朝露

ひつゆ

徒然桜花.mp3

高宮朱里たかみやしゅり

 うららかな春陽に照らされた四月。

朱里しゅり?」

 桜のまぶしさに目を細めながら学校への道を歩いていると、なんとなく聞き覚えのあるような、なつかしい声が私を呼んだ。

「え。……実果みか?」

 振り返ると、桜吹雪のなかに、私と同じ制服を着た小学生時代の親友が微笑んでいた。

「やっぱり朱里だったんだ! 久しぶり!」

「もしかして同じ高校? よかった……知り合いいないからどうなることかと……」

 当たり前のことだけど、実果はすっかり背も伸びて、髪型も変わって、別世界の人間のように垢抜けていた。会話しているだけできらびやかなオーラに圧倒される。

「わたしもだよ~! いやぁ、会うの小学生のとき以来じゃない? 高校でもまた仲良くしてね!」

「いや、その、こっちこそ……」

 嘘つけ絶対知り合いいるだろ実果なんだから。そんな軽口も昔なら言えたんだろうけど、なんとなく飲み込んでしまう。

 なんか、三年ぶりに会っても普通に話せるものなんだなあ、とぼんやり思った。私は久々すぎて、ちょっと、いやだいぶ緊張したけど。

 そのまま二人でクラス分けを見た。実果とは同じクラスになった。よかった、これで孤独な高校生活は回避された……。


 小学四年生のとき、私と実果は出会った。

 当時の実果は、勉強も運動も何でもできて、いつもみんなの中心にいるような子供だった。

 たくさんの友達に囲まれいて、昼休みには外に遊びに行って、よくみんなから頼られていて、ずっと笑顔で、明るくて、だれに対しても優しくて。私とは何もかも違って、あまり話したことはなかった。

 そんな人気者と、一人だった私を結びつけてくれたのは、ボカロだった。

 ボカロとは、初音ミクなどの合成音声ソフトのことで、それを使ってつくられた曲のことも指す。小学四年生でボカロが好きだったり、インターネットをやってる人はあんまりいなくて、私たちの間にはなんとなく連帯感が芽生えた。

 私は実果と比べて友達もいないし、明るい人間じゃないし、実果みたいな子と話していいんだろうか。最初はそんなことばかり考えていた。

 でも話してみるとけっこう気が合って、私は実果の友達になって。

 学校がつまらなくて休みがちだった私を、実果は毎朝、家の窓をノックして外に連れ出してくれた。

 私にとって実果は、世界を色鮮やかに塗り替えた救世主のような存在だった。


 それから、私たちは別の中学校に進学して、自然と疎遠になった。

 私はまぁ、うん、友達ができなかったのと部活に入らなかったこともあり、時間を持て余していた。

 それでなんとなく、親はあまり家にいなかったのもあって、中一のときから家やカラオケで歌を練習し始めた。

 練習してちょっと上手くなったかなと思っても、ネットの世界にはもっと上手い人が腐るほどいる。だから私は自分の歌を、あまり上手いと思ったことはない。でも、上手いかどうかにかかわらず、好きな曲を歌うのは楽しかった。

 実果の歌を聴いたことはないけど、きっと私より上手いんだろうなと思ってしまう。私はずっと無意識に、実果の背中を、勝手な理想を追いかけているのかもしれない。


早瀬実果はやせみか

 爽やかな風が吹き抜ける五月。

 あっという間に、高校に入学して一か月が経ってしまった。わたしも朱里も部活にはなんとなく入っていなくて、それはそれは暇だった。

「ねーねー今日カラオケ行かない? あ、もし予定あったらいいけど」

「もちろん予定はないから行こう」

「即答だね? でもさ、わたしと朱里でカラオケ行ったことないよね。まぁ小学生だったからな~」

 最初はちょっと他人行儀というか挙動不審だった朱里も、だんだん慣れてきたみたいで、最近は小学生のころみたいに話せるようになった。

 駅の方の繫華街(といっても田舎なのでしょせん知れているが)の方に向かい、さびれたカラオケ店に入る。

 朱里はすぐに一番安いドリンクを頼んで、デンモクでランキングをチェックしていた。けっこうカラオケに慣れていそうな様子だ。朱里の性格からすると少し意外に思った。パリピたちとカラオケではしゃぐ朱里……これ以上ないくらいの解釈違いだ。

「一曲目どうするー? あ、これにしよっかな」

「どれ? おー、それ一人で歌うのか。かわいそうに……」

「いや、朱里も歌うんだよ! ほらほら!」

 あ、ちゃんと歌ってくれるっぽい。と思ってわたしが歌いだすと朱里が唐突に吹き出した。おい。失礼だろ。

「ねぇ~何? いや言いたいことはわかるけどさ」

「いやちょっ、ごめん……ふふははっ……なんか、なんだろ、予想外というか……くく」

「あーはいはい、わたしも自分が音痴だって知ってますよ! ……ちょっと、さすがに笑いすぎじゃない?」

 朱里は終始半笑いで歌っていた。そこまであからさまだと傷つくよ……。

「あーもう次朱里ね! その次入れるやつ探しとくから」

「ごめん……馬鹿にしてはいない……くくく……あ、これにしよ。やば歌えるかな」

 朱里はバラード調の曲を選んだ。温度差すごいな。笑いをこらえようとして深呼吸したあと、朱里が歌いだした。

 え……。

 わたしは思わず顔を上げて朱里のほうを見た。

 ……上手い。音程も声量も安定していて、息継ぎのタイミングも完璧だ。

 高校生っぽくない、明らかに「歌いなれている人」の歌い方。

 しばらく、馬鹿みたいに目を丸くして聞き入ってしまった。

 間奏に入り、朱里が訝しげにこちらを見やった。朱里、めっちゃ歌うまいね、すごいね、練習してたの。何か言おうとして口を開いたけど、何も言えなかった。

 そっか……。

 もう朱里は、あの頃の朱里じゃないんだな。

 三年間も会ってなかったんだ。そりゃ変わるよね。

 朱里は結局何も言わずにまた歌いはじめた。曲が曲だから、ラスサビでは不覚にも涙ぐみそうになってしまった。

 朱里は、ただ歌がうまいだけじゃない。聴いている人の心に届くような、そんな歌が歌える。

 ……もしかしたら、朱里ならわたしの夢を叶えてくれるかもしれない。

 曲が終わると同時にわたしは全力で拍手しながら言った。

「朱里、めっっっっちゃ歌上手いね! すごい! 泣きそうになったんだけど! やっぱ練習とかしてたの?」

「え、いや……そんなに? ありがとう。中一のときから家とかカラオケとかで練習してたから、それで」

「そうだったんだ! いやもうほんとにすごいよ! こんなに歌上手い人見たことない!」

「いやそこまでじゃないって……もっと上手い人たくさんいるし。実果も上手いじゃん」

「おいちゃんと聞いてたか? 耳が良いのか悪いのかどっちなの? え?」

 最初は謙遜なのかと思ったけど、本当に自分の歌の上手さにピンときていなさそうだった。

 こっちはお世辞じゃなくちゃんと褒めてるのにな……あんまり、自分の能力を過小評価しないでほしい。そういうところは昔と変わってなくて、少し胸が痛む。

 そのあと、こんな上手い歌を聞かされたあとに歌えるわけがなく、ひたすらコールを打って拍手して感想を言うのに徹していた。あれ、わたしがカラオケ行きたいって言ったんだよね……。


高宮朱里

 実果がまったく歌ってくれなかったので喉が枯れかけた。冗談抜きに、私はけっこう実果の歌、好きなんだけどな。上手くはないけど、変なあたたかみがあって。

 カラオケ店から出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。腹減ったなぁ。

 二人で田舎道を歩いていると、実果が急に立ち止まった。

「実果?」

「あのね! ちょっと頼みたいことがあるんだけど……えっと、わたしの曲を、朱里に歌ってほしい! それで、動画にしてユーチューブにあげたい!」

 ……はい?

 なんだその青春アニメのPVみたいなセリフは。

「待って情報量が多すぎる。……え、まず、実果って曲つくってたの?」

「いやぁ実は……誰にも言ってなかったんだけどさ。朱里と同じで、中一のときから。DTMとか、あとアコギもやってる」

 へぇ……そうだったんだぁ……。たぶんそのときの私は阿呆みたいにぽかんとしていた。

 実果は私と同じで中一から、って言うけど、私のたいして上手くない歌なんかより、曲をつくるというのは、とてつもなくすごいことなんじゃないか。

「はっ……そうだよ。私、ネットに載せられるほど歌上手くないし」

「それさー本気で言ってるの? ぜんぜん上手いじゃん! 少なくともわたしはめちゃくちゃ上手いって思ったの! ……信じられない?」

「まぁあの歌声の持ち主だからな……」

「それはもういいから茶化さないで! あーもう、じゃあとりあえず曲聴いて! 考えるのはそれからで良いから」

 差し出されるまま実果のスマホとイヤホンを受け取る。『徒然桜花』というタイトルらしきものが表示されている。

「なんて読むのこれ?」

「つれづれおうか。……あーっ、なんかめちゃくちゃ恥ずかしくなってきた! 何も言わずに聴いて!」

 実果が再生ボタンを押した。

 始まったとたん、エレキギターのサウンドが脳を揺らした。

 あ……。

 イントロが終わり、ボーカロイドが歌いだした。一見実果らしくない、でも実果の好みの曲らしい、優しさのなかに引っ掛かりがあるような歌詞だった。

 さっきまで一緒にカラオケにいて、いま目の前で気まずげな一人の高校生が……この曲を、つくったのか。

 曲が終わる。思わず止まっていたかのような呼吸を再開した。

 全身が火照っていて、熱に浮かされているようだった。

「どう、だった?」

「……すごい、すごい良かった。めちゃくちゃこの曲が好きになった」

「ほんと? ありがとう、嬉しい! それで、どうかな、さっきの話……」

 正直、迷っていた。インターネットは怖いし、実果の期待に応えられないかもしれないし、これを私が歌ったらどうなるのかわからないし。

 でも。

「私、この曲を歌いたい。実果の曲を、もっとみんなにも聴いてほしい」

 何よりも、実果の曲を歌いたいって、心からそう思えた。

 そのとき私は、くらくらして倒れそうなほどに、実果の曲の虜になっていた。

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