終焉の時代

 アニールと再び外套を羽織ったユーアはトルバに連れられて丘の上へ歩く。そこにはこぢんまりとした小屋がぽつんとある。小屋の周りにエルベンとイヴイレス、ウインダムズの姿を認めたアニールはわずかに顔が緩んだ。一方、ユーアの口元は固く結ばれたままだ。


「まぁ安心しろ。ユーアちゃんのことは誰にも言わねぇ」


 トルバが鍬を担ぎながらそう言った。見てくれは完全に農夫だが、その身体の中には絶大な力を秘めている。小屋にたどり着くと、アニールはまず3人のところに駆けつけて平身低頭する。


「ごめんなさい、トルバにユーアさんのことがバレた!」


 3人の動きが一瞬固まる。アニールの後ろからトルバが歩いてきて、気怠げにこう言った。


「だから他の村の人には言わないって。俺的にはむしろ魔獣とかじゃなくて良かったよ。魔力が紛らわしいよ、魔力が」


 硬直する5人のそばを通り過ぎたトルバは、小屋の壁に立てつけてある複数本の鍬をアニールたちに向って投げつけ、まずエルベンがそれを捕らえる。


「おら、俺と話したいんだろ。畑作らなきゃいかんから、まず耕すの手伝えや」


 急に畑仕事を振られて困惑する一行であったが、まずアニールが気を取り直してトルバの後についていき、ウインダムズやユーアが続く。エルベンとイヴイレスは、やれやれ、という感じでみんなの後をついて行った。トルバがまず大地に鍬を振るう。既にかなりの面積に土畝ができているが、それでもまだまだ真っ新な面が残っている。アニールたちはそこへ歩いて行って、鍬の歯を大地に突き立てる。高かった日が地平線に近くなった頃、ついにトルバが鍬をふるうのをやめて、ただ立ち佇まう。アニールたち5人の耕していた面を、それよりも広範なトルバの耕した面が取り囲んでいる。


「……戦えば、どれほどの強さになるんだ?」


 エルベンの声が震えている。畑を耕しているうちにどんどんトルバの立ち位置が変わっていって、まるで場所がほとんど変わっていないエルベンたちとの差をまじまじと見せつけられたからだ。


「さて、話をしようか。これからアルトがメシ作ってくれるんだ、一緒に食おうじゃないか」


 圧倒的な農夫を前に、一行はただ頷くことしか出来なかった。




「ふむ。それが今までのお前たちの旅の話か。……つまんなくなったなあ、この世界」


 アニールの話に耳を傾けていたトルバが仰け反りながらため息をつく。その場のみんなに振舞われたスープはすっかり空になり、鍋の底はもう冷めている。


「キシロカインの町ももう無いか。あそこは花見に酒のいいとこだったんだか、そうか……」


 そのトルバの呟きにアルトが頷く。中年男性同士にしか伝わらないことに、その場の若者はみな首を傾げるしかなかった。――――やがて、トルバが仰け反らせた首を戻して一行に視線を向ける。


「そういえばお前たち3人の師匠ってあのオードル・フラガラハらしいじゃないか。アルトが推理してたぞ」


 かつて師匠とやり合ったであろう十傑を前に秘していたことだったのだが、アルトを前にボロを出していたのがいけなかったのだ。イヴイレスは心の中でそう悔しがり、事実を認める。


「はい、そうです。かつて師匠と戦ったあなたの心に障るのではないかと……」


「あぁ? んな感情、16年前に戦場に置いてきちまった。ちがう、戦場じゃねえ。エイジルのゴミ溜めに捨てて来たんだった。今一度言うが、”十傑”なんぞかつての肩書なだけだ。忠誠も、もう欠片もねえ。いまここにいるのは畑仕事をするくたびれたおっさんだけだ」


 自身をくたびれたおっさんと称したトルバだったが、アニールにとっては嘗てない力を秘めている人物に違いなかった。かつてオードルと戦って生存し、敵軍には甚大な被害を与えた豪傑。この人がいれば、秩序を取り戻せるかも知れない。そう思って、アニールはやおら立ち上がって、トルバに向き合う。


「トルバさん、お願いがあります。この大陸に秩序を取り戻しませんか?」

「いや、俺はいい。断る」


 あまりにも急で短い返答。トルバの目には光がなかった。はぁ、と視線を下げてアニールが座る。トルバは続けてこういう。


「他の奴を誘ってもいいが、この村にいるみんなは戦いに疲れているんだ。それにこの村で騎士団を立てるのも許さない。俺等は戦いに疲れているんだから、余計な争いを持ち込むな」


 ろうそくの火が揺れ、部屋中が瞬くように暗くなる。エルベンが空のスープに口をつけたり、ウインダムズがただ座するだけだったりする中で、イヴイレスが話を切り出す。


「あの、できれば昔の話を聞かせてもらえませんか? 戦争の時の話を」


 ろうそくの火が勢いを戻し、部屋に仄かな明かりが満ちる。その中でトルバが天井を仰ぎながらゆっくりと口を開く。


 ――――――――――――――――――


 あれは19年前のことだった。戦争が始まったのは、ヴェールと国境の魔晶鉱山の主導権を巡ってのことだった。高性能な魔道具は戦局を左右するほどの力がある。だから両国とも、魔道具の原動力になる魔晶の鉱山を巡って小競り合いしていた。それでも、あの時点では国王には本気で戦争をするつもりはなかったらしい。なんとか政治でヴェールをやりこもうとしていたが、ある日事態が一変したんだ。ひとりの十傑が待機命令を違反して単独で鉱山に突撃、占領してしまった。鉱山に血の山を築かれてしまったヴェールは激怒して、最新鋭の牽引式バリスタを率いた大軍を送ってきた。しかも鉱山にではなく、少し迂回したところにある村を襲ったんだ。その時から戦争が始まったんだ。小競り合いは終わってしまったんだ。それからは地獄の日々だった。かつての戦争で休戦協定を結んでいたフォルモが一方的にエイジリアとヴェールに宣戦布告したんだ。


 「おい、よくもこんなもの出せるな!!」


 とある貴族が朝食に出されたスープを放り投げる。それは護衛についている俺の足元に浸って、気味が悪くて俺は後退った。戦争で物流が滞ったせいで上級の材料が王都に出回らなくなったのだ。俺は貴族のお守り役も終わりが近づいているのを肌で感じていた。


「失礼」


 王の使いである証のローブを来た男が朝食を放り投げた貴族のもとに来て、そのまま俺の前に来た。


「十傑が1人、光亡き地のトルバよ。王軍からの指令だ、貴族護衛任務を命を解く。これより戦地へ身を投じ、以て御魂を王に捧げるのだ」


 日が昇ったばかりでまだ影の色濃い時間だった。俺はその命を受けて王の使いに敬礼し、護衛対象のもとを離れて、足音を数えながら歩いた。いや、自分の死までの歩数を数えながら歩いていた。兵舎に戻った俺は参謀より作戦を授かって隊を率いて、出撃した。



「……王国は勝つ気があるのか……?」


 血で血を洗う戦いの中で、ふと呟いた。その頃にはもう一年も戦い続けていた。戦局は、もうお互いの国の国境など無いような位に入り乱れていた。光の民を兵器として使い潰し、異種族を盾として使い切った我々は自ずの身を危険に晒さなくてはいけなくなり、俺は逃げようとする自国の兵士の首を斬った。何度も、矢の飛び交う戦場の真ん中で敵の頭と共に。そうしていくうちに、王国からの命令がどんどん曖昧でやる気のない内容になってきていた。


「帰ろうか、王都に」


 ある日、俺は自分の軍にそう告げた。王都とは連絡が取れなくなって久しい。もはや背後は頼りなく大義など感じられない戦いだ、王に直談判でもして敗北でもいいから強制的に終わらせた方が良いと感じたのだ。我が兵士たちは頷き、帰路を共にしてくれた。だが、魔獣の群れを掻き分けて帰路についた王都で見たのは飢餓で痩せ細った人々の群れだった。よく見ると、見覚えのある質の良い服を着た人までもが痩せ細ってミイラのようになっていた。王城に入ってみると、大きな嵐に巻き込まれた直後のような惨状になっていた。王の令が来なかったのは、王が死んだからだ。王の死の知らせが来なかったのは、そうする余力さえなかったからだ。王国は、もはや機能していなかった。

  敵兵が王都に侵入した様子はなかった。王都は戦争の物資不足が体力の限界を越えて崩壊してしまったのだ。少々不審な点はあったが……。


 王都が廃都になり、我々はひとつの決断をした。戦争で廃れた村の跡に新たな村を作ることにした。それがここだ。


 −−−−−−−−−−−


「幸い、敵の襲撃は一度しかなかった。それ以来は、魔獣しか襲ってこなかった」


 トルバが盃を静かに置く。歳を重ねた酒臭い息を洩らす。蝋燭の灯りのゆらめきを目で追うトルバ。一方、アニールは右肘を卓につけ顎を右手に載せながら蝋燭の火を見つめている。


「あの、不審な点とは何だったのでしょうか」


  それはアニールがトルバの話を聞いていて思い浮かんだ疑問。トルバは天井を仰ぎながら、それについて話す。その全容を聞いたアニール達は驚愕し、それぞれ思い思いの表情を見せながら、最後には聞いたことを胸にしまう。――――ここで何が語られたか、それは来るべき時が来た時に改めて明らかにしよう。


 闇夜に浮かぶ雲が、東の空からくる橙色の光に焦げるようにほんのりと明るくなる。卓に伏して涎を垂らしたアニールは、瞼の重い瞳で窓越しにそれを眺めた。


「結局、ここで寝ちゃってたか……」


 エルベン、イヴイレス、ウインダムズ、ユーア。みんなは特に危害を加えられた様子はない。トルバは椅子から転げ落ちて寝、アルトは行儀よく革を被って床で寝ている。

 ひとり目覚めたアニールは、朝の水気を含んでひんやりと澄んでいる空気を吸いに外に出る。小高い丘からは遠方の山脈がよく見える。限りなく広がる森の向こう側の、雲を穿く山脈の頂は白く映えている。その山脈から小川が流れているのに気がついて目で追おうとしたが、鬱蒼とした森に視界を阻まれてしまった。

 地面に坐して風景を眺めながら、アニールはこれからのことを展望する。


(旧都エイジルはトルバさんの話によれば、既にボロボロなのだろう。それでも……やはり、自分の眼で確かめぬことには意味がない。それに、意外な情報が手に入るかもしれないしな)


 アニールはやおら立って、背伸びをする。すると、背後から声がした。


「アニールさん、おはようございます……ふわぁ」


 皺の深い、どこか品性を感じさせるような顔つきの中年男性。アルトだ。


「おはようございます。早いんですね」


「そちらこそ」


 アルトはアニールの横に並んで座り、共に日の上る方を眺める。しばらくして、アルトが口を開く。


「私をそちらの団に入れていただけませんか?」


 唐突な申し出。アニールは頭の整理に間を置き、返事する。


「私の団に入るなら、秩序に忠誠を誓ってもらうぞ。エイジリアでもない、フォルモでもない、ヴェールでもない。秩序にだ。……そこまでの覚悟はあるか?」


「勿論です。この村、いや、この旧王国軍トルバ隊はすっかり腑抜けました。トルバさんでさえも、です。私はかつて王都に戻ったとき、王国の再興を懸命に訴えました。王国がなければ、秩序が保てないからです。にも関わらず旧王国軍トルバ隊はほとんどが意気消沈して停滞を選びました。」


 その横顔は影が深くなっている。


「私は失望しました。しかし1人では何もできない。私はずっと、この村で足踏みをしていたわけです。そして……昨日、新たなる主に出会いました。あなたです」


 アルトが顔を上げ、アニールの眼の前に立つと再びひざまずいて、敬礼をした。


「アニール・トカレスカ。新たなる私の主よ、全ての民が幸福に暮らせる世を創るために私をお使いください」


 その眼差しは強く、アニールには断る理由が見つからなかった。


「では、一緒に来るがいい。一寸先も見えない道なき道をともに歩こうではないか」


 2人が手を取り合う。その握手の向こう側の空で、太陽は燦々と輝いている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る