ウインダムズ・ウィンガーディアン、恐怖と共に在りし騎士

 時は、鐘がなる前に遡る。村の外れ、森の中の廃れた小屋。そこにウインダムズ・ウィンガーディアンはいた。槍を抱きかかえ、体育座りに縮こまっていた。そして、ずっと瞳を震わせていた。


 ————————————


「これからどうしよう」


 どこに行けばいいか分からない。なにをすればいいのか分からない。そんな言葉が僕の頭の中を堂々巡りしていた。そして、やがてひとつの壁に突き止まる。


「怖い気持ちがなくならないからだめなんだ」


 心の中で、今までに見聞いた怖れを知らない人の名前が挙がる。

 ——イアグさん、僕のお義父さんは恐怖を押し殺しまくった結果何も感じなくなっていったと語ってくれていた。アニールさん、突然の来訪者は護るべきものさえ想えば恐怖が身体中から抜けていくと言っていた。——


「でも、僕はそうなれない」


 既に10回繰り返した。野獣を前にすると身体が震え出し、つい槍を抱えて逃げてしまう。それが今までの10回。


 僕が踏み出す勇気を持てず、小屋の奥で縮こまっていると、小屋の中へ誰かの影が差した。


「あ、ウィン君! やっぱりここにいると思った」


 ぴょこぴょこと獣耳をひくつかせながら青髪で青い目の少女、エリ(半獣人)がたたたっと入ってくる。僕の幼馴染である。


「どうしてここが?」


「だってウィン君が落ち込んだ時ここにくるって知ってるもん」


「そっか。……ほっといてよ」


 いつもなら彼女の躍るような歩き方に心が癒されただろう。彼女の笑顔に僕も笑顔で迎えただろう。でも今は、彼女の青い瞳に注がれたくない。視線を横に反らす僕の目の前に立ってエリがふうっと溜息をつく。


「ねぇ、ウィン君。帰ろ? イアグさんに怒られたのは分かるけど、だからって人のいない外の世界に出ることないじゃん!」


 自分には資格のない話だ。自分が望んだことすらできない人間に、自分が望むことのできる人たちの世界に、大人たちの世界にいることは許されない。手の甲を彼女に向けてパッ、パッと手首を振る。


「わたしのうちに来なよ。農耕を手伝ってくれれば私の父だって喜ぶと思うし。……なにより、村を出られたら悲しいし」


 両手を胸元でぎゅうっと握り、エリが瞳を潤わせながら気持ちを告白する。僕も自らの胸元を握る。強く握りしめる。その声が、その仕草が、君の気持ちが痛い。


「駄目なんだよエリ、僕みたいな……」


 ゴー・・・・・ン、ゴー……ン……


 その先を言いかけたところで、鐘の音が鳴った。咄嗟に顔を上げ、槍を支えにして立つ。エリは全身の身の毛がよだち、全身が震えている。


「襲撃の音だと……!? エリ、逃げないと」


「う、うん」

 

 震えて足の抜けるエリに手を差し伸べて僕たちは小屋を出る前に周囲の状況を把握しようと、外を覗き見る。


「あ、あ、い、いる……」


 エリが怯えた声で、震える指で指し示す。その指先の意味を察して、僕の脳が震えるくらいの恐怖を受けた。その指先には、波打つ剣を持った見慣れぬ服装の男。———見知らぬ襲撃者だ。

 バクバクバク。心臓の大きな鼓動に合わせて身体全体が前後に動く。槍を持つ手が冷気にあてられたかのように震える。あの襲撃者から遠ざかろうと首を横に振る。


「だめだ、エリ。小屋の中でじっとしてやり過ごそう……」


 小屋の奥に引っ込み、積み上げられた木箱の陰にエリに先に入らせてあとから僕が身をつめてぎゅうぎゅうと寄せ合いながら、敵の去るときを待つ。


 頼む。あっちいってくれ。見つけないでくれ。そう心の中で念じた。隣でエリは祈る様に手を合わせている。


 ——ギシッ、ギシッ。僕たちの願いに反して、襲撃者が小屋の床の木板を踏みしめる。その音を聞いた途端、僕の鼓動音が大きくなる。隣の子からも鼓動音が聞こえる。エリは口元を手で覆い、僕は自らの槍を強く握る。——恐怖よ無くなれ、無くなってくれ。ちゃんと戦えるように、いざというときのために……


「んん? 影がひとつ、ふたつ……おい、2人隠れてるなぁ?」


 見つかった。エリがその声を聞いた瞬間、びくん、と大きく背を跳ねさせてしまい背後の木箱を倒してしまう。木片の埃が舞い、僕とエリの立ち上がった2人の姿がひとりの襲撃者に筒抜けになる。ギョロ、と襲撃者の瞳が動いて僕たちの方に視線が注がれる。左手の甲で脂汗を拭って舐め、2人を品定めする。


「んん? ガキだが上玉なやつがいるじゃねえか……それと槍を持った小僧か……」


 波打つ剣、フランベルジェを構えて警戒する襲撃者。その切っ先は、まっすぐ、僕の方に。———だめだ。怖い。吐きそう。いやだ。死にたくない。やめろやめろ、突きさされたくない。それで斬られたくない。


 ゴツン。気が付けば、自分の尻は地面についていた。


「あれ、なんで僕は座ってるんだ——?」


「はっはっはっは! おい、槍は見掛け倒しか小僧! そーんなに俺が怖くてたまらないと見える! はっはっは!」


 高笑いする襲撃者だが、切っ先は相変わらずこちらに向き、槍の間合いの外に出ている。


「どうだ、取引といこうじゃないか。お前の隣にいるガキを引き渡せ。それでお前のことは殺さないぞ、槍少年」


 取引という名のただの要求を突きつける襲撃者。恐怖なんか消えろ。消えろ。恐怖は要らない。臆病はいらない。何度も心の中で念じる。震える手で槍を構えようとする——だが、手が震えて、槍が下がってしまう。本当に要らないんだ、そんな感情は。頭の中が白く染まって何も考えられない。目に汗が入って視界がぼやける。ぼやける視界の中で、エリがこちらを見て俯き、襲撃者のほうへ顔を上げるのを見る。


「……おじさん、私さえそっちに行けばウィン君には手を出さないよね?」


 

 —————え?何を言っているんだ? 汗でぼやけた視界の向こうで、今まさにエリが襲撃者のほうへ一歩を踏み出そうとしている。


 ドゥンクッ。ドゥンクッ。心臓が一際強く鼓動した。


 ガシッ。


「ーーえ? ウィン君?」


「槍のガキ。交渉決裂でいいか?」


「……あ?」


 自分から素っ頓狂な声がでる。僕の足が勝手に立ち上がって、僕の右手が勝手にエリの左腕を掴んでいた。そして左手で槍を拾い上げた。


「……ちっ。こうなったらお前を殺してお嬢ちゃんを奪ってやるさ」


 不思議だ。頭の中は真っ白でまだ思考が覚束ないのに、身体中に自然と力が入る。ただただひとつの気持ちだけが腕を、脚を動かしていた。右手でエリを後ろに追いやってそのまま目の汗を拭い、両手で槍を構える。ーー襲撃者の姿が鮮明に映る。


 怖い。自然と槍の構えに入る。


 怖い。歯を食いしばって突きの準備に入る。


 怖いと思う毎に身体中に力がみなぎる。


 エリを失うのが怖いと思った瞬間、手が動いて脚が動いた。

 眼前の襲撃者の刃を見た瞬間、自然と戦いの姿勢に入った。


「……おおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 雄たけびをあげる。自分の心を奮わせる。


 ”恐怖”が”力”に変わる。怖いと思う毎に思考が鮮明になっていく。


「……見掛け倒しだろ!」


 襲撃者がフランベルジェを振るって槍を弾き落とそうとする。瞬間、身体中に電流が走り、槍が剣に合わせて振るわれ、火花が散る。


「……くそ、めんどうになったな」


 忌々しげに襲撃者が唸る。右側からフランベルジェが横に薙ぎ払われる。また電流が身体中に走って槍を短く持ち直して穂先を合わせ、弾く。

 ”傷つきたくない”恐怖が電流となって身体中を駆け巡り、僕に動くべきタイミングを教えてくれる。僕の動きを後押ししてくれる。恐怖が背中を押してくれる。


 

 怖いと思うほどに、強くなれる。


 

 またも振るわれるフランベルジェ。一歩踏み込んで大きな突きを繰り出して目の前の薄汚い男を後ろに引かせる。もうフランベルジェの行方など待たずに槍を繰り出す。肩。腹。脚。肩。部位を狙って繰り出した突きが今度はフランベルジェに弾かれる。顔!肩!肩!肩!腕!膝!膝! 全てが弾かれる。尚も恐怖でまだうまく動けないところがある。まだ恐怖を制御できていない。それでも恐怖から力を貰って、一心不乱に槍を繰り出す。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


「だらああああああああああああああああああああああああっ!!」



 お互いの咆哮がぶつかる。5合。10合。20合。40合。ガキィン、キィン。ガッ、ギィン。火花散る攻防の最中に、右手の甲が熱くなり、何かが溢れるのを感じた。そのとき敵の身体が近づいてきていた。がら空きの胴体を見て、咄嗟に身体が動く。腰を低く、脚に力を入れ、槍の穂先を敵に合わせ、神経を通る電流の導きに従って、力の限りを尽くして突く。徐々に敵が慌て始める。焦った襲撃者は急に大きく飛びのき、フランベルジェを投げる。——槍で払って弾き、槍の穂先を向こうの胸に合わせる。


「だあっっ!!」


 渾身の一撃。右脚を前に踏み込んで体重を槍に乗せ、突く。穂先が敵の胸元に吸い込まれる。不思議と、骨の硬い抵抗をあまり感じなかった。槍は粘土を貫くみたいに、ぬぷっ、と敵を貫通する。


 ダンッッ!


 貫通した槍が壁に突き刺さる。勢いで敵の身体も壁に叩きつけられ、虚ろな瞳で自分の胸を通る槍を見据え、槍に手をかけ、——そして、だらん、と腕をぶら下げる。何も言わない死体に成り果てる。


 槍を壁から抜き、死体を角度をつけてずり落ちさせて抜く。血に塗れた槍を撫でる。これが、ぼくの槍。


 身体が震える。指先は白く、脳が揺れるほどの衝撃が頭に残っている。怖い。怖い。


「行こう。ここにいちゃだめだ、エリ」


 後ろを振り返り、へたっていて動けない少女に手を差し伸べる。この子を失うのが怖い。


 手を取り合い、エリを立ち上がらせる。視界の傍に死体が入る。ああなりたくない。怖い。


 怖いと思うほどに身体が動く。怖いと思うほどに、身体の中にエネルギーみたいなものが入ってくる。


 エリを後ろにつけさせて、外にでる。鬱蒼とした森を抜け、青空の下にでる。——限りなくどこまでも青い空が続いている。頭上にも、走っても走っても走り切れないほどに広い青空が広がっている。天上に太陽があって、湖面に僕の姿を映す。……笑えるくらい、ぼろぼろだ。


「ははは、はは……」


 その時になって初めて思考が落ち着く。背後でエリが「どうしたの」と肩に手をかけてくれている。


「大丈夫……大丈夫だから」


 自分の肩にかかった彼女の手を下ろして、湖面の自分の姿を見る。——自分と目が合う。自分の瞳から自分の思いが流れてくる。


 ああ、そうだったんだ。”恐怖”は捨て去るものじゃなかったんだ。僕にとっては、”恐怖”そのものが僕の力だったんだ。ずっと思い込んでいた。最初に魔獣に挑む前、お義父さんから”恐怖を捨てろ”と教わった。だからずっと思い込んでいた。敵と相対するたびに恐怖を捨てろと自分に念じていた。でも違った。



 僕にとって”恐怖”とは、拒絶するものじゃなかったんだ。

 


 誰も拒まない青い空の下で、”恐怖”そのものが僕を優しく抱き締めてくれたような気がした。 

 もうお義父さんを目指さない。アニールさんみたいに恐怖を無くさない。僕は僕の力で前に進む。


「ごめん。さあ、行こう」


 振り返り、幼馴染の少女に手を差し伸べる。失うことを怖れ、力に変えながら。彼女の盾になって死ぬことを怖れながら。全てに対して怖れながら、自分のものにして前へ進む。


 脚を前に踏み出し、前へ進む。



 —————————————


 彼が私の腕を掴んで止めた時、表情が見違えていた。あんなに一心不乱に槍を振るう彼を初めて見た。

 ——今まで、こんなに戦ってボロボロになった彼の姿を見たことが無かった。右手の甲は切れて血が出、他の部位も数多に重ねたかすり傷で血が服に滲みまくっている。ボロボロとしか言いようのない姿だけれども、その背中はひどく大人びて見える。


「がっ……くうぅ……」


 避難所への道中で出くわした2人目の敵を突き伏せて私を振り返った彼の顔が、頼もしく見えた。その手のひらが大きく感じた。


「さぁ、行こう」


 私は目の前にいる、”騎士”になった男の子の手を取る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る