二週間後、教皇ハタルアとの邂逅

 ティール港町にメルカ教団の枢機卿カーディナルが訪れてから二週間後。トカレスカ騎士団は人員を絞り、アニール、イヴイレス、アルトの3名でメルカ教団の聖地トゥメルカに向かう。その船旅はイーズケニア島を経由せず、直接ティール港町から聖地トゥメルカに向かうものだった。聖地トゥメルカはティール港町から見て大洋を挟んだ向こう側の半島の、海に近い山脈にその場を構えている聖地である。といっても、ティール港町も聖地トゥメルカも半島の付け根にあるような地理になっているが。


「聖地トゥメルカとはいっても、大部分は先の戦争で荒廃しているだろうな……」


 ラバルタの操る船の上で、潮風に当たりながらアルトが遠い地平線をぼうっと眺めながら呟く。アルトは船出の前に現在のメルカ教団がどんな組織になっているのかを予想した。彼曰く、かつてのように多くの民や領土を抱えてはおらず、教皇を中心とした数百の集団のみで人のいなくなった聖地に戻ったのだろうということだった。


「とはいえ、僕は驚きました。そんなに多くの人たちが集団を維持してしかも元の住処に戻れたというのは、魔獣と野盗で荒廃したこの世においてあまり聞かないことですから」


 顔に影が差しているアルトとは裏腹にイヴイレスは眼を輝かせている。無垢な子供のようにまだ見ぬ世界を知ろうとして心を躍らせているのだ。イヴイレスは師匠オードルから聞いた旅の話の中から聖地トゥメルカとメルカ教のことを思い出し、船出の間中ずっと頭の中で繰り返している。


「……あっ、港が見える。そろそろ着くぞ、二人とも気を引き締めてくれ」


 海の遠くを眺めて、アニールの目がきりりと立つ。アルトとイヴイレスも姿勢を正し、待ち構えているであろうメルカ教団の歓迎に備える。

 船が港に接岸する。真新しく整えられたであろう港の白い浅橋にアニール達が足を下す。微かに汚れの残る法衣を着たメルカ教団が直立している。


「待っていました、アニール・トカレスカ殿。二週間ぶりです」

「こちらこそ。二日間の船旅はなかなか骨が折れたよ」


 アニールとユノアが握手をする。


「真新しい港ですね。貴方がたが築かれたとお見受けするが」

「ええ、そうです。先の大戦で技術者などを保護していた甲斐がありました」


 世間話もそこそこに、其処から馬車に乗り換えて山脈の麓にある聖地トゥメルカに向かう。馬車に揺られる中で、ユノアが今後の段取りについて話し出す。


「貴方がたにはこれから昼食を摂ってもらった後、教皇ハタルア様と面会していただきます。メドゥーエク街の攻略についてはその後で」


 教皇、という言葉にアニール達3人の背筋が真っ直ぐに正される。予想していなかったわけではない。覚悟していなかったわけでもない。それでも、遥か地位高き者との邂逅を改めて聞かされると、どうしても緊張が奔るものだ。


「ーーー時に、アニール様、その半身の火傷について聞いても?」


 蛇のような眼差しがアニールを見定めようとする。恐らく人のトラウマを無遠慮に探って精神的優位を取ろうとしてるのだろう、とアニールは予想して微笑む。


「……いいよ。この火傷、私が産まれたばかりの頃に戦争に巻き込まれてつけられたんだ。私を保護してくれたオードルさんの話だと、実の母は火達磨になりながら私をオードルさんに託して亡くなったと聞いている」


 あまりにも悲劇的な内容に、ユノアが口を開けながら黙る。


「まさか、フギニの予言と関係があると思ってるの?」

「いえいえいえ、我々にとって正しい預言者は聖マルカ様と歴代教皇です。フギニはルダーム・シェルト教でしょう。友好な宗教ではありますが、流石にフギニの預言まで信じてはいませんよ。ただの私の興味心から聞いただけです」


 アニールの批判めいた質問に、ユノアが慌てて否定する。一矢報いてやった、とアニールは心の中で拳を高く挙げた。

 アニール達3人は聖地トゥメルカに着くと、険しい岩肌に隣り合うように建てられた数点の石造りの建物を見上げた。何れも円柱状の建造物で、茶色くあしらわれている。宙をかける渡り通路が格子のように架けられている。ーーーこれらの建物はメルカ教の聖堂だ。


「凄いな。先の大戦からよく建物を維持できたものだな」


 聖堂の中を案内される最中、アルトがぽろりと感想を口にする。聖地の建造物が15年ものの荒廃した時代においても崩壊しなかった事そのものが称賛すべき凄いことである。


「私たちも驚きましたよ。聖地を已む無く放棄して東へ逃げ延び、15年かけて聖地に戻ったら殆どの建物が元通りの姿のまま立っているんですから。これも神のご加護でしょうね」


 アニール達が聖堂を上がり、渡り廊下を歩くと数多の聖職者と行き交う。その賑やかさにアニールは嘆息する。アルトが恐らく二百は下らない人員がこの聖地にいるのだろうと見当をつける。


「人が多いな。もしかしたらこの聖地トゥメルカは今の大陸の上で一番賑わっている場所かもしれんな」


 アニールの言葉が、ユノアの瞳に輝きを与えてしまう。その言葉を聞いたユノアが大仰そうに両手を広げ、聖堂の荘厳さを見せつけるような構えをする。


「そうでしょうそうでしょう、今や荒廃した大陸の上で栄えているのは我々なのです! かつて長きに渡る雪の時代が終わった頃にかの初代教皇聖メルカ・トゥメルカが興した我らがメルカ教の教えが、先の戦乱を生き抜いたのです! 今思えば、メルカ教は天地戦争時代や様々な国が争い合ったソルドラス統一戦争時代、魔王が大地を侵略した魔王時代、様々な戦乱を生き抜いてきました。そして今回もこうして生き抜いた。我々の神から賜りし教えを信じるものが神に護られている証左とも言えましょう!」

「なら、友邦たるルダーム・シェルトの徒たる私も勝利に導いてくれるのかな? ……いや、今までの旅路において死なずに済んだのは各地に宿る様々な神霊のお陰。これ以上の加護を求めてはバチが当たるかな?」

「……まあ友邦ですし、加護は与えられると思います。ですが全てはメルカの神の思し召し。神の意に背くことは慎むことですね」


 興奮するユノアにも対等な態度で接するアニール。そのアニールの態度の変わらなさにユノアは巌を打っているような気がして、優位性を取れないと感じて態度を鎮める。

 やがて、アニール達は昼食の卓につく。その内容は豪華だった。戦後の世界では考えられないような高級な肉が良く調理され、上品そうに皿に盛りつけられている。サラダはまるで芸術品のように飾り付けられ、食より見た目を優先しているようであった。アニール達にとっては、出てくる料理たちがあまりにも華々しくてかえって人間の方が居心地が悪くなるような気もした。だが、彼女らはこれも善意と捉えて全て平らげた。


「心身が休まったところで、教皇様の謁見に入りましょう」


 休憩が終わると、ユノアが謁見室への案内を始める。聖堂の奥へと足を踏み出す度に、辺りの雰囲気が変わってゆく。壁や天井の装飾、床に敷かれる石の素材、柱や窓の配置と意匠、日光の差し方、全てがより一層宗教的な意味を帯び始め、口から声を出すことも許されない威圧感を醸し出す。ユノアの背中を追うごとにアニール達はメルカ教の神話の世界に踏み入るような感覚に襲われる。彼女らは背後に神の眼差しを感じるような幻覚に頭が揺らぎ始め、足元が覚束なくなる。それでもアニールは全ての自然に宿る様々な神霊を頭の中に思い起こして耐え、気丈に歩を進める。


「おい、気をしっかり持て」


 アルトの声にアニールとユノアが振り返る。イヴイレスが青い顔をしてよろけ、アルトが支えたのだ。イヴイレスは、アニールとは反対に聖堂の醸し出す雰囲気に耐え切れなくなって平衡感覚を一瞬失ったのだ。周囲にいた聖職者が一挙に集まり、水などを差しだしてイヴイレスの粗相を世話しようとする。


「……いや、心配は無用。長旅で足がふらついただけだ」


 そう言ってイヴイレスは背筋を立て直すものの、青くなった顔は戻らない。やれやれ、とユノアが肩をすくめてイヴイレスに一人の聖職者をあてがい、彼を支えるように命じた。不承ながらもイヴイレスは受け入れ、震える足のままにユノアの後で歩を進める。


「ここです。この扉の先に現教皇、ハタルア・トゥメルカ様がいらっしゃいます。どうか、粗相のないように」


 神の紋を彫った扉が聖職者たちの手によって開かれる。ーーーその先にはステンドグラスの後光を受けた、顔を帽子から垂らす薄布で覆っていて顔の見えない女性が立っている。


「トカレスカ騎士団団長アニール・トカレスカ、遥々の長旅ご苦労であった。私はメルカ教の311代教皇、ハタルア・トゥメルカ」

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