呪い

「月が綺麗ね」


 ボソッと亞里亞さんが呟いたのを聞き、俺は空を見上げた。

 これから友人のことで何が起こるのか分からない状態で見上げたそこには、丸くて大きな月が見える。

 正真正銘の満月……しかも夜にこうして月を眺めることなんてそうそうなかっただけに、しばらく見つめてしまう。


「まるで何も心配がないって言ってくれてるみたいじゃない?」

「そうだと良いんですが……いや、きっとそうですね」


 後ろからギュッと抱き着き、耳元で囁いてくれる世那さんにそう返す。

 普段ならドキッとしてすぐさま離れようとしたりするんだが、状況が状況なだけに気分はとても落ち着いている。

 それに、正面や横から抱き着かれたりするよりもどこか……こうやって背後から世那さんが抱き着いてくるのは体が慣れている気がするんだ。


(……とはいえ)


 落ち着いてはいる……居るんだが、チラチラと見てしまうのが亞里亞さんの胸部分……乳暖簾だ。

 動くたびに捲れそうになるのも目に毒だし、もしも他人が向こうから歩いてきたりしたらどうしようって不安にもなる……というか、こんな姿を誰にも見せたくないなんてことさえ考えている。


(夜もそこそこ遅いし魔法によって姿は見えない……それでもこんな亞里亞さんの恰好は見られたくない)


 そしてそれは世那さんも同じ……これは果たして独占欲なのかどうかは分からないが、亞里亞さんに関しては間違いなく独占欲だろうか。


「大丈夫よ。あなたが居るからこそこの格好だけど、ちゃんと誰に見えないようにしているから」

「っ……」


 考えていることも全てお見通し……顔を伏せた俺の頭を亞里亞さんは撫で、クスッと笑う。

 それからしばらくして翔の家に辿り着いた。

 翔の家には何度も来たことがあったので道に迷うことはなかったし、家の構造もちゃんと把握している。


「ここが翔の部屋だけど……もう寝てるみたいです」

「高校生にしては早いと思ったけどそうでもないのかしら」

「ほら、莉愛だって早いし?」

「あぁ……ま、早く確認しましょうか」


 一応、魔法を使って翔が眠っているのも確認した。

 そして窓ガラスをすり抜けるようにして中に入ると、ベッドの上で魘されている翔を見つけた。

 俺はすぐに駆け寄ろうとしたが、それ以上に変化があった――それは亞里亞さんと世那さんの様子だ。


「亞里亞さん……? 世那さん……?」


 二人がジッと翔の顔を見つめている……そして、亞里亞さんが怒気を込めたような表情となり、手に魔法でナイフのようなものを生み出して翔へと向かう。


「ちょ、ちょっと亞里亞さん!」

「っ!?」


 流石の俺もすぐに体を動かし、亞里亞さんを制止する。

 決して彼女に言わないような大きな声が出たのは、それを絶対にさせないため……でも、どうして?


「……ふぅ、母さんが動いたから私は止まったけど……なるほどそういうことだったんだね」

「世那さん……?」


 世那さんは何かを察したらしく、険しい表情のままだが落ち付いた口調で教えてくれた。


「この子……正確にはこの子の前世なのかな? かつて、父さんが死ぬ原因になった相手だよ」

「……え?」


 俺が……じゃなくて、前世の俺が死ぬ原因?

 そういえば結局、その辺りの詳しいことは聞かなかったけど……まあどこの世界に前世とはいえ死んだ原因を聞きたいんだって話だが。

 夢で見た光景としては何かしらの病気だったことは分かるんだけど、それ以外のことは分からない。


「母さん? 落ち着いた?」

「えぇ……」


 小刻みに体を震わせる亞里亞さんを見ていると、居ても立っても居られずにその体を抱き寄せた。

 懐かしい……そしてクセになりそうな魔性の感覚に充てられながらも、俺は亞里亞さんの頭を撫でた。


「大丈夫ですよ亞里亞さん。俺が居ますから」

「刀祢……っ」


 しかし……こうしているのが友人の部屋だってんだもんな。

 亞里亞さんを抱きしめ、世那さんが優しく見つめ……とはいえ色々と察してきたかもしれないな。


「……落ち着いたわ」

「詳しく聞いて良いですか?」

「分かったわ」


 そこから亞里亞さんは教えてくれた。

 翔の前世は俺に呪いを掛けた魔女狩りであり、亞里亞さんが輪廻転生してでも逃げ出せない衰弱の魔法を掛けた相手であることを。


「……………」

「私は絶対にあいつを許すことが出来なかった……だからたとえ生まれ変わっても、必ず弱って死ぬ魔法を掛けたのよ」

「私も憎悪は凄かったけど、母さんはそれ以上だった……生きている間に体をバラバラにしていき、最終的に魔法を掛けながら心臓をすり潰して殺したから」


 正直なことを言えば、俺が呪いを掛けられたこととか翔が前世のそいつだったりとか……確かに驚くべきことではあったけど、それ以上にこの亞里亞さんがそこまでの残酷なことをしてしまうほどに怒ったこと……それが俺は衝撃だった。


(それだけ……俺の存在が大きかったってことなんだよな)


 愛のためなら人は狂うだろう……だが、想いのベクトルが更に大きく重たい魔女だからこそだろうか……まあでも、思ったよりも早く原因が分かって良かった。


「その魔法は解くことが可能なんですか?」

「問題ないわ。この魔法が解けたからと言って前世を思い出すわけではないけれど……それでもあなたは――」


 なら俺の言うべきことは決まっている。


「じゃあ、魔法を解いてください。今の翔は俺にとって大事な友人なんですよ――前世で呪いを掛けられたとか、そんなのは関係ない……今の俺と翔には関係のないことだから」


 そう……前世のことなんて関係ない。

 全部が全部関係ないとは言えないかもしれないが、それでも今の俺たちにとって何の関係もないことで翔が苦しむなんて許せない。


「お願いします」


 そう言って頭を下げた。


「分かった……そうね。まさかこんな偶然があるのかと驚いたけど、あなたが言うのなら従いましょう」


 そうして、翔に掛けられていた魔法は解かれた。

 魘されていた翔は穏やかな表情へと変わり、完全に悪夢からは解き放たれたようで、俺は大きく息を吐くように安心した。

 ただ前世の恨みというのは中々に根深いらしく、一旦は許したが顔は二度と見たくないと世那さんは言っていた……まあ流石に俺も嫌というものに対してそれ以上のことは言えなかった。


「……亞里亞さん?」


 そして、翔の家から去った後……西園寺家から荷物を持って家に戻った後のことだ。

 もう寝ようかとベッドに横になってすぐ、窓ガラスをすり抜けるように亞里亞さんがやってきた――さっきまで着ていた際どすぎる魔女衣装なんて比ではないほどにスケスケのネグリジェ姿。


「刀祢……」


 横になっていた俺に跨り、そのまま唇を押し付けるようにキスをしてきたのだ。

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