いろり2
注文したぬか漬けが到着した頃に、最初にやいていたヤマメが良い感じに焼き上がっていてまるでハムスターが向日葵の種をかじっている様なしぐさでホクホクの魚を口にして。
「うんまぁ~♪」ほっぺたを押さえながら、実に幸せそうな顔をしていた。
「後輩君のは、もう少しだね。こう囲炉裏からパチパチって線香花火みたいな火花があがってさ、川魚の薄い皮がもうパリパリに仕上がるのよね♪」
よく見れば、囲炉裏のふちには魚の油が落ちたような痕がしっかりと残っていた。
こうして、よく見てみれば実に風情があって灯りに映る先輩の顔はいつもよりずっと明るい。
「にしても、よくこんな所見つけましたね」
「いやぁ~、弊社ブラックじゃない?。 不覚にも、倒れちゃったんだよね~。後輩君が来る前の話なんだけど」
その時に救急車を呼んでくれたのが、今日玄関であったここの店の店員さんだったと言う訳。んで、最初はありがとうだけ言って粗品渡して帰るつもりだったのだけど……。
「都会にあるのに都会を忘れ、明日も地獄の忙しさなのに。全てを忘れて、こうして魚一つ食べるのに一時間も二時間もかけて、無駄の極みみたいな事して」
ーーそれが、凄く良かったんだよねーー
その時の先輩の表情は何処か、泣き笑いの様な表情で。
「だからさ、後輩君も私みたいにならない様に。こういう、息抜きの方法でも教えとこうかなって思ったの」
ーー似てたからさ、私と君はーー
「なんか、ありがとうございます」自然とそんな言葉が口から出ていた。
急に手をパンっと一つ叩くと、「はい、湿っぽい話はこれでおしまい。今日は飲むぞーー!」その宣言に、思わずずるっと肩が落ちた。
「後輩君、君のヤマメも焼けたよ」ほらっと今手に持ったヤマメをすっと差し出してくる。
「ふーふーして食べるのだぞ、それとも私がやってあげた方がいい?」
「自分でやりますから」
素早くヤマメを、先輩から取り上げると香ばしい香りがすぐに広がった。
「ほーら、この魚にカンした日本酒がよくあうの。日本酒カンして旨さドラ八~なんてね」
「先輩酔ってます?」
よく見れば、顔は紅いし。よく聞かなくても、口調が怪しい。
「まだ、大丈夫ぅ」
(全然、大丈夫そうに見えないんですが)
「弊社で大丈夫じゃないのは人員とか、給料とかだけで~す」
(いや、僕もそこの社員だから全然笑えないんですが)
そんなやり取りをしていると、ぬか漬けがやってきた。
「この網の上で焼いて、程よく水分が抜けたら食べ時ですよって」
そういって、すぐに店員さんが下がっていった。
トングで、ニンジンだか、キュウリだかと並んでいるそれを丁寧に並べ。
既に、出来上がっている様に見える先輩をみた。
「後輩君、おつまみ~」「はいはい……」すでに、名前を呼んでもらう事を諦めそこからは豆腐だのぬか漬けだのを焼いては皿にのせていく。
嬉しそうに食べる先輩を見ながら、調理マシンと化して先輩のおつまみを作っていた。
「結局、僕が食べたのヤマメとぬか漬けだけじゃないか……」
そんな事を言いながらも、きちんと丁寧に作っては先輩のお皿にのせてその幸せそうな顔を見ているだけで「まいっか」となった。
そうして、いつしか僕が最初に飲んだ日本酒の酔いも薄らいでいき。
「ラストオーダーの時間です~」と各部屋に連絡して回る店員さん達の声が聞こえて来た。
「あぁ、もうそんな時間なんだ。先輩、ラストですって」肩をゆすって、すっかり出来上がっている先輩を起こそうとするがビクともしない。
しょうがないので、店員さんに「すいませんー、お会計とタクシーお願いします」と言った。
(全く……、先輩は癒されてるかもしれないけど僕は散々だ)
そうして、先輩の頭を膝枕しながら。「早く起きてくださいよ……」と呟いた。
やってきた店員さんに、変な誤解をされそうになりながらも。何とかお会計を済ませ、「領収書、お願いします」と言った。
しばらくして、周りの声が徐々に消え。古民家に相応しい静寂が訪れ、すぅすぅと先輩の寝息が聞こえてきた時点で僕は先輩を起こす事を諦め。
「連れてきてくれて、ありがとうございました」とどうせ聞こえていないであろう寝顔にむかってお礼を言った。
店員さんが、「タクシーが来ましたよ」と小声で教えてくれ。僕は、もうしょうがないので覚悟を決めておぶってタクシーまで運んだ。
その後しばらくして、タクシーの中で眼が覚めた先輩はきょろきょろと周りを見渡し額に手を当てながら「あちゃー」とやっていて。
「どの位、私寝てた?」と尋ねられたので「ぬか漬けの後、やけにハイペースで豆腐やらつくねやら食べてた辺りですから、丁度二時間位ですよ」と僕は腕時計を確認しながら答えた。
「お会計は?」「僕が全部払っときましたよ、領収書貰ったんで後で半分下さい」
「そこは、奢ってくれると嬉しいかなーなんて」「弊社ブラックで給料ヤバいって先輩がさっき言ってたじゃないですか、諦めて下さい」
ふぁーいと木の抜けた返事をして、茶色の地味なハンドバックをごそごそやるとピン札を一枚だした。
「最近、新札に変わって風俗狂いのオジサンの顔になっちゃって。お金なのにこれ嫌なのよね~」そんな事をいう先輩に「変わったっちゃったものはしょうがないでしょう」となだめる。
ふと、タクシーの窓から移る星が眼に入った。
「凄い、満天の星空ね」「今日は、七夕だし天気が良いですし。ここにはビル群の灯りも何にもないですから、星がよく見えますね」
「七夕かぁ、昔は短冊とか書いたな」ふと、僕は思い出す様にそんな言葉が口をついた。
「願い事、書いても大して叶わなかったから。書くのやめちゃった」
先輩がそんな事を言ったので、気になって尋ねる。
「先輩、どんな願い事書いてたんです?」
「後輩君が先に言ったら、教えてあげる」
後部座席で腕を組んで、一生懸命子供の頃を思い出しながら。
「最初は、おもちゃのロボットが欲しい……だったかな。ボールが欲しいって書いた事もあったし、自転車が欲しいって書いた事もあったかな」
「もし後輩君が、今書いてすぐ叶うならどんな願いがいい?」
少し影のある顔で、先輩がそんな事を言った。
「世の中のブラックが、全部潰れますように」僕は間髪いれずにそう答えた。
先輩は、きょとんとしながら「夢が無いな~」と笑った。
「私?私はね、最初はバケツが欲しかったの。プラスチックの奴、私だけこう砂場で浮いた古い奴だったから。女の子って、そういうのすぐ浮いちゃってドン引きされるの」
それが、小学生になっても、中学生になっても、高校生になってもずーっとそうなのよ。
「だから、七夕が来るたびに。浮かない様になりたくて、色んなものが欲しいって書き続けたけど叶わなかった」
だから、書くのやめちゃったと悲しそうに笑う。
「じゃあ、大人になった今ならそういったものは自分で買えるようになった訳だけど。もし、今すぐに書いて叶うならどんな願いがいい?」
しばらく、梨野が考え込んで答えた。
「男女問わず、素敵な出会いがありますように……かな」
「無いの?出会い」そう、思わず聞いてしまう。
「恐ろしい程、無いわよ」まるでさっきまでとは別人のように冷えた声だった。
「会社行って、家帰って泥の様に眠る。誰かに合うのは会社やお客様の所に出る時だけ、話すのは仕事の事だけ。まるで、ハムスターの滑車のような毎日じゃない」
「うっ、それは……確かに」
思わず、納得してしまう。
「だから、こうして時間も喧噪も忘れて誰かと星を見たり。お酒を飲んだりって凄く楽しくて♪」
僕は、その時の先輩の顔を忘れる事はないだろう。
丁度街灯を通りすぎる様な、場所で見たその輝くような表情は。
僕が、一度も眼にしたことのないものだった。
そんな、毎日に疲れた先輩だからこそあぁいう場所は必要なのかもしれない。
<続く>
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