アニール・トカレスカ、伝説の旅路の始まり

「前に語った、私が勇気を抱いて村を襲う敵を退治した話の続きになる」


 そう前置きして、アニール・トカレスカが口を開ける。


 ――――――――――


「くそ、反対側から敵が来るなんて!! ……ん、敵がもう死んでる……?」


 遅れてやってきた大人たちに私とユニールが事情を説明し、戦いは終わったということを告げる。


「さすがはオードルさんの弟子!」

「子供のくせにつええな、やるなぁ」


 と賞賛しながらも大人たちはすぐ切り替え、死体を運ぶぞと指示してきた。私はすぐに取り掛かり、亡くなった村の大人の遺体を運ぼうと屈んで、一瞬だけだけど呼吸ができなくなった。


 首をだらんと下げて動かない。恐る恐る触れると、驚くほど冷たかった。まるで氷に触れているみたいに。でもまだ肌色を失っていなかった。


「あの、起きてください」


 あのときは頭がどうかしてたんだと思う。あの顔を見たら、声をかけたら起きるんじゃないかって思っちゃったんだ。まだ生きていて眠ってるだけだと思っちゃったんだ。……もう胴体には数本の矢が刺さっているのに、ね。


「もたもたするなアニール! どけ!」


 大人に押されてどかされて、亡くなった人がだらんと腕を下げたまま運ばれていくのを私はただ見ていることしかできなかった。


 気が付けば、村人が総出で遺体を火葬する準備をしている場面に出くわしていた。地面に窪みを掘り、薪などを敷き詰め、そこに遺体を入れる。大人に運ばれて窪みの中に横たわる遺体は、既に黒みがかかりはじめていた。


「みんな、ごくろう。家族じゃないやつが火の番をせよ」


 村長がそう指示し、人を指名して、他の人たちを帰らせる。その中で私だけが立ち尽くしていた。


「なんじゃ、アニール。オードルの弟子よ」


「焼いちゃうの? だってあの人、今日の昼だって元気に鍬をふるってたじゃん。その人だって建物を修理してて……どうして焼くの?」


 村長の眉毛に隠れた瞳が大きく広がったような気がした。フム、と村長は長い顎鬚を撫で、一呼吸を置いてから屈んで私と視線を同じにして、諭すように話す。


「いいか、アニール。死んだんじゃ。病で死ぬように、獣に襲われて死ぬように、落石で死ぬように、悪しき人の手によっても死ぬんじゃ。それはいちばん近くで見たお主が一番わかっておろう」


 言われて初めて、ようやく実感がわく。今まで誰かが死んで葬式に参加したことはあったけど、人が人に襲われて死ぬのを見たのは今回が初めてだった。襲撃があってからずっと、本当は心がぐっちゃぐっちゃだったのかもしれない。村長の背後で火の番が次々に火をつけ始める。


「ご、ごめんなさい。へんなこといっちゃって」


 顔を上げて謝る。だけど、村長の顔がちゃんと見れない。目が滲んでちゃんと見れない。


 結局、その夜は私がわあっと泣き散らして気を失って、迎えに来たレイシャスお義母さんにおんぶされて帰ったらしい。




 次の日、優しい陽光が頬を撫でるのを感じて起き上がる。隣で、まだエルベンとイヴイレスが寝ている。庭ではユニールが一心不乱に素振りをしている。部屋を出ると、レイシャスお義母さんが調理の手を止めて私を抱きかかえた。つらかったね、と頬を撫でられてまた泣いてしまった。いっぱい泣いた後にはもうエルベンとイヴイレスは起きていて、みんなで食卓を囲んだ。

 お義母さんにお使いを頼まれて、村に物々交換に出る。魔道具と交換で野菜を手に入れるのだ。


「おはよーございます!」


 一軒目。よく親しくしてくれる人のところで腰をつけて世間話する。野菜の育て方とか、魔道具の使い心地とか。


 ――でも、なんだか足りないような気がしてきた。本来ここにあるべきものが、ない。その時はそれが何なのかちゃんとは分からなかった。


 一軒目の人とはほどほどに話を切り上げて、二軒目に行く。――そこで、ようやく足りないものに気が付いた。ドアをノックする。出てきたのは、いつも出迎えてくれる人の奥さん。いつもより老いて見え、涙の跡が濃くついている。


 そうだった。いつもなら、一軒目のときにここの主人がやってきて、3人で世間話をしていたのだ。でも昨日、ここの主人は私の隣で矢に射られて、死んだ。そのまま火に焼かれて、もうこの世界のどこにもいない。もう私の日常のどこを探してもいない。――私の人生に、ぽっかり穴が開いてしまった。結局二軒目は魔道具をタダで渡してしまい、走ってその場を去った。



 

 村の外れ、大樹のうろまで走ってきた。自分の胸を手で探り、穴があるかないかを確かめる。穴なんてないはずなのに。でも、ずーーーっと胸にぽっかり穴が開いたような感覚がする。……すると、不思議な現象に見舞われた。

 昨日亡くなった人の遺体が隣に現れた。驚いて尻餅をついて再び目を凝らすと、そこにはなにもない。

 目の前で、亡くなったはずの人が矢に刺さった。驚いて一瞬構えると、大樹のうろと森の木々しかない風景に唖然とした。

 怖くなって屈み、目を瞑って頭を抱える。フラッシュバックだ。瞼の裏で記憶が映像となって蘇り、村の大人たちが死んでいくのが繰り返される。


 やめて、やめて、やめて……!!! 守れなかった、護れなかった、護れなかった!!


「護れなかった、護れなかった、護れなかった!!」


 思いはやがて口に出るようになり、嗚咽と慟哭を繰り返した。あの人の奥さんの人生にも、私の人生にも、ぽっかりと空洞ができてしまった。そこにはもう何も埋まらない。あってはならないことなのに、昨日それが起きてしまった——。


「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!」


 悲しみは後悔に変わり、後悔が私の心に流れ込んでくる。身体がどんどん重くなっていくような感覚に襲われる。護れなかった。護れないとこの世界の運命に、人びとの人生に、日常の営みに、ぽっかりと穴が空く。空洞ができて、そこにはもうあるべきものがなくなる。それは更なる悲しみを呼び、日常が滞り、世界の運命が悪い方向へ傾いてしまう。だから、だから。


「今度は、護りたい……」


 涙の滲む瞳を天に向けて、そう呟く。――その瞬間、もう1人の私が目の前に現れた。昨日の戦いで古い私を脱ぎ棄てた新しい私だ。


『護りたいなら、この手を取ってくれ』


 新しい私から、手が差し伸べられる。涙を拭ってその手をしかと見、力強く握り返す。——瞬間、私の脳が塗り替えられる感覚に襲われた。脳がざわめく。鼓動が早くなる。


「はぁっ、はぁっ……」


 脳のざわめきが収まると、世界がいつもとは違って見える。大樹も、森の木々も、地面の土の色もいつもと同じだ。なのに違って見える。違和感を探ってみると、私のぽっかり空いたはずの穴に何かが埋まっている。――決意だ。


「護りたい。全部護りたい。もう誰の胸にも穴が空かないように。運命が悪い方へ傾かないように、そこにあるべきものがなくならないように」 


 その決意は強固で、強烈で、なにより私の胸からはもう取り外せなくなっていた。


「――――さあ、全部を護りに行こう」


 そう宣言して踏み出す私の一歩は、確かに足跡をはっきりと残していた。


 ――――――――――


 アニールが過去を語り終えたとき、ウインダムズは目を大きく開けて涙を流していた。


「久々に話したなぁ、これ」


 とめどなく流れる涙に何かすることもなくウインダムズが遺体のほうに目を向ける。


「じゃ、僕の胸に穴が空いたように感じるのも……」


 ウインダムズがやおら立ち上がって遺体の方に駆けより、屈んで亡くなったひとの手を握る。腐敗臭や死体にたかる虫さえをも厭わず、その場でウインダムズはただ嗚咽する。声を我慢することなく泣いて泣いて泣いて、泣いた。アニールは、そんな彼の背を、彼が泣き止むまでずっと見つめた。


 

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