遂にイーズゲニア島へ

 夜が明ける。ティール港町の地面に広がる血の赤が日光に照らされて黒く輝く。夜盗達が死に絶えたと聞いた町人たちが各々の建物から出てきて、アニール達を囲う。町人それぞれがアニールの異様な姿を目にして驚くも、すぐに歓喜の表情に切り替えてアニール一行を称える。海は金の粒をまぶしたように輝き、天は橙色から青色へとゆっくりと色を変える。


「うおお、こんなに感謝されるとは思わなかったぜ、なあイヴイレス、アニール!」

「ああ、気分がとてもいい。人を救うのは、こんなにも心が救われるものだな。……アニール?」


 エルベンとイヴイレスがお互いに肩を組む傍ら、アニールは無表情を貫いて目の前の、地面に染み込んで固まった血痕に視線を落とす。その瞳を見た二人は肩を組むのをやめて、アニールに視線を注ぐ。


「どうしたんだ、アニール? 人を殺したから喜べないのか?」


 エルベンがアニールの隣に立ち、肩で小突く。


「いや、殺した事自体はいいんだ。ただ、これはまだ始まりに過ぎないと思ってたんだ」


 エルベンとイヴイレスがアニールの言葉に顔をしかめる。死体の後処理でその場を偶然通りかかったウインダムスも足を止めて耳を傾ける。


「野盗を斬った時に、私の未来が見えたんだ。私の歩く道の上に、幾千万ものの死体が積み重なっていた。大陸に平穏をもたらすまで、私は屍を積み重ねながらその上を歩くしかないのだ。それを思えばこそ、今日はまだ始まりでしかない。始まりの一歩を踏み出しただけでは、私は喜ぶ気にはなれない」


 氷のような表情のままその場を去るアニール。エルベンとイヴイレスの二人は眉間に皺を寄せ、近くの倒木に腰掛ける。アニールに言われて二人もいまからどういう道を歩くのかを自覚する。


「『我々、未だ山麓にさえ辿り着かず』ですね」


 そういって割り込むのはウインダムスである。その言葉に二人が頷く。


「あいつ、ずうっととんでもなく遠いところを見てるんだな」

「だが、我々はアニールに追い付いてその背中を支えてやらねば。なあ、エルベン」


 髪を梳き上げて茶色の髪に隠れた瞳を露わにして、エルベンが立つ。


「もちろんだ。そうでなければ、俺達の存在意義はない」


 エルベンとイヴイレス、ウインダムスの三人が改めて決意を新たにする。




 船が河を下り、ティール港町に着く。縄で繋留した船からラバルタが顔を出す。


「本当に町を取り戻せてる……。イーズケニア島に行く準備はできてるが、どうだ? アニールさんたち」


 その知らせを聞いてアニール達が集まる。町に防衛要員を割いたほうがいいとして、イヴイレスが人を割り振る。島に行くのは、アニールとイヴイレス、ウインダムス、デボだ。他の者は港町で待つことになる。


「では、よろしく頼む、ラバルタさん」


 アニールがラバルタと握手をして船に乗る。あとの3人もアニールに続く。


「町は俺達が守ってやる! 行ってこーい!」


 離れゆく船にエルベンが天高く拳を振り上げる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 船旅で5日かけてイーズケニア島に辿り着き、4人が島の土を踏む。


「俺は船の番をしている。3日ほどしたら戻ってこいよ、貯蓄はそんなにないから」


 ラバルタが船に残り、アニールたちは島の奥に踏み入る。


「しかし、港や道さえも見当たらないな。デボ、案内してくれないか?」


 イヴイレスがデボに頼み、ウインダムスが翻訳する。


「『案内しよう』だそうです。それから『洞魔族と陽下人は住むテリトリーが違うから俺自身は陽下人についてあまり理解がない』とも言ってます」

「分かった。まずは洞魔族に挨拶したい、いいかアニール?」

「いいよ、それで。 他の洞魔族なら何か知ってるかもだし」


 一行は道なき道を行き、新緑に覆われた森を歩き、切り立った崖の上の道を渡り、イーズゲニア島の山脈にたどり着く。山麓には、右を向いても左を向いても限りなく続く無数の洞穴が開いている。それを見てイヴイレスが嘆息する。


「『全部洞魔族が掘った』だそうです」

「……話には聞いたことがあるが、凄いな」


 ふと、アニールの視線がデボの手元に落ちる。力んだ拳が固くなっている。ウインダムスもデボの様子に気づいたようで、ヴェール語で何やら話しかける。


「『家出同然で飛び出たから中にはいるのが怖い……』だそうです」

「ここまで来たんだ、さっさと案内して」


 アニールが強引にデボの背中を押す。狼狽えたデボは足取りが覚束ないまま穴の中に入っていく。アニールたちもデボの後を追う。洞穴の中は松明が一定間隔で設置されており、道を照らしている。

 しばらく歩いていると、住民らしき洞魔族とすれ違う。住民は陽下人が洞穴に入ってきていることに驚き、ヴェール語でデボと会話する。やがて衛兵らしき者もやってきて、大騒ぎになる。


「『話はまとまった。ここの長老に謁見することになった』だそうです」


 ごくり、とイヴイレスがつばを飲む。松明が照らすアニールの眼は輝いている。衛兵に連れられて洞穴をしばらく歩き、長老の部屋に入る。

 長老の部屋は、半球状の広い空間だ。掘削されて作られたらしい部屋は表面が磨かれて滑らかになっており、所々に華美な家具が見受けられる。部屋の真ん中にあるテーブルの奥に、年老いて長い白あごひげを生やした洞穴族が鎮座している。


「島外の陽下人は久しいのう。わしがこの島の洞穴族の長老、ディゲーベン・オルキニスタヒじゃ」


 なんと、アニール達がよく使うラール語である。


「何も驚くことはあるまいて、目を見て手を見ればどこの人かくらいはわかるわい」


 イヴイレスの心を見透かしたように長老が喋る。


「さて、本日は何用かな?」

「イーズゲニア島に住まう商人たちの町があると聞き及んでおり、やってまいりました。我々の望みは人類社会の再建、そして世に秩序を齎すことです。この島に陽下人の町はありませんか?」


 アニールが真っ直ぐに答える。長老は瞳を下げて、しばし思考する。そして、長老は首を横に振る。


「残念じゃが……、町などというものはない」

 

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