スノウ.mp3

高宮朱里

 すっかり空気が冷えこんだ十一月の朝。

 家から出ると、実果が手を大きく振りながら近づいてきた。

「おはよ~。新曲作ってきたよ! 今回はアコギで作ってみたんだ~」

「おーまじか楽しみ」

 思わぬ変化があったが、意外と表面上はギスギスすることもなく、私たちは普段通りの日々を過ごしていた。

 タイトルは『スノウ』。少しかじかんだ手でイヤホンをつけ、音源を再生する。やっぱり、この瞬間がいちばん胸が高鳴る。もうただのファンなんだよな。

 ……あれ?

 こういう感じだっけ。なんとなく、なにかが変わったような……。

 ボカロの仮歌が流れる。……いや、

「ラブソングじゃねーか!」

 思わずイヤホンを外してしまった。

「いやそうだけど、さすがに動揺しすぎじゃない? 初めてつくってみたんだけど、どうかな。こういうの最近よく流行ってるじゃん?」

「待って本当に無理……目の前にいる人間がつくったラブソングなんて……これ以上聴けない……」

「わかった、わかったから、お願いとりあえず最後まで聴いて~!」

 よし、気を取り直してもう一度聴こう。

 ……。

 実果の言う通り、最近よく流行ってるような曲だった。……逆に言えば、どこかで聞いたことがあるような、ありきたりなメロディー、ありきたりな歌詞。

 この曲を好きだという人は、きっといるだろう。でも私は、どうしようもなく嫌だった。……わかっている。私が勝手なイメージを、実果の曲に期待して押しつけているだけだ。だけど。

 ……こんなの、実果の曲じゃないと、思ってしまう。

 ねぇ実果。これが本当に、実果のつくりたい曲なの?

 実果は、実果の曲を聴いてほしいんじゃなかったの?

 でもそんなこと実果には言えなくて、私はきっと適当に「いいんじゃないかな」って言ってしまうんだろうな。……そんな自分が、少し嫌になる。


 それから一週間が経ち、十二月になった。乾燥した冬の空気みたいに、なんとなくピリついたような雰囲気が、かすかに私たちのあいだに流れていた。

 実果は最近、様子がおかしい。変に浮ついていて、隙あらばコメントを読んだりSNSを見たりしている。

 なんだかこのままだと、取り返しがつかないほどすれ違ってしまいそうだった。

 二人で冬の寒空の下を歩く。日は沈み、あたりはすでに暗かった。

「朱里~提案なんだけどさ、前にカバー動画がバズったじゃん? だからもう一本くらい、新しいやつを出したらいいんじゃないかって思っ……」

「嫌だ。もう、カバー動画は出さない」

 嫌な予感は的中し、私はほぼ間髪入れずに否定してしまった。

 実果の目がすっと細くなった。

「……なんで」

「だって、なんの意味もなかったじゃん。数字は伸びても、本当に私たちの曲を聴いてくれている人なんて、ほとんどいなかった」

「でもこれから、さらに多くの人が見てくれるようになったら、ちゃんと聴いてくれる人も増えるんじゃないかって……」

「だから流行りに媚びるような曲をつくったの?」

 とっさに、言いすぎた、と思った。しかし実果は、傷ついた様子もなく、

「そうだけど。それの何がいけないの?」

 と言い放った。

 ……私の知る実果は、もうそこにはいなかった。いや、元から私の幻想だったのかもしれない。私が勝手に、実果はなんでもできるすごい人間だと思いこんでいたのがいけなかったのだ。

 何かが壊れる音がして、私はもう、前までの関係には戻れないことを悟った。

「……もうやめよう。これ以上続けられない」

「……! なん、で。……なんでそうなるの? 朱里は……朱里は、もっと有名になれるはずなんだよ!? ……こんな、わたしなんかがつくった曲なんて歌わずに、もっといい曲を歌えば。こんなところで止まっていい人間じゃないの!」

「っ……私は有名になりたいわけじゃない! 実果の曲が好きだから、歌っていたい、ただそれだけだった。でも今、誰ひとり、実果自身でさえ、実果の曲を聴いてないじゃん! ……それなら、私が歌う意味はもう無い」

 ……実果の曲を侮辱する人間は、たとえ実果であろうと許さない。

 実果が自分の曲を卑下したことが、どうしようもなく、哀しかった。

「今までありがとう。願うなら、もっと一緒に音楽をやりたかった。……実果の曲が、大好きだったよ」

 そのまま振り返らずに、背を向けて歩き出す。

 ……もう、終わりなんだな。

 空虚な寂しさがあった。でも私はもう、実果とくだらない話で笑いあったり、二人で真剣に曲に向き合ったりはできそうになかった。

 ……だから、こうするしかなかった。きっと、これでよかったんだ。


早瀬実果

 わたしは、去っていく朱里を呼び止められなかった。

 こんなはずじゃなかった。

 ……わたしだって、朱里とこれからも一緒に音楽をやりたいって、ずっとずっと思ってたよ!

 そう言えばよかったのに、劣等感と後ろめたさが邪魔をして言えなかった。

 だってわたしは、わたしの曲を大好きだと言って歌ってくれた人に向かって、あんなことを言ってしまった。

 朱里のためだとか言いながら、わたしは何一つ、朱里のことを考えていなかったんだ。

 自分の犯した過ちにいまさら気づいても、もう遅い……。

 終わり、なのか。

 わたしの曲を歌う朱里の歌声を、二度と聴けないのか。

 これから先、朱里と笑い合うことはできないのか。

 一緒に夢を叶えられないのか。

 ……それならわたしは、明日から何をして生きればいいの?

 そう考えている自分がいることに驚く。中学生のときは、勉強して、友達とくだらない話をして、好きな曲を聴いて、それだけでけっこう楽しかったじゃないか。

 でも今は、何も目的がなくても毎日がそこそこ楽しい、そんな生活には戻れそうになかった。

 今になって、失ったものの大きさに気づいた。

 朱里との時間が、ふたりで作る作品が、今のわたしのすべてだった。

 もう、わたしは、それを取り戻すことができないのか……。

 ……いや。

 まだ、間に合うはずだ。

 このままで終わっていいはずがない!

 ただ直感的な焦燥感が胸を焼いて、気づけば自分の家に向かって駆け出していた。

 そうだ。わたしは、わたしの曲を聴いてほしかった。わたしの曲が誰かの心に届いてほしかった。ただそれだけのことだったんだ。

 なのにいつの間にか、本当に大事なものがわからなくなっていた。

 朱里が言ったとおりに、自分自身でさえ、わたしの曲を聴いていなかった。

 さっき朱里は、誰もわたしの曲を聴いていないと言った。

 それなら……!

 感情のまま、走るスピードをさらに上げた。足がもつれて、冬の空気が肺を焼く。

 くらくらしそうなほど熱い気持ちがこみあげて、体じゅうが震えて、泣きたいような、笑いだしてしまいそうな気分だった。

 ……このまま終わりにしたくない。絶対に。

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