空から落ちてきた翼

「ルツェルンハンマー、ですか。槌の部分については分かりませんけど、槍としての扱い方ならわかりますよ」


「マジか。ありがてえぜウインダムズ。こっちとしちゃ槍の心得はあるんだが師匠に教えてくれたのは少しだけだったし、この機会に鍛え直すか」


 エイジリアの王都エイジルを目指す道中、休憩がてら湖のそばに寄った一団。アニールは野草を収集し、イヴイレスは高台に上って地形と方向を照らし合わせて道を探す。エルベンとウインダムズは森の中、木洩れ日の中でそれぞれの得物の鍛錬をしている。


「構え方が違いますよ。腰をこう、膝をもっと屈んで、槍はこう持たないと……」


「注文が多いな、まったく。だいいち、先端が重くてその恰好じゃ駄目なんだよ」


「うーん。ルツェルンハンマーですからね、また別の構え方を考えないといけないですね……」


「だー! 頭が痛くなってきた! ちょっと湖で頭冷やしてきていいか?」


「あ、じゃあ僕も」


 褐色の土を踏み分けてエルベンとウインダムズが湖に戻ろうとする道中、木々の葉が高い所で重なり合って光の差さない暗い空間に踏み入れる。


「ん? 妙ですね、あそこだけ不自然に空いてません?」


 森の葉が重なり合って闇の傘を形成している中で、穴が空いたように葉が重なり合っていない空間をウインダムズが見つける。


「さあな。 魔獣かもしれないな、あそこだけは避けるか」


 と、開いた空間に差し込む光の柱を避けようとエルベンが歩を進めた時。


 むにゅっ。


 エルベンの足に柔らかくて不自然な感触が伝わる。


「ぎゃーーーーーーーーー!?」


「うわーーーーーーー!?」


「キャーーーーーーーーーーーーー!!」


 エルベンが感触に驚いて全力疾走しその場を離れ、ウインダムズもエルベンの叫び声に怯えて頭が真っ白になりただ走り去る。ようやく闇の空間を抜けて湖のほとりまでやって来た2人。


「ちょっといきなり叫ばないでくださいよ! 怯えちゃったじゃないですか!」


 涙目でウインダムズが叫ぶ。エルベンが頭を掻いて申し訳なさそうにする。


「わりぃな、ウインダムズ……。脚に変な感触がしたもんだから。しかしあそこにアニールもいたのかな? 女の叫び声だったし……」


「どうしたんだ? 2人とも。叫び声が聞こえて来たんだが……」


 と、2人がやって来たのとは反対側の方向から半身火傷の女子、アニールがやってくる。ん? と、疑問を抱いたウインダムズが彼女に問いかける。


「あの、あっちの方にある、森の暗いところにアニールさんもいませんでしたか?」


 アニールは首を横に振り、いや、と答える。エルベンとウインダムズが冷や汗をかき始める。


「ゆっ、ゆゆゆ、幽霊……?」


「やだなぁエルベンさん。ど、どっかの村が近くにあるんですよ。うん、きっとそうです」


「そんなのは見なかったな」


 とイヴイレスがタイミングよく帰ってくる。エルベンとウインダムズが顔を見合わせ、汗を大量にかく。


「「ゆ、ゆーれい……」」


 すると、エルベンとウインダムズのやってきた方からガサガサっと音がし始める。草藪がぼうぼうに高く生えており、何が音を鳴らしているのか見ることができない。


「「あ、あ、あ……」」


 恐怖のあまり遂に抱き合ってしまうエルベンとウインダムズ。恐怖は力になるんじゃなかったか、とアニールは内心ウインダムズにツッコんだ。


「X、TTffffff……」


「「ギャーーーー!!」」


 草藪の中から、未知の言語の女の声がして、怖がり2人組は明後日の方向へと走り去ってしまった。武器の柄に手をかけてじっと見るアニールとイヴイレス。


「X、TTfffff…… HELL、HAV MEA o VEG……?」


 バタリ。


 草藪から”彼女”は未知の言語を唱え、地面に倒れるようにして姿を表す。その姿を見て、アニールが目を擦る。


「イヴイレス。私の目は正常か?」


「奇遇だな。私も私の目について疑っているとこだ」


「じゃあ一度目を瞑って、せーので開けよう」


「「せーのっ」」


 再び目を開いた2人が見た、”彼女”は――――




 

 背中に翼が生えている。





 ――――――――――――――――――


 ”天使”がむしゃむしゃと肉を貪り、水を喉に流し込む。やせ細った腕に細かい枝や葉などが付着して汚れた真白の髪、見るも痛々し気に枝が刺さって赤く染まっている背中の白翼。ルビーのように輝く瞳には肉しか映っていない。アニールたちがとりあえず差し出した食料を平らげると再び倒れ、そのまま眠ってしまった。


「名前とか聞きたかったんだが……。まあ後で良いか」


 アニールはそっと”天使”に柔らかい材質の草葉をかけてやり、側に座る。エルベンとウインダムズは瞳を大きく開けながら何度も擦っては”天使”を見る。イヴイレスは頬に汗をかきながら馬車の中に積んだ文献を漁っている。


「僕の記憶が正しければ……あった、このページだ。……500年前に”空の王国”との交流が途絶えて、今ではヴェールやフォルモなどの山脈地帯の民族と細々とした交流しかないようだ。……この記述しかないな、くそっ」


 パタン、とイヴイレスが本を閉じて馬車を降りてくる。彼は眉をしかめて”天使”を見る。それから焚火の前にある大岩に腰かける。


「アニール。済まないが頼みがある。”天使”が目覚めて、知っていることを話してもらうまでここにいよう」


 その言葉にアニールは頷き、改めて”天使”を見る。汚れていてみすぼらしい見た目ではあるが、翼が生えている。手の指先が良く動くようになり、アニールの視線が何度も何度も”天使”の背中に向く。


 ----翼の骨格の根っこが女の子の背中に埋め込まれているように生えている。それがアニールの眼には物珍しいのだ。いや、大陸のどこを探しても天使のことを物珍し気に見ない人はいないだろう。アニールの手が伸びて、そ~っと翼に触れようとする。羽根はふかふかで温かい。翼の骨格が想像以上にに固くて、アニールは何度も触って確かめた。


「……yyyeee……」


 くすぐったげに翼がぴくっと動いて、”天使”がゆっくりと瞼を開ける。ギョロ、と瞳が動いてアニール、イヴイレス、エルベン、ウインダムズを順に見る。相変らず未知の言語を口から出している。


「あ、おはようございます。勝手に触ってしまってごめんなさい……!」


 咄嗟にアニールが謝罪の言葉を口にする。すると、その言葉を聞いて”天使”が顎に手を当てて眉をひそめる。


「~~~~~?? ■■■△△△? ……!」


 まったくの未知の言語を呟き続ける”天使”。その場の一同が首を傾げる。――――――すると、”天使”はポンと手を叩いて、”話し始める”。


「……このぉ言葉でぇ、どうかな? おはよぅございます、分かりますかぁ?」


 一同が頷いて、”天使”の顔がパアっと晴れる。初対面の異種族を相手にどう接すればいいか分からずおどおどしているアニール一同に対して天使が歩き寄り、話しかける。


「助けてくれてありがとぅございますぅ。私ぃはユーア・パステルス。地上のことを色々ぉ学びに来ましたぁ」


 訛りがひどいのか間延びした声で話しかけてくる”天使ユーア・パステルス”。誰が返事するかアニールたちの間で目配せし合っているとアニールに視線が集まったので、仕方なくアニールがユーアの前に進み出る。


「えっと、ユーアさんでいいのよね? 私はアニール・トカレスカ。私の後ろにいるのは仲間だ」


 順に仲間の名前を紹介していくアニール。アニールの仲間の名が出る度にユーアは口を動かして復唱する。


「それで、ユーアさんってどこから来たんですか? 天使なんて種族は大陸に僅かしかいないはずですが……」


 疑問に思っていたことをぶつけるアニール。明らかに不自然だったのだ、500年前に交流が途絶えたはずの種族が今ここにいるなんてのは。


「空の王国、とぉ確か地上の人が呼んでいるはずの国から来ましたぁ」


 その名を聞いてイヴイレスが空を仰ぎ見る。だが、そこには星の空と月しかなかった。


「落ち着いて見上げてみてくださいぃ。王国は魔法で隠れてぇいるのですよ」


 そういわれて、4人の中でも魔力操作に優れている方のアニールとイヴイレスが瞑目して集中する。すると、巨大な魔力の塊が空に浮かんでいるようなビジョンが瞼の裏に浮かび上がった。


「ある。確かにある。……だが、そもそもずっと空に浮かんでいたのならなぜ500年間も地上に降りてこなかったんだ?」


 興味がわいたのか、少し早い歩き方でイヴイレスがユーアに詰め寄る。ユーアは少し後退りながら答える。


「鎖国しているのですよ、王国は」


「鎖国? なぜ?」


「それが、誰にも知らされていないぃ。王国は沈黙を続けたまま私たちを閉じ込めてるのぉ」


 ユーアは俯きがちになって、彼女の身の上を話す。ユーア・パステルスは空の王国において反体制派であり、開国を志している。開国のする為の前準備として秘密裏に外との関係を持つことにし、ユーアはそのために派遣された1人だということが説明された。あまりにも突飛な話にアニールたちが目を点にしている間にもユーアは話し続ける。


「無茶は承知ですぅ。地上に降りた瞬間に何者かに襲われてもおかしくないぃ。でも私も含めてみんなぁ、死ぬ覚悟はできているんですぅ」


 ユーアの瞳が彼女の覚悟を雄弁に語っている。その瞳から発される迫力に、アニールはユーアの話が現実味を帯びて聞こえてくるようになる。


「それは素晴らしい志です。空の王国の事情は知りませんが、貴方は立派です。ただ……」


 アニールは少し眉をひそめて目を逸らし、己の人差し指同士を合わせながら言う。


「この大陸に、生き残っている国があるかどうか怪しいんです。十数年前に大きな戦争があって、このソルドラス大陸のほとんどの国が滅びたって聞いているので……」


 彼女の話を聞いた時、ユーアは身体をびくっと震わせて片手で目を覆う。


「ねぇ、それって本当ぉ? ……まいったなぁ、今更空にはもう帰れないし……」


 ユーアの瞳が揺れ、その場で楕円形を描くように歩き回り出す。眉間に皺を寄せて、顎に手を当てて考えながら回っている。その歩き方はどんどん遅くなり、反比例するようにユーアの頬に涙が流れるようになってくる。


「うぅ、なんでぇ……。もう文明が滅んでるならぁ、降りてきた意味がないぃ。使命は……使命なんて果たせないんだあぁ!」


 ついに膝を下り、翼で自分の身を包み隠しながら天使が泣く。それを気まずそうにアニールたちは見ているしかなかった。

 やがて天使が泣き止む。それを待っていたとばかりにアニールが天使に近寄り、屈んで提案をする。


「流石に文明が滅んだからといって、人がいなくなったわけじゃないよ。人の集落があるところを探して、私たちがそこまであなたを送り届けるっていうのはどう?」


 天使はぼんやりとした表情で頷く。何も言わないままユーアが馬車に乗り込んで、アニールの後ろで聞いていたイヴイレスは頭を掻いた。


 ――――――こうして、天使がアニールたちの旅に同行することになった。

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