僕が普通の人でよかった.mp4

早瀬実果

 小さいころから、どんなことでもちょっと練習したら人並み以上にはできるようになった。勉強も、運動も、芸術も、そこそこに。でも、世間でいう一流には程遠くて、一つのことを突き詰めることはできなかった。わたし自身、あまり熱中できるものがなかったし。

 でもボカロに出会った。ボカロという存在に魅了された。

 いつも魅力的で美しい曲をつくって、たくさんの人を夢中にさせるボカロPのひとたちに憧れた。

 何者かになりたかった。何かを伝えたかった。それで中一のときに、アコースティックギターと曲作りを始めた。

 歌もちょっと練習したけど、致命的な音痴は改善しなかった。皮肉なことに、数少ないできないことの一つだったみたいだ。


 太陽が容赦なく照りつける七月。

 わたしたちは、最初のオリジナル曲を投稿した。

 

 『徒然桜花つれづれおうか【オリジナル曲/露草つゆくさ】』

 アップロード日 二〇二二年七月六日

 再生回数 五十一回

 高評価数 七

 コメント 一

 説明 オリジナル曲です。

    作詞作曲 Hamica

    ボーカル みやしゅ

 

「見て! 五十再生いった! コメントもついてるよ!」

「おーほんとだ。えっと……『良い曲ですね! 歌も上手い!』だって」

「いやぁ~本当に聴いてくれる人がいるもんなんだね……えへへ」

 思わずにやけてしまう。だって、五十一回もわたしたちの曲が聴かれているなんて! 画面の向こうにいる誰か知らない人が、わたしたちの曲を良いって言ってくれるなんて! 朱里以外には曲を聴いてもらったことがなかったから、他の人に曲を聴いてもらうことが、想像以上に照れくさい喜びを与えてくれた。しかもこの人は朱里の歌も認めてくれている。そのことが自分のことのように嬉しかった。

「いや……私ってみやしゅ、なんか。名づけ失敗したわ」

「秒で後悔しないで! 歌い手っぽくてなかなかいいじゃん」

 二人とも本名のもじりで活動名を考えた。わたしは三年前から妄想し続けていたため、五十個くらい構想はあったが結局響きのかわいさで選んだ。

 ちなみに、わたしたちのユニット名『露草』はわたしが考えたものだ。ちゃんと由来はあるんだけど、なんとなく照れくさくて朱里には言えていない。


 まだ厳しい暑さが残る九月。

 直前まで取り組んでいた動画が完成して、冷房が効いた部屋に、心地よく停滞した空気が流れていた。

 その後、何曲か動画を出したが、再生数はあまりふるわなかった。正直、無名のユニットにしては想定の範囲内であるが、まぁ、欲を言うなら再生数を伸ばしたいところではある。高校生の趣味なんだし、数字を気にしすぎることはよくないのかもしれない。実際、朱里にアドバイスをもらいながら曲をつくったり、イメージをすり合わせながら歌を録音したり、慣れない編集作業や雑務に追われたりしているときはすごく楽しいし、青春だ。

 最初は、朱里をわたしの野望のために利用してやろうという、そういう気持ちがあったのかもしれない。でも今は、わたしの曲だけでなく朱里の歌も、世間にもっと認めてほしいと思うようになった。

 認められていることを、一番実感できるのは、数字の伸びだ。

 そのときのわたしは、それを信じて疑わなかった。

「朱里、こんど、実写でカバー動画出さない? わたしアコギ弾くからさ」

 そう、わたしたちは華の女子高生。ちゃんと属性を利用して売り出すべきだ。

「えぇ……嫌ですね……」

 朱里は溶けかけのアイスキャンディーのように、どろっとした顔で天を仰いだ。

「さすがにもうちょっと悩んで! ほら、この動画みたいな感じ。青春感じて良くない? こういうのやったらさ、もっと伸びると思うんだよ。もちろん顔出しはしなくていいからさ!」

「うーん……でもなぁ……こういうのってめちゃくちゃ歌上手くないと成立しないし」

「大丈夫だって、朱里歌上手いんだから!」

「それは身内びいきだよ……」

 なんでそんなに自分の能力を低く見積もるのだろうか。……朱里ならもっと高くまで行けるはずなのに。かすかな苛立ちを覚えた自分のことが、すこし怖かった。わたしは朱里の友達だけど、勝手に朱里のことを決めていい立場ではないはずなのに。

「カバー動画とかからわたしたちの曲を知ってくれる人が増えるかもしれないし!」

「うーん……まぁそっか……そういうことなら。いいよ」

 朱里は明らかに渋々といった様子で承諾してくれた。

「ほんと? ありがと〜! 曲何にする?」

 ……なんか、わたしの承認欲求に朱里の歌を利用してるみたいだな。ちくりと罪悪感が刺激した。でも、わたしたちの曲が認められるには、こうするしかないんだ、きっと……。


高宮朱里

「ちょっ、ちょっと見てこれ! 今すぐ!」

 朝七時。想像以上の涼しい空気に震えていると、実果からLINEで、昨日公開した実写のカバー動画のリンクが送られてきた。

 何も考えずに寝ぼけ眼でそれを開くと、

「……え?」

 

『【歌ってみた】僕が普通の人でよかった【露草/みやしゅ】』

 アップロード日 二〇二二年九月三十日

 再生回数 十四万回

 高評価数 千八百十四

 コメント 二十二

 説明 はるごろもさんの「僕が普通の人でよかった」を歌わせていただきました。

 歌唱 みやしゅ

 ギター Hamica

 

「十四万……!?」

 現実感のない数字に思わず目を疑い、嬉しさよりも先に「なんで?」という疑念が湧き上がった。

 しばらく呆けたように突っ立っていると、実果から電話がかかってきた。

『見た? すごくない!?』

「……見た。見間違いでもバグでもない、よね」

『そうだよ! ……とりあえず、朱里の歌がこんなにも評価されてるってこと! まぁ当然の結果だけどね!』

「……う、ん」

 最初の動画は、五十一回再生されているんだ、クラスの人数よりちょっと多いかな、くらいの実感があった。でも今は、十四万という想像もつかない大きな数に、途方に暮れるしかなかった。

 こんなこと言うのもあれだけど、正直、私の歌が評価されていても嬉しいという感情はあまり湧いてこなかった。

 ……私は、実果の曲のために歌っているから。

 でもこれをきっかけに、実果の曲を聴いてくれる人が増えてくれたらいいな。


 カバー動画をきっかけに、オリジナル曲の再生数も少し伸びたらしい。確認してみると、直近の動画は二千再生を越していた。

 ……やった。やっぱりこっちの方が嬉しい。あ、コメントもけっこうついてるな。

 『高校生でこれはすごい!』『やっぱり歌上手いな!』『正直ボーカルだけで活動すればいいのにもったいないよね』……

「……え」

 愕然とした。

 誰も、実果の曲を聴いていなかった。私は思わず目を覆った。

 ……私たちの属性も、私の歌の技術も、どうだっていい。実果の曲を聴いてほしい、それだけ、なのに……。

 数字が大きくなったからといって、実果の曲を聴いてくれる人は増えなかった。……こんなはずじゃなかったはずなのに。無性に泣きたい気分だった。

 ……実果は、曲が聴かれていないことに、ちゃんと気づいてるのかな。


早瀬実果

 カバー動画の再生数はさらに伸び、いまや三十二万再生を突破した。オリジナル曲も、二万再生を越したものもある。

 電話で「当然の結果」だって言ったけど、本当に朱里はもっと評価されるべきだったのだ。SNSでの地道な宣伝が功を奏したこと、タイミングやたまたま多くの人の目に留まった運の良さのもあるが、いちばんの要因は朱里の実力だろう。

 動画についたコメントにはすべて目を通している。大半が好意的なものだが、どうしても批判的なコメントが目についてしまう。見ないほうがいい、気にしないことが一番だとわかっているのに。

 朱里の歌も評価されてほしいと、わたしは心から思っていた。でもわたしは今、純粋に「やっぱり朱里はすごいね」って言える? ……わたしの望むとおりになったはずなのに、喜びの感情は湧きあがってこない。胸に残ったのは嫉妬と羨望だけだ。

 朱里の歌に惹かれた人たちが、わたしの曲も聴いてくれている。それってつまり、わたしは朱里の実力を利用しているだけじゃないのか。……だとしたら、あまりにも醜い。

 わたしのつくる曲が、朱里の実力とつりあっていない。ただそれだけのことだ。

 中途半端な器用さなんていらない。ただ、実力が、才能が欲しい。あらゆるものを惹きつけるような、良い曲がつくりたいだけなんだ。

 そう思うのは贅沢なんだろうな。

 わたしがもし、もっといい曲を作れたら。それなら朱里は、胸を張っていられるのだろうか。わたしは朱里の隣を、堂々と歩けるのだろうか。

 ……いや、こんなことを言っていても仕方がない。未来の、先のことを考えよう。

 今回のことでわかった。どれだけ良い歌も、聴いてもらわなければ意味がない。

 どうにかして知名度を上げないといけない。朱里も、もっとカバー動画を出した方がいい。わたしも、聴いてもらえそうな、流行りそうな曲をつくらないと。そうすればきっと、このコンプレックスは消えるはずだ。

 わたしのためにも、朱里のためにも……このまま、進み続けるしかない。

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