しわがれた十傑、やさしい天使

「ずっと前に、一度トルバさんを問い詰めたことがあったんだ。そしたら、トルバさんは口を開いてくれたよ。……次に話すのは、トルバさんの言葉だ」


 つばを飲み込んで、アルトの口がトルバの言葉を再生する。


「俺は、もう疲れちまったのさ、争いの場に自分の身を投じることに。戦場に赴いて敵の兵士と戦うのはまだいい。だがその兵士の中には徴兵されただけの農民なんかも混じっていて、そいつらを殺して断末魔を聞くのが辛かった。上の命令で敵の村を略奪するのも辛かった。女子供の悲鳴を聞いて、俺は自分を悪魔だと思わずにはいられなかった。エイジリア王国がヴェールやフォルモに侵略することが果たして正しいのか? と疑問を思わずにはいられなかった。そしてある日思った。俺には自分の脳みそがある。俺には自分の手足がある。その気になれば命令に逆らうことだってできるのに、なんで今まで従ってきちまったんだ、と。俺の手足は既に血に塗れている。俺の殺した人たちの血の池に俺はすっかり浸かってしまっている。……だから、俺はもう戦わない。仲間さえ守れば、そうしてこんな僻地でひっそりと暮らしてさえいればいい。俺は、誰かを殺してしまうのが怖いんだよ……」


 アルトの口が閉じる。アニール一行はトルバの言葉を聞いて、苦汁を飲んだような顔になる。


「……だか、俺は、いや、このアルト・ネレストは」


 その声色は、覚悟を決めた人の声だった。誰かのモノマネではない。


「この混沌とした時代に光を齎せるのは、力を正しく振るえる者だけだ。私はそんな人に仕えたい。かつてのトルバさんは私にとっての憧れだった。……だが、今は違う。倦んでいるだけの人間に私は興味ない」


 何かを振り払うように、アルトが首をふる。


「だから、私は、あなた達一行に加わりたい。あなた達には力がある、正しさもある。ーーーどうか、お願いします」


 彼の目には、焔が宿っている。一行は、みんながアニールに視線を注いでいる。やれやれ、とアニールはアルトの前に進み出る。


「願ってもないことだ。だが、いいのか? かつてのエイジリア王国とは目指す方向が違うぞ。あらゆる種族を奴隷に取らないし、異なる考え方を弾圧したりしない」


「それがいい。嘗てはエイジリア王国を変えようと思った。今は、亡き大国の骸のうえで新しい一歩を踏み出したい」


「わかった。では、アルト・ネレストは今から我が一団の一員だ」


 幼きエインヘスの亡骸の前で固い握手を交わす。


「もうひとついいか。この村は、もうそっとしておいてほしい。……みんな、トルバさんと同じように心に深い傷を負っている。呼びかけたとしても、誰も立ち上がらない」


 そう言って村を見回すアルトの顔は、夕暮れの陰に隠れて良く見えなかった。


「……わかった。先程の戦いで身に沁みて理解した。呼びかけはすまい」


「では、我々は村の片付けをしよう。もうそろそろ避難した者も帰ってくるはずだーーー」


「大変だ、アルトさん! 避難所の方ですごいことが、すごいことが……!」


 いきなり、一人の男が避難所の方から息を切らしながら走って来た。アルトは呼吸を促し、その男の報告を待った。


「ひ、避難所に、天使が現れた……!」


 その言葉を聞いた瞬間、アニールたちの足は避難所に向けて駆け出した。


 ――――――――――――――――――


 そこは、小高い丘の上に設えられた小屋だ。建物としてはぼろく、物置同然の汚さだが、無いよりはマシということで雨露をしのぎ、外敵から身を守るために利用されている。そこに、ユーアは避難していた。

 

「お嬢ちゃん、そんなに震えなくていいぜ。」

 

 言ったのは、頑健そうな中年の男性だ。よく見ると、指が二本欠けている。ユーアは自分の手を確認し、非常に震えているのにきづいた。

 

「俺らには守護神トルバさんがついているんだ、安心していいぜ。」

 

「あんた、気楽だね…。」

 

男性の隣の、中年の女性がボヤいた。

 

「数で来られたらどうしようもな

 

「だーっ!…とにかく不安になり過ぎるなよ、非常時においてはリラックスが一番だ。」

 

「ありがとうございます。」

 

男性の厚意に救われて、心が少しだけ軽くなった。とはいえ、危険はまだ去っていない。

 

「おおーい、怪我人だ!診れる者はいないか!」

 

と、兵士が入ってきた。ユーアはそれを横目で見ていた。

 

「ああ、私が診よう。軍医だった。」

 

と、髪がもじゃもじゃの小太り男性が名乗りを上げ、腰を上げた。

 

「命に関わるんだ、至急に頼む!」

 

と兵士が言った途端、ユーアの耳がピクッと動いた。腰が浮き上がり、

 

「私、見ていいですか。」

 

と言った。

 

「勝手にしろ。」

 

と兵士が言い、小屋を出た。ユーアはローブを深く被り直して外に出た。大小なり傷を負った人たちが座っていたり寝そべっていたりしていて、医療知識のある人たちが彼らを診ている。

 

「来たぞ!」

 

 と兵士が叫んだ。運ばれて来たのは、裸になった、体表の色つきが黒くなっている男だ。軍医だった人が駆け寄る。ユーアも駆け寄った。

 

ヒュー…ヒュー…。

 

目が虚ろで、口から血が出ている。

 

「内出血が酷い。それだけじゃねえ、骨折も酷い!」

 

と、運んだ兵士が言った。

 

「原因は?」と元軍医が訊くと、

 

「エインヘス…化け物に潰された。」

 

と答えられた。

 

「…。」

 

元軍医はしばらく触診していたが、手を離し、首を振った。

 

「駄目だ。あと十数分で死ぬ。」

 

「どうにかなんないのか!」と兵士が叫んだ。

 

「内出血が酷い。失われた血は戻らない。内出血だから、傷は塞げられない。どう施しても、無駄だ。」

 

その言葉を聞いて、ユーアの表情が厳しくなった。


回想:以前のいつか、馬車の中にて

 

「ちょ…ちょちょ、魔物にやられた傷どうなったの!?綺麗じゃないか…。」

 

アニールがユーアに詰め寄り、右腕を取ってまじまじと見つめた。

 

「あの…普通に治しただけですけど…それが?」

 

「え…どうやって?」

 

「どうやって、って…魔法で、ですよ?」

 

「…魔法、で?」

 

とアニールが呟くと、イヴイレスが口を開いた。

 

「前にレイアス母さんに聞いたことがある。…天使だけが、大怪我を治す秘術を持っている、と。」

 

イヴイレスは、オードル師匠とその妻アムザを父母と考えている。

 

「…天使だけ?」

 

ユーアは、イヴイレスの「天使だけが」という言葉が気になっていた。

 

「もしかして、天使だけが身体を治癒する魔法を使えるのかもな。」

 

とイヴイレスが囁いた。

 

「はえ〜。」とアニールが感嘆した。


時刻は戻って:現在

 

 治癒魔法を使えば、私が天使だということが露見する、とユーアは考えた。だが、ユーアは優しい。目の前で、消えかけている命を見捨てようなどとは思わなかった。

 

「すいません、エルベンさん、アニールさん、イヴイレスさん、ウインダムズさん。」

 

と囁いた。それからユーアはしゃがんで負傷した男性の皮膚に両手を当てがった。

 

「おい、退けろ!」

 

 と兵士が叫んだ。ユーアは瞑目し、口から呪詛を唱えた。兵士は、只事でないことが起きているのを感じ取り、口を出すのをやめた。ローブが盛り上がり、やがてローブがずり落ちて翼が天に向かうように立った。ユーアの身体が薄光のオーラに包まれる。と、負傷した男の体もオーラに包まれた。意外なことに、天使だと言って驚く者も囃し立てる者もいなかった。全員が、今ここで起こっている現象に魅入られていた。

 と、男の体表から黒い色付きが引き始め、目が徐々に色を取り戻す。

 

 ッッ…ッッ……

 

 男は苦しそうに呻いていたが、その間もユーアは唱え続け、体表から黒色が引いていく。最後の黒色が胸の真ん中で消えた時、周囲にいつしか集まっていた人だかりがどっと湧き上がった。

 

「っ…はぁっ…はあっ…。」

 

 すっかり色が良くなった男は腰から上を地面から起こした。

 

「い…い…いでーーーーーー!」

 

 そして地面に背中を叩きつけ、ジタバタともがき始めた。

 

「はぁ…はぁ…。」

 

 ユーアは喘ぎながら立ち上がり、元軍医に向かった。元軍医は、すっかり我を忘れていた。が、ユーアがこちらを向いていることに気づいて、顔を向けた。

 

「治癒魔法には痛みが伴いますが、彼の骨折や出血、怪我は全部治っています。」

 

「そうか…ありがとう…。」

 

 そこで元軍医が気付いた。ユーアの顔が赤くなっていることに。

 

「おい、君こそ大丈夫かね!」

 

「はぁ…はぁ…。あれ程の大怪我には、相当体力を使うので…。」

 

 というや否や、崩れ落ちた。次にユーアの気がついたときには、小屋の中でアニール達に囲まれていた。

 

「アニー…ル…さん…。」

 

「今来たばっかりなんだ。おい、どうしたんだこれは。」

 

とエルベンが心配する。そこへ元軍医がやってきて、事の顛末を話した。

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