メドゥーエク街を護る者たち
メドゥーエク街を解放した翌日、昼にて改めて会議が行われた。出席者はメドゥーエク街代表アルマト、メルカ教団教皇ハタルア及びユノア枢機卿、トカレスカ騎士団団長アニール・トカレスカ及びエルベン・シエジウムとイヴイレス・シャンダル。場所はルダーム・シェルトの大神社の大広間で行われる。
「皆様、今日はお越しいただきありがとうございます。今回はこのメドゥーエク街の今後について話し合いたいと思います」
メドゥーエク街の住人達が群がって会議を見守る中、頰のこけた女アルマトがそう言って会議の進行をする。
「昨日、このメドゥーエク街はトカレスカ騎士団とメルカ教団の力で鼠衆会から解放されました。鼠衆会に支配されていた頃は理由なき殺人や恫喝、強姦が相次いでおりましたので解放された事には街の皆は喜んでおります。しかし、目下の問題がひとつあります。それは、街を守る戦力の不在です。我らメドゥーエク街は鼠衆会に支配されてからは戦力を骨抜きにされ、戦いのノウハウを持つものはいません。なので、私たちとしてはトカレスカ騎士団とメルカ教団の庇護下に入るしかありません。……私たちからはこの次第でトカレスカ騎士団とメルカ教団に武力による助力をお願い申し上げます」
メドゥーエク街を誰が守るか。それは、メドゥーエク街を誰が支配するかに他ならない。いつの世も、剣は持たざる者より持つ者の方が強いのだから。そして、兵力が多く権威もあるのはメルカ教団の方だ。そういう次第でアニールは敢えて黙していたがーーー
「私は、トカレスカ騎士団とメルカ教団が共同でメドゥーエク街を保護するのが良いと考えます」
そう言ったのは、教皇ハタルア・トゥメルカだ。アニールが驚きに目を点にして、ユノアの反応を見る。他人の隙を見つけるとすぐつけ込もうとする癖のあるユノアが、既に教皇ハタルアの発言を知っていたかのように表情を変えない。
時は、まだ陽の出ない朝に遡るーーーーー
メドゥーエク街の旧貴族邸を教皇の仮の寝所としていたメルカ教団。その枢機卿ユノアは、ひとりで教皇ハタルアの寝室に踏み込んだ。その首元に剣が迫る。
「……ユノア殿か。失礼した」
教皇ハタルアの護衛シルスがその剣を納め、直立不動で敬礼する。ユノアは特に驚きもせずに人ひとり分山盛りになったベッドの方を見る。
「ハタルアあー! もうすぐ陽が出るぞ! 朝の礼拝すんぞ、起きろ!」
なんと、ユノアが教皇の名を呼び捨てにして起こしたのだ。
「んっ、うーん? ああユノア、起こしてくれてありがとう、お前の声はいつも五月蝿いな」
薄着の寝巻き姿の教皇ハタルアがむくりと起き上がる。乱雑にベッドを退け、高級の絹のような柔肌を晒しながら立つ。
「まったく、環境が変わると寝坊をしやすくなる癖は直らないのかハタルア。振り回されるこっちの身にもなれよ」
「すまんすまん、これでも鍛えてるんだけどね。でも直前になったらシルスが起こしてくれるはずだろ。ユノアお前、別件があって来たんだろ」
起きがけのハタルアの頭の回るのにユノアは感心しながらも、努めて真剣な心持ちに直して口を開く。
「……さすが、いつも目ざといなハタルア。このメドゥーエク街について話がしたいんだ」
「へー。まあ君の答えは予想がつくけどね」
「枢機卿として進言する。このメドゥーエク街を正式にメルカ教団の支配下としたい」
ぴたり、とハタルアの着替えが止まる。ハタルアは逡巡したあと、首を横に振る。
「それは私も考えたけどね、長期的に考えたらマイナスだ。それはできないよ」
「……何故。大陸の国々が滅んだ現状、自らを守る力が無いものは他の力にどうしても縋りたいはずだ。だからメルカ教団がこのメドゥーエク街を守る代わりに支配下にすることには何ら異論はないはずだ」
「だけど、この街の主な宗教はルダーム・シェルトだよ。いくら友好な宗教でも、流石に異教に支配されるのは良い顔をしないんじゃないか。今はうまくいっても、5年10年と経つうちに強い反発が必ず出る。私は安定を望む。そんなやり方はできない」
ハタルアの反論は的確で、言い返すことのできないユノアは押し黙る。それさえも見透かしたかのようにハタルアが微笑む。
「とはいっても、私に案がないわけではない」
「……何だ、それは?」
「それはーーー」
時は戻る。教皇ハタルアの共同保護の申し出にアニールが目を丸くし、アルマトが少し驚いた顔をする。
「どうでしょうか? 私たちメルカ教団からすればトカレスカ騎士団との交流も深まり、活発な交流ができると思うのですが」
教皇ハタルアが微笑みをアルマトとアニールに向ける。教皇ハタルアの思わぬ譲歩により、棚からぼた餅が落ちてきたような感覚に囚われたアニールはただ頷くしかできない。
(……この申し出、考えたな)
アルマトは心の中でそう呟いた。
(いきなりメルカ教団がこの街を統治するのでは、ルダーム・シェルトの反発が必ず起こる。だが、敢えてトップがルダーム・シェルトを信仰しているトカレスカ騎士団を介入させることで反発心を和らげて安定を取る狙いか。トカレスカ騎士団は規模が小さいから、いずれかトカレスカ騎士団の分まで乗っ取るつもりかしら)
そこまで考え至り、アルマトはこけた頰を撫でて頷く。
「その申し出、メドゥーエク街の代表として受け入れましょう」
布に隠れて見えないハタルアの顔が少し傾いた時、アニールは言い知れようの無い敗北感を味わった。アニールは政治の領域に疎く、今この場においては”トカレスカ騎士団が体よく使われた”ということしか理解できなかった。
「それでは、私たちメルカ教団からは聖兵15名と技術者2人、大司教1人と数名の聖職者をこの街に置かせてこの街における全権を大司教に委任します」
淀みのない清水のような言葉でおよそ準備していたであろう事柄を言い切った教皇ハタルアが布の奥からアニールに目を向ける。次はアニールの番だとでも言うように。
惑うアニールの手を、エルベンが卓の下で握る。突然の行いに心臓が跳ねたアニールは、その意図を問うような眼をエルベンに向ける。
(原点を思い出せ、アニール。俺に難しいことは分からねえが、アニールのやりたいことをすればいい)
エルベンが努めて小さな声でアニールを励ます。アニールは青色の前髪を揺らしながら天を仰ぐ。
(私は誰も理不尽に命を奪われない世界を創りたかったんだ。そのためにはどうすればーーー)
次にアニールは辺りを見回す。天井や壁などに取り付けられた様々な窓から白い日光が差し込む大広間の中、住人たちの表情が十人十色に浮かび上がる。不安そうにする者。期待の色を浮かべる者。退屈そうに眺める者。
(ーーーそうだ。この世界には様々な人々がいる。私たちだけじゃない。みんなで一緒に強くならなきゃいけない)
頭を真正面に戻したアニールが息を大きく吸って、宣言する。
「我がトカレスカ騎士団は、このメドゥーエク街を強くします」
アルマトが目を大きくしてアニールを見、教皇ハタルアの顔を覆う布が大きく揺れた。
「私たちトカレスカ騎士団はまだ隊員数が私も含めて12人しかいない、小さな騎士団だ。そして、敵は鼠衆会だけを考えても計何百人といるか分からない強大なものだ。我々だけでは立ち向かえない。メドゥーエク街の皆さんの助力も必要だ。だから我々がメドゥーエク街の人々を鍛える。そして助力をお願いする。その代わり我々も共にこの街を護り、この大陸を秩序に導くことを約束する」
即興で考えたとは思えないような言葉を、アニールがつらつらと語る。その声には力が籠もっており、またアニールはアルマトや教皇ハタルアだけにではなく会議を見守る住民たちの顔を一人ひとり見回しながら語った。顔を見られた住民は顔を水で打たれたかのように姿勢を正し、或いはアニールの熱を受け取ったかのように勇む者もいた。
「勿論、我々はティール港町の守護もあり、全員をメドゥーエク街に駐在させるわけにはいかない。そういうわけでハタルア教皇聖下の共同保護の申し出を受け入れて、私とエルベンとユーア、アルトがここに駐在する。あとのみんなはティール港町に戻って、港町のみんなと港町を護ってくれ。イヴイレス、頼める?」
アニールがイヴイレスに向けた顔は、自信に満ちた微笑みだった。高い窓からの白い光のせいでイヴイレスはアニールの顔が眩しく見えた。それだけでイヴイレスは全てを飲み込み、頷いた。
「分かった。俺は8人でなんとかしよう。そっちはたった4人だが、大丈夫か?」
「大丈夫、聖兵が15人もいるし、メドゥーエク街のみんなと一緒に強くなれば問題ないから」
「了解した。団長の仰せのままに」
イヴイレスとの会話を終えてアニールが改めてアルマトと教皇ハタルアに向き直る。
「ーーーアルマトさん、ハタルア教皇聖下、今の私からの提案はどうですか?」
その時、住民たちが騒がしくなる。人の群れが雑多に動き、その中から一人の若者が駆けて来る。栗色の髪に傷の入った鼻の男子だ。
「受けてくれアルマトさん! 俺は目の前で両親を殺された……! もう誰も死なせたくない、俺の力で護れるようになりたいんだ! 頼む!」
要人たちに近付く男子を警戒してか、場の警備に当たっていた聖兵とウインダムスが男子の身体を取っ組んで捕らえる。地面に伏された男子は尚も強い眼差しをアルマトに、教皇ハタルアに、そしてアニールに向ける。男子が場に駆けつけてから街の住民たちの間で会話が盛んになり、「受けてくれ」「騎士団に強くしてもらいたい」「我々も自らの力で立とう」など、などの声が増える。ーーーアルマトは増え続ける声の中に立つアニールの姿が日光に輝き出されて見えた。彼女は自らのこけた頰を撫でて頷く。
「分かりました。トカレスカ騎士団とメルカ教団の共同保護を受け入れ、その下で彼らの指導を受けましょう」
「やった! 街を救った英雄が我々を導いてくれる!」「鼠衆会もなんのその! 次は俺たちの時代だ!」「トカレスカ騎士団万歳! メルカ教団万歳!」
場が高潮する。民たちが歓喜に溢れる中で、アルマトと教皇ハタルアと、団長アニールの手が重なる。
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