商人無き島

「……もう一度言う、この島に陽下人の町はない」


 アニールたちの頭の片隅にあった最悪のシナリオが長老の口から語られる。ウインダムスは肩を落とし、イヴイレスは口をへの字にして悔しがる。アニールは壁の松明の火が弱くなって、顔が暗くて見えなくなる。


「この島の歴史を語ろう。15年ほど前、大陸の者共がこぞって戦火を逃れようとこの島にやってきた。その大半は確かに商人じゃった。だが、商人は物がなければ売れぬ。商人の扱う品物の殆どは島の外にあった。少し考えればわかることじゃが、この島内で貨幣の価値が急落し、彼らの持ち込んだ富は全てがパアになった。……ここからは我々にとっても忌々しい記憶になるが、彼らは野盗同然になって互いに争い合ったり、ここに元からいる我々洞魔族を襲い戦争が起こった。その結果、奴らは我々が滅ぼした。まさに愚かな者共よ」


 自嘲気味に長老が笑う。アニール達は胸の中にどんよりとした泥が溜まるような感覚を覚え、各々が視線を逸らす。


「ああ悪い悪い。お主らのせいではないぞ、あの商人どものせいだ。それに、商人らが全滅したわけではない。いくつかは我々の側について、今も我々と共に生きておる」


 イヴイレスがアニールに視線を送る。イヴイレスの眉に皺を寄せた表情を見たアニールは頷き、長老の顔を見る。


「この島の現状が知れて良かったです。残念ながら我々の望むものは得られませんでしたが、あなた様の今もたらしてくれた情報は我々の糧になることでしょう」


 そう、もはや用はないのだ。アニールはそう思って、さっさとここを出ることに決めた。長老には島の外側の情報として今までの旅のことを教えた。流石にエイジリア王国そのものが崩壊したことには面食らったらしく、以降の長老は言葉が少なくなった。

 その後、お互いに話すことを話し終えると夜遅いということで特別に泊めてくれることになった。洞魔族の案内の人に連れられる。


「アニールさん、この島に僕たち以外にも客が来ていたみたいです。その人と一緒になるが大丈夫かですって」


 洞魔族と話していたウインダムスが耳打ちする。


「問題ない、と返しておいて」


 その時点では、アニールはその客人をただの旅人としか考えていなかった。だから宿泊室にやってきた時、彼女は驚くことになる。宿泊室には、クレイモアを壁にかけて冊子に筆を走らせる銀髪の女性がいたのである。


「レイザ・ティアーラ?」

「アニール・トカレスカ?」


 まさかの再会。前に野盗に襲われたあとに別れたばかりである。レイザが筆を置き、目を丸くして立ち上がる。


「なんでここに来ているのだ、アニール・トカレスカ……」

「商人がこの島に逃げ込んだ話を聞いて、もしかしたら街とかできてるかもと思って来たんだ。商人がいれば後ろ盾になってもらえると思ったが、全然だめだった」

「……怖くはないのか? 種族の異なる者たちの住処に入るのは」


 アニールは、はあ、と肩を落とす。イヴイレスが代わってレイザの前に立つ。


「何か勘違いされているようだが、我々は種族の差別などしない。元々、そういう発想がないんだ。このデボという洞族魔だって我々の仲間になってくれている。この期に及んで、まだ虚言で我々を貶めるつもりか?」


 圧のある言い方でイヴイレスがレイザを追い詰める。レイザは戦慄き、部屋の隅へと引っ込む。


「……ならば、エイジリア王国出身の兵士、アルトとやらはどうなのだ。彼は安全なのか?!」

 

 アニールがイヴイレスを押しのけ、レイザに掌打を見舞う。パァン、と乾いた音が洞穴の壁に吸われる。


「情けないな。人を肩書だけで判断して貶めようとすることこそ、あなたがやっている差別だ」


 レイザの雪のように白い頰がじんわりと赤みを帯びる。その瞳は大きく見開かれ、アニールを見上げている。


「……私が、差別をしている……?」


 こくり、とアニールが頷く。それ以上は何も言わず、荷物を置いて掛け布団に身を包む。デボ以外が眠りに就き、レイザは眠ることができなくて洞穴を徘徊する。それを見かねたデボはレイザの後を追い、星天の下に出る。


『……アニールの仲間の洞穴族か』


 星々の光に照らされたレイザの頰は、涙の軌跡が煌めいている。


『俺はまだ彼女たちの仲間になって日が浅い。だが、あの人たちが俺を対等に見てくれていることは間違いない。俺は元は野盗だったが、あの人達の仲間になる条件として課されたのは野盗の討伐だけだった。ウインダムスさん達のあの眼差しも、あの姿勢も、他の人にするのと変わりなく俺にも向けてくれた』


レイザは視線を暗い森に向け、表情を隠す。


『……そうか。我々光の民は、ずっと外界の人間は我々を差別する相容れない存在だと習ってきたから、ついアニール殿達にも失礼な態度を取ってしまう。本当は、私だってもう分かってるのに』


 レイザの手が震える。魔力がかすかに乱れ、髪の末端が虹色に輝き出す。


『不甲斐ない……私は、不甲斐ないんだ……!!』


 レイザの肩が震え、頭を下げる。手は顔を覆い、満開になった口から嗚咽が漏れる。


『あんなに立派な人たちを、それでも何かウラがあるんだろうってずっと疑ってきて……本当はそんなのないのに……ッ!』


『じゃあ謝りに行こう。しなくて後悔するより、遥かにいい』


 デボが、洞魔族独特の丸太のように太く黒い手を差し伸べる。


『アニールさん、イヴイレスさん、エルベンさんは俺に立ち直れるチャンスをくれました。きっと貴女にも、ちゃんと向き合えば許してくれるはずです』


 レイザの細い手がデボの手を握る。


『そうだな。私は謝らなければならない。過去に縛られていたのは私の方だったと告白しなければ。あの元エイジリアの兵士にも頭を下げねばならないな』


 レイザはデボに支えられるようにして立つ。洞穴に戻り、日が昇るのを寝て待つ。アニール達が洞穴を出ようとした時、レイザが出口に立って深々と頭を下げる。


「ごめんなさい。私は偏見に縛られてあなた達を信じようとしなかった。種族を気にしないあなた達を私は遠ざけてしまっていた。差別を嫌っていたはずが、差別をしてしまっていた」


 レイザは自らのズボンの布を、深く爪を立てて掴んでいる。アニールは長い溜息をついて、レイザの前に立つ。


「やっと分かってくれて良かった」


 今もなお頭を下げるレイザの視界にアニールの手が差し伸べられる。しばらく頭を下げ続けた後レイザはその手を握り返す。そうして見上げたアニールの顔は、暖かった。その表情を見て、レイザの胸の中で新たなる思いが芽生える。


「今まで迷惑をかけたお詫びとして、私の剣と我が身をあなたに捧げます」


 驚愕するアニール一同。イヴイレスが困惑してレイザに問いかける。


「光の民の任務があったのだろう? それはいいのか?」

「私に課せられた任務はソルドラス大陸の現状の調査と報告。なれば、たまに帰る程度でも果たせる。心配はいらない」


 アニールはしばしレイザを見て直立する。それから握ったままの手を上下に振る。


「じゃあ、我が団に入るんだな。歓迎するよ」


 アニールは微笑みながらそう言った。

 

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