剣士、第一ラウンドを圧倒的な力で駆け抜けた少年イルラヒム・ホーエンハイム! 両者入場しました!』


 わっ、と歓声があがる。主に「ガキなんてやっちまえー!」だの「姉ちゃん美人だから姉ちゃんに賭けたからね!」などのアンナを応援する声ばかりだ。

 俺は素知らぬ顔でそのヤジを受け流す。こんなのいちいち相手にしていても意味がない。今はアンナの相手に集中しなければ。


『両者準備はできたでしょうか!? どちらが勝つか見ものです! それでは……始めっ!』


 リングの両端にいた俺たちは素早く走り出した。アンナが先に鋭い突きを繰り出してくる。

 それを一歩の動きでかわし、アンナの横腹を狙う。アンナは横にステップして俺の木刀をかわし、突きで押し出した木刀を振って俺の頭を狙ってきた。

 それをかがんでかわし、俺はがら空きのアンナのすらりとした足を叩いた。アンナが痛みに呻く声がする。


「なかなかやるじゃないか!」


 アンナは俺の木刀を蹴飛ばすと、鋭い斬撃を何回も仕掛けてくる。

 それをギリギリのところで回避しながら、俺は木刀を拾う算段を立てていた。アンナの攻撃は鋭い。一瞬でも隙を見せれば頭を取られて脳震盪のうしんとうで倒れてしまうだろう。


 だからといって、まだ十一歳の俺の腕力では大人の女性であるアンナを素手で押し倒すということも難しい。どうするか。

 一瞬、ほんの一瞬だがアンナが隙を見せた。その隙に俺は木刀を拾い、後ろから迫ってくるアンナの一撃をいなして喉に木刀の先端を突きつけた。


『はっ、激しい攻防戦です! 第二ラウンドはどちらか片方が倒れなければ続きます! ヒリついた空気が会場を覆っています!』


 アナウンスが煽ると、民衆から「姉ちゃん頑張れー!」だの「ガキなんかに負けるなー!」だののヤジが舞う。

 アンナはゆっくりと後ずさる。そして舌で赤い唇をぺろりと舐めた。


「綺麗な顔面をしただけのガキだと思っていたけど……。やるねえ」

「それはどうも。でも、見た目で判断していると後悔するぞ?」

「言うねえ。それじゃあ……これはどうかな!」


 ミルトラン流の奥義、素早い連続突きが放たれる。俺は回避しきれないとわかると木刀を使って突きの流れを脇に逸らした。木刀の激しくぶつかる音がリングの中央で繰り広げられる。

 大人の女性だけあって力もそれなりに強い。子供の体の俺では消耗していくのが目に見えている。どうする、俺。


 しかしアンナもただの人間。千年の時を鍛錬に費やした元剣聖の俺には及ばない。

 いつまでたっても粘る俺に若干の疲れが顔に表れた。チャンスだ。俺は思いっきり突き出された木刀を弾く。それは宙を舞って回転しながら場外に落ちた。

 無防備になったアンナの隙を逃す俺でもなく、頭に木刀を叩きこんだ。


「か、はっ……!」


 全力で打ち込んだからか、皮膚が破れて少し血が出た。アンナは膝から崩れ落ち、倒れた。


『あーっと! これは番狂わせだ! ミルトラン流免許皆伝のアンナ・シルジニアがここでまさかの敗戦! 勝者はイルラヒム・ホーエンハイムだー!』


 リングの周囲がざわつく。「嘘だろ」とか、「俺が賭けた金はどうなるんだよ!」とかの悲哀の声と怒号が舞っていた。

 俺は木刀を腰に戻し足元に倒れたあんなに一礼すると、リングを下りた。


 その後の対戦は退屈なものだった。みな貴族や一般市民の出だが免許皆伝まではいかず、千年の鍛錬をもってして転生した俺の敵ではない。

 俺の優勝が決まり、授与式で金貨百枚が入った袋を掲げた。盛大な拍手が送られたが、「どうして子供なんかが」と愚痴る声がなかったわけではない。


 俺は周囲を見回した。そして青ざめた顔をしたでっぷりとした奴隷商とリズを見つけた。

 俺はリングを降りて、奴隷商の目の前に突き進んでいく。木刀をまだ持っているからか、民衆が自然と道を開ける。

 奴隷商は怯えた顔をしていた。リズも、どうなるのかわからず不安な表情をしていた。


「約束通り、金貨五十枚でリズをもらい受ける」

「でっ、でたらめだ! ドーピングかなにかで身体能力を上げて……ひぃっ⁉」


 俺は木刀の先端をその二重顎に突き付けた。そして奴隷商を睨む。


「約束を違えるつもりか?」

「わ、わかった! わかったから! 金はいらない! こんな女、くれてやる! ひぃ、お助けー!」


 先ほどの戦いぶりを見ていたからか、木刀でぶたれると思って奴隷商は俺に鉄の首輪の鍵と手錠の鍵を渡すと人をかき分けて逃げていった。


『どうして?』


 リズの澄んだ声が聞こえる。リズに向き直ると、不安そうな表情をしていた。


「君を助けると約束したから」

『私は仲間殺しの重罪人よ? それでも?』

(君はわざと殺したわけじゃないんだろう? 裁判もしてない。冤罪かもしれないんだ。そんな君を助けたいと思った、それじゃいけないか?)


 風呂にもろくに入らせてもらえなかったんだろう。汚れまみれの手を両手で握る。

 ぽろり。リズの両目から涙がこぼれた。そしてひゅ、ひゅ、と息を漏らして泣きだした。

 俺はそんなリズの頭を撫でた。汚れてかさかさだったが、それでも撫で続ける。リズが泣き止む気配がないので、リズの手を握って家路についた。


 両親は奴隷を連れてきた俺にびっくりして経緯を聞き、そしてその境遇に涙した。そして自分たちの娘として迎え入れるという運びになり、風呂に入らせた。


 風呂で汚れを落としたリズは本当に美しく。水色の腰までの長い髪に金色の瞳。喋れないけれど、両親に念話を飛ばして挨拶したらしく両親はびっくりしていた。

 部屋は空いているアーノルドの部屋を使うことになったが、リズが言いたいことがあるというので俺の部屋で話を聞くことにした。


『あなたの名前、聞いていました。イルラヒム。私の主人』

「主人だなんて大げさだよ。歳だって一つか二つしか変わらないだろう?」

『私は奴隷として一年生きた。十歳。孤児で帰るところもない。そんな私を拾ってくれたホーエンハイム家には感謝してもしきれません。ここに、忠誠を』


 そう言って、リズは俺の足元でひざまずいた。深くこうべを垂れ、片膝と片手を地面について忠誠を示す。それは、まるで騎士のようだった。


「やめてくれ。顔を上げて」

『もはや主人はあなた。この恩に報いるためなら肉壁にでもなんでもなります』

「そんな物騒なことはやめて。……そうだな。そこまでしてくれるなら、話がある」

『話とは?』

「俺は悪政を敷くアルスハイドの英雄王、リヒターに恨みを持ってる。復讐するつもりだ。ついてきて、くれるか?」


 リズは顔を上げて驚いた顔をしていたが、返事はすぐに帰ってきた。


『私はアルスハイドの孤児でした。そして遠い戦地に繰り出されて……。だから、リヒター王には恨みがあります。ぜひその復讐、この命をもってお供します』

「そうか。ならば、主人として命じる。いついかなるときも俺と行動を共にし、共に復讐を果たすと」

『かしこまりました。この命、イルラヒム様の命のままに』


 再び頭を下げたリズは、窓から入る夕日に照らされて神秘的だった。しもべができるとはこういうことなのか、と感慨深くなる。だからといって、あの奴隷商のようにひどく扱うつもりは微塵もないが。


「これだけは約束してくれ。俺の命を守るのはいいが、決して無理をしないこと」

『かしこまりました。イルラヒム様は、お優しいのですね』


 リズが再び顔を上げて少し微笑む。その可愛らしい笑顔に俺の顔が少し赤くなる。


「美しいって、罪だな」

『そうでしょうか? イルラヒム様のほうが美しいと思います』

「ええい! やめやめ! これからご飯の支度がある。よければ母さんを手伝ってやってくれ」

『お安い御用です』


 そう言うとリズは立ち上がり、俺に一礼して部屋を出ていった。小さな足音が母親のいるキッチンのほうに向かっていく。

 俺は息をついた。そして、ベッドに横たわり今日の疲れを少し癒すことにした。


 仲間は手に入れた。それもだいぶ強力な。それにリヒターに恨みがあるなら好都合だ。

 大事にしよう。そんなことを考えているうちに、疲れからうとうととうたた寝をしているうちに、母親から「ご飯よー」という声が聞こえてきた。

 俺は起き上がり、スパイシーな香りにいつものラウムという家庭料理か、と考え、キッチンに向かっていった。

 リズは笑っていなかったが念話で母親に美味しいと伝えたようで、すぐに母親に懐かれ抱きしめられている。リズは、心なしか嬉しそうにしていた。

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