アニールとハタルア

「ーーー以上が私たちの考えたメドゥーエク街攻略戦の作戦です。この内容であれば双方の戦力にダメージは少ないかと」


 イヴイレスが作戦の内容を話し終え、アニール達が改めて教皇ハタルアの布越しの顔を見る。ユノアは少々顔をしかめるが、聞かされた作戦内容を頭の中で何度も何度も反芻し、ため息をつく。


「……確かにこの作戦内容であれば、メドゥーエク街に蔓延る野盗ども神敵を討てるでしょう。少々内容は気に入りませんが」


 ユノアが渋々作戦内容を認め、教皇ハタルアの面を伺う。


「その作戦、私が承認します。メルカ教団の軍団もトカレスカ騎士団も作戦実行の儀には善きに計らいなさい」


 「「「ははーっ!」」」


 聖職者達が一堂に頭を下げ、ひれ伏して返事する。彼らにとって教皇ハタルアの言葉は神の言葉に等しいのだ。


「さて、要件はこれで以上かしら、ユノア?」

「ははっ。トカレスカ騎士団の方々は明日の帰還に備えて今晩はお泊まりいただく予定です」

「分かったわ。それでは、彼らをゲストルームに案内させ、十分に休養を取らせなさい」


 ユノアがトカレスカ騎士団の3人を案内しようと回廊を渡る途中、ふとユノアが立ち止まる。


「……ハタルア様は奔放な方です。まったく、神の言葉を預かる立場だというのに好奇の心で悪戯な顔を覗かせて来る。本来であれば俗世から離れて心身ともに清い環境にあって貰わねば困りますが、なんせ大陸の文明が崩壊した世界にあってはそれも難しいでしょうね」


 そう言うユノアの口調は愚痴っぽく、さっきまでの狡猾な態度は鳴りを潜めている。イヴイレスが首を傾げながらユノアの目を見る。


「そうなのですか。ユノア様がそのようなことをおっしゃるとは、少々お疲れの色が顔に見えます。ユノア様も今晩はゆっくり休めるようお願い申し上げます」


 愚痴を吐くとは珍しいな、といった意味を含んだ丁寧な言葉で返すイヴイレス。


「ははは。中々に達者な口上であらせられる。……ですが、あの方がメルカ教の何たるかを一番よくわかってらっしゃる。結局、私たちはハタルア様に振り回されつつも導かれるんでしょうね」


 それを聞いたイヴイレスはふと、隣を歩くアニールを見る。アニールは、何、と言うような顔でイヴイレスを見返す。


「……私にも似たような人がいます。このアニール・トカレスカですね。私たちは皆、アニールが掲げた大陸の秩序に向かって奔っていますよ」

「苦労しませんか、それ?」

「お互い様でしょうな」


 もはや体裁すら取り繕わない会話で、ユノアとイヴイレスが笑い合う。アニールが、こほん、と咳き込むとユノアとイヴイレスが直ぐに背を正して再びユノアの案内に入る。


 アニールがバルコニーから、墨で黒く染めたような夜空を見上げる。徐々に目を慣らすと、星の瞬きが増えていく。アニールの背後の部屋では、イヴイレスとアルトが上質なベッドで眠っている。


「ベッド、か。今までは藁やゴザで寝ていただけに、却ってベッドでは落ち着かないな」


 冷たい風がアニールの眼前を通り、彼女はその身を震わせる。


(眠れないのはもしかしたらこれからの戦に不安を感じるところもあるかもしれない)


 そう思いながらアニールが見下げる漆黒の森は、人の心を吸い込みそうな闇に包まれている。


 コツ、コツ。


 足音がする。一定のリズムで刻まれた心地よい音がアニールに近付く。


 コツ、コツ。


「……おや、アニール様ではありませんか」


 バルコニーに姿を現したのは、顔に布を纏わない教皇ハタルア。背後に白髪の若い護衛を携えながら歩いてきていたのだ。


「ハタルア聖下! 散歩ですか?」


 アニールはかしこまって背筋を正し、努めて丁寧に接しようとする。だが、ハタルアは手すりにもたれ掛かって姿勢を崩し、行儀悪く頭を彼女自身の肩に預けて宇宙を見上げる。


「そんなとこ。あ、この人はシルス・ノルトと言って私の護衛なのよ」


 シルス・ノルトと紹介された白髪の男はさっきまでと同じように直立不動の姿勢で私を見つめてくる。冷たさと柔らかさを内包した雪のような雰囲気を静かに纏っている。


「アニールちゃんも楽にしていいよ。今はユノアもいないし、何より【教皇の前では畏まるべし】なんて教えはウチの”神盟聖書”には載ってないんだからさ」


 ヒラヒラ、とハタルアが手を振って楽にするように言う。アニールの心からはまだ緊張が抜けないが、言われた通りに姿勢を崩す。


「布は、纏っていないのですね」

「うん。 だってあれ、邪魔くさいじゃん。流石に他の人がいるところなら纏うけど、アニールちゃんは特別」


 ハタルアは子猫のような悪戯っぽい笑顔を浮かべる。


「特別、か。何故私にだけ特別扱いなのでしょうか? 今日まだ出会ったばかりなのに、宗教的な儀礼を押しのけてまで何故私と親しくしようとするんですか?」


 当然の疑問。ハタルアは間隙を入れずに答える。


「ーーーそれは、いい目をしていたから。謁見した時に分かったんだ。この人は時代を創る目をしている、と」


 突如としてハタルアがアニールの瞳を覗き込む。流石に驚いたアニールは怯んで後ずさる。


「私さ、先代教皇から教皇に選ばれたんだけど、世界が殆ど壊滅しててメルカ教団をきちんと舵取りしていかなきゃ早晩滅ぶ大変な役割を負っているんだよね。毎日が辛くてさ、今でも少し頭が痛いんだ。でも、そこへ君たちトカレスカ騎士団が現れてきた!」


 途中まで顔を伏していたハタルアは瞳を輝かせてアニールを抱擁する。


「大陸に秩序を取り戻そうとしているんだよね、アニールちゃん達は。しかも、アニールちゃんの目にはとても強い意志がある。同じ組織のトップとして、何より強固な志を胸に宿した同志としてアニールちゃんとは仲良くなりたいんだ」


 最初にハタルアがアニールの顔を覗き込んだ時に瞳の奥の決意まで見抜かれたのだ、とアニールは気づく。


「……分かった。そういうことなら、2人のときはタメでこう。でも私はまだ心を許したわけじゃない。信頼というものは、時間をかけて築くものでしょ?」


 アニールはそう言うと片目を閉じて笑う。ハタルアは白い歯を見せて、うんうんと頷く。


「それとね、アニールちゃん。私、ルダーム・シェルトについて聞きたいんだ。私、宗教の教育を受けたのは戦争から逃れて各地を転々としていた頃だから異教のことについてはよく学んでないんだ」

「ルダーム・シェルトの教えが知りたいと? ルダーム・シェルトは信じると言うよりは、各地の神や精霊などうまく付き合うための考え方だな。【五受の教え】と【五禁の教え】が有名ではあるが、ルダーム・シェルトの起源とされる”滅天神話”も面白いかな」

「聞いたことがあるな。昔々、世界が雪と氷に包まれていたよりも前の時代に世界を滅ぼした化け物がいたと言うのだろう、滅天神話では」


 思いのほか話が弾み、空の星の位置が少し低くなった折に奥に控えていた護衛者シルス・ノルトが声を挟む。


「教皇聖下。そろそろ就寝の時間です。明日の陽の昇る時間の礼拝に間に合いませんよ」


 話を中断されたハタルアは頬を膨らませてシルスを睨むが、シルスは一歩も下がらない。むしろ、氷のような瞳がハタルアの心身を凍り付かせようとしているようだ。


「……わかったわかった、”神盟聖書”とメルカ神に逆らうわけにはいかないからなぁ。じゃ、アニール、また明日ね」


 アニールを真っすぐ見た瞳には、微かに寂寥の色が浮かんでいた。その眼を受け取ったアニールは、その場で初めてハタルアの素の人情を悟る。そして、次の言葉を紡ぐ。


「また何度でも、我が友ハタルア」


 その言葉にハタルアの瞳が大きくなり、顔に笑みが浮かぶ。アニールには見えていないが、シルス・ノルトも微かに微笑む。ハタルアの足音が遠くなって、その場にアニールがただ一人残される。


「……ま、寝るか」




 翌日、アニール達はラバルタの船に乗船する。波で揺られる船上からアニールは教皇ハタルアの姿を探す。ーーー聖職者の列の最後方に座している。


「ハタルア教皇聖下! 戦のあとにまたまみえましょう!」


 アニールの大声が届いたか、ハタルアの布に隠された顔がアニールの方を向いて手を振る。そのまま船は聖地トゥメルカを離れ、大海原に駆り出す。




―――そして一か月後。メドゥーエク街攻略戦が始まる。

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