嘗ての時代の豪傑
使命の為に降りて来た天使。だが肝心の人間文明が既に崩壊してしまっており、どん詰まりになった天使はただ馬車の中で虚空を見上げる。時折頭を掻きむしっては膝の中に顔を埋めて泣く。
「なぜ拾ったんだ、アニール」
御者席でアニールとイヴイレスが肩を並べ、イヴイレスが小声でアニールに囁く。
「ほっとけないでしょ、全部護るって決めたんだから」
ぱっちりと開かれた瞳をイヴイレスに向けるアニール。その瞳は揺れる馬車にあっても揺らがない。対するイヴイレスは、はぁ、と息を吐いて片手で顔を覆う。
「だいいち、彼女を匿ってやれる所なんてないぞ。光の民でさえヴェールでも人さらいに遭うことがあったと聞く。500年も地上に降りてきてない希少種族なら尚更だ、どんな目に遭うか分からない。山にでも連れていくつもりか?」
「必要ならそうする。天使がいるのってヴェールのアルケア山脈、フォルモのミレルハ山脈とかだね。行かなきゃいけない場所、増えちゃうな」
「そうか。……こんなケースは想定していなかったが、まあいい。僕も騎士として腹をくくろう」
そう呟いたのち彼の懐から水筒を取り出し、ヤケ飲みする。ぷはっと飲み込んだ後、残りの水を己の顔にぶちまけて洗う。
「よし。 アニール、現実的なプランを考えよう。第一、よく考えたらかえって文明が崩壊したのが良かったかもしれないな。天使を捕らえても売るべき相手はいないし、この時代じゃどんな金銀財宝よりもたった一本の芋のほうが貴重だからな」
「あはは、そうだね。……でも慎重を期するよね、これは。最後まで責任を持とう」
アニールの手綱を持つ手に力がこもる。心なしか、馬の走る速さが少し上がる。
一週間後。心が落ち着いた天使ユーアは狩りや植物収集に参加するようになった。
「イヴイレスさんん、この種類であってるぅ?」
「いや、そのキノコはメルダケに似ているが毒があるから捨てろ。他は大丈夫だろう。ウインダムズのとこへ持っていけ」
「はい~。ウインダムズさ~ん」
毒キノコだけ地面に放って、湯を沸かしているウインダムズのところへ運んでいく。調理を終え、5人が食事を終えて見張り以外が眠りに就く。革で作った寝袋の中で、ふとアニールは誰かの呟き声に気付いた。ユーアの声だ。
「nnnwww。 l WA l WA、……。n HUM。 n ROA。l WA、l WA」
未知の言語だ。恐らくは彼女の故郷の言語なのだろう。ひとしきり呟いてはいびきをかき、しばらく経つとまた未知の言語を呟く。顔を覗き込んでみると、既に涙が流れた跡がある。アニールはそっと目を逸らし、ユーアの寝袋を深く被り直させる。そしてアニール自身も眠りに就く。
更に1週間後。
「ふぅ……。これ以上の動きはないかな」
ヘラカテ、閃光を発する尾を持つカメレオン似の魔獣の群れを倒しきったアニールたち。ウインダムズが死骸から槍を抜き、血を払い、茂みや木々などを警戒する。
「大丈夫だろう」
イヴイレスがそう判断する。ヘラカテの群れとの応戦中に高台を見つけたエルベンはそこへ上り、周りを見渡す。
――――エルベンの視界の中を、黒い煙が空へとたなびいてゆく。細い煙、つまり生活の煙だ。
「あ、あああ……よっしゃ……!」
拳を握り、逸る足で一行のもとへ急ぎ、煙のことを伝える。一行はみな喜び、次の目的地をそこへと決めた。だが、アニールは天へと突き上げた拳をすぐに下ろし、ユーアの翼に視線を向ける。
「どうしよ、ユーアさんの翼」
天使。ともすると、その存在だけでトラブルになりかねなかった。ユーアはその反応を予知していたか、翼がすっぽりと収まる大きさの外套を身に纏い、天使らしかぬみすぼらしい見た目の旅人に変身する。
「どう? これなら大丈夫だと思うよぉー」
アニールは頷き、革の紐を取り出す。
「いい案だ。ついでに紐で外套を身体に縛り付けると良い。この方が外套が暴れないから動きやすくなるし翼をより隠せるし一石二鳥だ」
こうして、一行は煙の出た方へと進む。
一行の進める馬車の前に、ボロボロの革鎧を身に包んで槍を構えた男たちが躍り出る。特段襲ってくる様子はなく、その中の1人が構えを解いて馬車に近づく。
「やあ。 お前たちが敵かどうか確かめたいから降りて来てくれないか」
全員が降り、それぞれ手を挙げる。男は一行をまじまじと観察したあと、手を挙げて下ろした。男の仲間たちが一斉に構えを解く。男は名をアルト・ネレストと名乗った。
「敵意のない目だ。旅人だな、どこから来た?」
「レルテル山麓、避難民が集まって作った村から」
アニールが前に進み出、男の質問に次々と答える。ひとしきり話し終えると入村の許可が出た。
――――ここの村は、丘の上に築かれている。村に入るには坂を上らなければならず、上り切った先でも太い木材でできた頑丈な柵が待っている。魔獣と言えど侵入が難しい構造になっている。柵の壁で囲まれた中に入ると、掘立小屋が乱立している奥に、ひときわ大きな小屋がある。
「まずは、旅の話を聞かせてもらおうか。外からの客など、戦争以来初めてのことだ。……フギニの預言のように諍いは起こしてくれるなよ」
槍を持つ男の言葉にアニールは気がささくれたが、お互いなにも言わずに歩く。
池のすぐそばのテーブルとイスに一行は案内され、腰かける。なるほどここでも情報は貴重なのだとアニール達は気付いた。つまり、この村も孤立していて他に連絡を取れる相手がいないのだ。今度はイヴイレスが旅の経緯を話す。騎士団の設立を志して村を飛び立ったこと。半年くらいは旅していること、その中で生きている集落に出会ったのはウインダムズの村だけだということ。ひとしきり話し終えると、話を聞いていたアルトは項垂れて、拳をテーブルにぶつける。
「くっそ、昔なら馬車を道なりに走らせれば最低でも一週間でどっかの集落にぶち当たってたぞ! なのに半年旅してて、1個しか見つからなかったのか……くっ……」
アルトはそこそこ歳を食っているようで、一行の話と昔の記憶を照らし合わせては悔しがっている。
「一行の旅のルートはおそらくこうで……とすると17つも滅んでいるか……」
「あの、すみません。悪いんですが、出来ればこの村の長とかに会わせていただけませんか?」
物思いに耽っているアルトにイヴイレスが切り込む。アルトは、ああ、と気が付いたように席を立った。
「これから君たちが会うのはこの村の実質的なボスであり、かつてエイジリア王国が誇った最高戦力”十傑”が一人、『光亡き地のトルバ』。 君たちの世代は知らないだろうけど、本当に凄いお方だよ」
「じ、十傑!?」
イヴイレスが驚いてイスを倒す。アニールとウインダムズが頬から冷や汗をかき、エルベンはあくびをする。
「「ってエルベン、師匠から聞いたの忘れた!?!?」」
十傑の名を聞いて尚あくびをするエルベンにアニールとイヴイレスが詰め寄る。
「いいかエルベン、十傑と言えば個人の戦闘力が人間でも最高の者でエイジリア王国に選出された者のことだ! 個人で山を崩し、湖をも干からびさせる能力があると聞いているぞ! 師匠だって逃げる人々を複数の十傑から守るのにに苦労したと言っていたぞ!」
無知なエルベンに詰め寄って流暢に解説するイヴイレスだが、今度はアルトが転倒した。イヴイレスの口から飛び出る師匠とやらの逸話がまたとんでもなかったために転倒したのだ。
「それってやべーじゃんか。ということは……、どうしよう、身体震えて来た」
「僕もだ。……しかし十傑か」
イヴイレスがユーアのほうを振り向く。彼がしばらく顎を撫でて視線を下に向けた後、アニールに話す。
「悪いが、相手は十傑だ。ユーアさんを頼めるか、アニール?」
「うん。 流石に私も思った。じゃ、ユーアさんは私と馬車に戻ろ」
「え。わたしぃはだいじょうぶぃだけどぉ?」
ユーアが首を傾げるが、いいから、とアニールは彼女の手首を引っ張る。そのままアニールは強引にイヴイレス達からユーアを引き離し、アニールたちの幌馬車の中に入れる。
「ど、どうしてですかぁ? わたしはぁ……」
「落ち着いて聞いて。エイジリア王国は異種族を忌み嫌っていて、純人間種以外はみーんな人じゃない扱いされてたと聞いてる。光の民は兵器に、獣人はヴェールやフォルモに対する人盾に。洞魔族なんかはエイジリア全土の洞窟を全て焼き払って全滅させたと聞く。だからね、そのエイジリアの人に今みつかるわけにはいかないの!」
その言葉にユーアは少し固まり、やがて身体を震わせはじめる。外套を深くかぶり、自分の姿ができる限り外から見えないように木箱の陰に隠れてうずくまる。
「でも、いざとなったら私が守る。だからこの村にいる間は出来る限り目立たないでちょうだい」
馬車の奥でうずくまるユーアが頷く。アニールも頷いて馬車の外に出る。瞬間、辺り一面が真っ暗闇になった。
「?! 何だ!?」
アニールは初め、世界が変わったのかと思った。辺りには何もない、ただ墨で塗りつぶされたような真っ暗闇。だが足を動かしてみるとちゃんと草葉を踏みしめる感触がする。風が吹くのを感じる。これから暑いのが収まって冷え込む季節が来る匂いを感じる。目だけが見えない。
「こ、攻撃か!?!?」
魔法による目隠しだと断定したアニールが即座に剣を抜き、構える。だが何かが動き出そうとする気配はない。元より、馬車を止めているところには村の人も誰も居なかった。
「ひっ!?」
馬車の中でユーアが怯える声がする。駆け寄ろうとしたアニールだが肝心の眼が見えないため、そこに突っ立っているしかない。
「なるほど。人じゃねぇ魔力を感じたと思ったら天使というわけか」
馬車の中からとても低い男の声がする。アニールの視界に徐々に色が戻ると、ひげを無造作に蓄えて鍬をかついだ男がユーアの外套を剥がして翼を露出させているのが見えた。
「男、その人から離れろ!!!!」
アニールが魔力で風の槍を形成して男に向けて投げる。人の目に留まらない高速で肉薄した魔法は、しかし男の人差し指と中指に挟まれて止まってしまう。アニールが跳んで馬車の中に入ると、男はもうそこにいない。あまりの素早さにアニールがあんぐりと口を開けていると、外から声がした。
「おっと、自己紹介がまだだった」
馬車の外から先ほどの男と同じ声がした。アニール、得体のしれない人物を相手にして、かつて忘れ去った恐怖を思い出して震え始める。――――だが、それでもユーアを守るという原点を思い出し、深呼吸して恐怖を追い出し、再び馬車を降りて剣を彼に向ける。
「俺はトルバ。お前は知ってるかどうかしらんが、”光亡き地のトルバ”と呼ばれていた」
まさかの来客に、アニールはただただ言葉を失った。アニールが何か言おうとして口を動かしても、喉から声がでない。ユーアもさっき聞いたばかりの言葉がでてきて呆然としているだけ。
「さて、全員に来てもらおうか。俺んちに」
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