勝利のあとに

 街の防壁の外にある森に、バルド・ゴルディアたち4人が逃げ込んでいる。


「よしよし、馬まで準備してあるな。キリガレ、逃亡準備がパーフェクトだ」

「畏れ多いお言葉でございます、おぼっちゃま」


 右半身が痣に覆われて黒い男バルド・ゴルディアが、恭しいタキシードの男キリガレの手繰る馬に乗る。その隣ではアマザとルラルトが一緒の馬に乗る。


「おいバルド様よ、このまま鼠衆会本部に帰っても手ぶらじゃ処罰されるだけじゃねえか?」

「アマザ、心配ない。俺は情報を持ち帰るんだ。”メルカ教団”と”トカレスカ騎士団”の勢力が近くに興ったことを報告する。鼠衆会の頭目はこの情報の価値が分からない阿呆ではないし、阿呆ならば逆にこちらから切り捨てるまでだ。アーッハッハッハ!」


 アマザの疑問に答えたバルドはその場で高笑いをする。


「さて、北へ行くか……ん?」


 バルド達が出発しようとしたところへ、鼠衆会の残党たちが駆け込んでくる。


「はあっ、はあっ! バルド様、我々もお供させてください!」

「断る」


 冷徹に、バルドは言葉で彼らを切り捨てる。


「お前たちがどのようにしてやられたか、報告は聞いている。外からやって来た者の仮装に騙され、愚かにも同士討ちを始めた。愚か者には徒歩がお似合いだ。せいぜい途中で魔獣の餌にならんように気をつけるんだな」


 それきりバルド達はメドゥーエク街を振り返りもせず、北へと馬を走らせる。取り残された野盗どもはメドゥーエク街に戻ることもできず、道なき道を歩いた末に全員が魔獣の餌となった。




 場面は変わって、メドゥーエク街の内部。東門は完全に開け放たれて、中央の広場にメルカ教団の軍団が駐在している。アニール達は広場に面する建物の中、微かに日光が差し込む薄暗い部屋の、埃がいっぱいの粗悪なベッドの上で治療を受けている。


「……アニール様とエルベン様は問題ありません。天使の回復術はまこと素晴らしいものですなあ」


 メルカ教に属する医者がそう言って隣に立つ天使ユーアを見上げる。ユーア・パステルスは得意げに鼻の穴を広げて立って翼をひろげている。室内だというのに。


「ありがとう、ユーアと医者さん。それで、イヴイレスは……」


 そう言ってアニールがイヴイレスを一瞥する。イヴイレスは未だに部屋の片隅で震えて嘔吐を繰り返している。ベッドの下の吐瀉物を溜める桶は1つ目がいっぱいになり、もう2つ目が使われている。


「正直言って私には分かりません。ルダーム・シェルトの、スピリットや魂に触れる術には詳しくないので。ただ、あれだけ嘔吐を繰り返すのであれば身体が弱ることは必至であろうな」

「ごめんね、アニールさん。いくら天使でも魂に触れる領域の魔術は持ってないや。イヴイレスさんのだけはどうにもできないや」

「……ふむ、ルダーム・シェルトの術者か。この街は見たところルダーム・シェルトの信仰が盛んそうだし、術者も探せば見つかるかなあ」


 部屋の戸を叩く音がドンドンドン、と響く。医者が、入りなさい、と声をかけてメルカの聖職者が入ってくる。


「ユノア枢機卿猊下がお呼びだ。アニール・トカレスカ団長は居られるか」

「私だ。怪我も治ったし、行こう」


 アニールが聖職者に案内されて歩いている間、彼女は街並みを見回していた。メドゥーエク街はかつてはもっと人口が多かったらしく、今では廃墟が多く立ち並んでいる。ぽっかり開いた窓や戸の奥に暗闇が見える建物が多く、

メドゥーエク街の旧貴族邸。メルカ教の軍団に囲まれて、ひとりの老人が倒れている。


「ああ、来ましたかアニール様。ちょうどこの人について知らせておこうと思いましてね」

「この人? 痴呆の老人ではないか?」


 地面に倒れている老人には何の外傷もない。ただ視線の向きがおかしいし舌を出したきりで仕舞う様子もない。第一、大人数人に囲まれた状況でまともに立つ気配もない。


「捕らえた野盗によると、この方、ナイエンスはメドゥーエク街における野盗の最高権力者だったそうです。尤も、”名目上は”が付きますがね」

「ああ、そうなのか。だとしたら事実上の最高権力者は誰なのだ? 私にはどうも心当たりがあるが……」

「そちらの方も野盗への拷も……ゲフンゲフン、聞き取りで明らかになっています。右半身が黒い痣に覆われた男、バルド・ゴルディアという者です」


 ーーーその名に、アニールは、やっぱり、と頷いた。


「そのバルド・ゴルディアだが、私はそいつと戦って脇腹に深手を負ったんだ。エルベンやイヴイレスもそいつの取り巻きにやられて、レイザ達が来なかったらどうしようもなかった」

「ああ、その話は先程ウインダムス君からも聞きました。……アニール様、これからが長い話になるので時間の都合は付きますでしょうか」


 陽が細い雲に覆われ、少しの間だけ世界から明るい色が消える。ユノアの蛇のような目は真っ直ぐに真剣にアニールに向けている。それだけでアニールは背筋が正されるような感覚に襲われる。


「ーーー分かった。この先我々も慌ただしくなるが、メルカ教団と話し合いをする時間くらいは取れる」

「分かりました。では、数刻後に教皇聖下もお越しいただいてお話をしましょう。ああ、レイザ様には光の里の使者としてお越しいただく予定なので、悪しからず」


 レイザが光の里の使者として? アニールはこの部分について疑問に思わずにはいられなかった。確かにレイザは光の民の住まう光の里から、大陸の現状を調べる調査員として大陸中に出張っている現状がある。そのため、今の彼女はトカレスカ騎士団の一員と光の里の調査員を兼ねている状態なのだ。だが、それを込みでも今回の戦が光の里に何を齎したかアニールには計り知れなかった。


「……分かった。私はもう少しこの街を回る。話はその後に」


 ユノアに別れを告げて、アニールはルダーム・シェルトの大神社に向かう。太陽は細い雲から逃れ、再び大地に明るい色を与えている。

 大神社の前には町人が大勢集まって、アルト・ネレストを囲んでいる。どうやらアルトは英雄扱いされているようだ。


「この街を助けてくれてありがとう……!」

「私の身体を勝手に弄んだ奴らを追い出してくれて助かるよ」

「これであいつらに残り6本の指をこれ以上切られなくて済む!」


人々が口々に称賛の声を送る裏で、少し離れたところにいる少人数の人たちは良くないものを見る目でアルトを見ている。トカレスカ騎士団やメルカ教団を、新たに街を支配する良からぬ軍団と見なすものもいるのだ。


「アルトさん、中々な人気具合じゃないか」


 アニールがアルトのところへ駆け寄る。すると、


「! アニール・トカレスカ様だ!」

「あれが、アニール・トカレスカ……!」

「おっと、野盗のバルドかと思ったらアニール様か!」


 さっきまでアルトを囲んでいた民衆が今度はアニールの周りに群がる。街の中を流れる、日光に輝く川を背景にしてアニールは街の人々に迎えられた。


「おいおい、私の火傷の左半身が怖くないのか……?」

「フギニの預言のことかえ? あれはバルドのことじゃ。あんたじゃないよ」


 アニールに群がるうちのひとりの老婆がしわくちゃの笑顔でそう言う。あまりの熱狂さにアニールが困惑していると、アルトがアニールの隣にやってきて大きく叫ぶ。


「みんな、済まないがアニール様は先程の戦いで疲れていらっしゃる! しばし離れてくれまいか!」


 流石にやりすぎたか、と街の人々の顔が悲しげなものに変わってアニールから離れる。


「大神社の地下で会った者にはとても人気でしたよ、アニール様。他の場所に避難していた者にも、トカレスカ騎士団のメンバー、特にあなたのことはよく喧伝しておきました」

「そうか。それは良かった。……ここの人々も護りたいなあ」


 遠巻きに街の人々に見られる中で、アニールもまた微笑みながら街の人々を見つめ返す。しばらくして、アニールが何かを思い出したかのように手を叩く。


「そうだ! ルダーム・シェルトの呪術! イヴイレスがいま大変なことになってて魂の修復ができる呪術師を探してるんだけど、アルトさんはそういう人見つけた?」

「いや、見つけていないな。だが、街の人々のまとめ役らしいアルマトという女はこのルダーム・シェルトの大神社の主でもあるそうだ。彼女は奥で何かしているようだから聞いてみようか」

「分かった。私が行ってくるね」


 ルダーム・シェルトの大神社。石でできたその建築物は、壁や床、天井などがひっきりなしに一定のパターンで紋様が入っている。幾何学的なそれは、じっと眺めているだけで時の過ぎるのを忘れてしまいそうな美しさがある。アニールが奥に踏み入ってみると、頰のこけた女性アルマトが数人かのルダーム・シェルト関係者と共に大神社内の物を点検している。


「これはダメね、鼠衆会の奴らに壊された。あれもそれも捨てるしかない。これは……まだ直せるね」

「アルマト様、アニール様がいらっしゃっています「ん? あら、此処の地下で会った人ね」


 アルマトがアニールの姿を認めると歩き寄り、深々と頭を下げる。


「アニール・トカレスカ様、トカレスカ騎士団の団長。今日はこの街を救ってくださってありがとうございました。おかげで街の人々はもちろん、街内の物がこれ以上破壊されずに済ました。お礼を尽くしたくても尽くしきれない恩でいっぱいです」

「どういたしまして。これは私がやりたくてしたことだ。それで、貴女に相談したいことがあるんだ」


 アニールはイヴイレスの魂のことを話した。


「なるほど、お仲間様が大変なことになっていらっしゃるのですね。それなら私の領分です。私がイヴイレス様の魂を治すので、アニール様には案内をお願いします」


 かくしてイヴイレスはアルマトに魂を治して貰えることになった。イヴイレスが療養している建物に向かう途中、アルマトは気になることが有ってアニールの方を見る。


「……何か言いたいことがあるのか、アルマトさん?」

「あ、ええ。貴方がたって呪術をどこまでできるのかな、って」


 言われて、アニールは少し考える。


「うーん、魂の防御術はできるけど、精霊はまだ見えないかな。本当に初歩的なことしかできないんだ」

「あら、そうなのですね。まあ、呪術は精霊が見えるようになるまでに20年は掛かりますし、仕方ありません」

「……そうだね。鍛錬は続けてるけど、まだまだ積み重ねが必要だな」


 イヴイレスの休む建物についた二人。イヴイレスは大量の汗をかいて相変わらず嘔吐を繰り返し、ただ胃液を吐き出すのみとなっている。エルベンは既にどこか行ったか、そこにはいない。


「危険な状態ですね。早速施術に入ります。アニールさんは私の体を支えてください」


 メルカ教団の医者が怪しむ中、アルマトがイヴイレスの隣のベッドに座る。アニールは言われた通りにアルマトの両肩を持つ。アルマトの瞼が閉じる。ーーーアルマトの全身から体重が抜けて軽くなり、身体が安定を失って倒れやすくなる。そのとき、アニールは微かにアルマトの魂が漂うのを感じた。


「……幽体離脱? そうか、霊体の状態であれば相手の魂に触れやすくなるか。さすが凄腕」


 だが、呪術を訓練している身であるアニールでさえも魂をはっきりと見えているわけではない。”なんとなく”感じ取れているだけのことである。アニールがアルマトの身体を支えたまま状況を静観していると、イヴイレスの顔色が少しずつ良くなっていった。


「はぁ……はぁ……ふー……」


 発汗が治まり、嘔吐も止まった。既に吐いてしまった分身体は細くなってしまっているが、それ以外は健康になっている。


「……ッ、はぁ、はぁっ……!」


 アルマトの身体に魂が戻って、彼女が目を覚ます。汗をひっきりなしにかき始め、肩で呼吸をしている。


「やっぱり、幽体離脱は体力を使うわ……。イヴイレス様、あなたの魂は元通りになりました」

「ありがとう、アルマトさん。礼はいつか必ずします」


 イヴイレスが気分を取り戻したところで、メルカの聖職者が部屋に入ってくる。


「アニール様。話し合いの場が整ってございます」


 ユノア・カミレスが言っていた話、その場が整ったのだ。アニールは伏した目でイヴイレスの細くなった腕を暫し見つめ、メルカの聖職者に視線を上げる。


「分かった。案内してくれ」




 廃墟となっている別の建物の一室に通されるアニール。そこには教皇ハタルアとその護衛シルス、枢機卿ユノア、光の民のレイザ、トカレスカ騎士団の実質的な参謀アルト、それぞれが既に場に着いている。アニールがその場を見回すとレイザとユノアの面持ちが重いものになっていることに気づき、場の異様さに気づく。


「……皆、来たぞ。で、何の話をするんだ?」


 唾を飲み込んで、アニールが席につく。

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