勇気
半身火傷の女は目の前の少年に向かい、自分の過去を思い出す。はるか上の空を見上げ、あの頃の月もこんな感じだったな、と思い返して。女は厳しくも暖かった過去の中でひとつだけの血塗れたページを開く。
「私が今、夢を追っているのは———」
———————————————
私は戦争の遺児としてオードル師匠に拾われ、エルベンとイヴイレスと、もうひとり師匠の実の息子と一緒に暮らしていたんだ。私が剣を握り始めたのは5歳のころだった。木刀を握るのは楽しかった。エルベンやイヴイレスに勝てるようになったのが嬉しかった。でも、その頃はまだ”本当の戦い”をしたことがなかったんだ。
初めて”本当の戦い”をしたのは12歳の頃だった……。
「ごほっ、ごほ……」
白髪交じりの黒髪の男、オードル師匠が上半身を起こし、口を押えている。口を押える指の隙間から血が漏れ出る。
「師匠! だいじょうぶですか!」
洗っていた皿をすぐ置いて私は駆け寄り、近くに置いてあった、複数の薬草を粉末状にした薬を師匠の口元へ運んだ。むせる師匠の口を押え、唾液の不快感に耐えながら懸命に背中をさすってやる。徐々に支障は落ち着きを取り戻し、起き上がってしまった上半身を横たえさせる。
「すまないのう、アニール……。まったく、大陸一の遊伐者の名が聞いてあきれるわい……」
そう呟く師匠は、もともと皺の多い眉間に皺を寄せていて、見ている私は怖いと同時に悲しいとも感じた。細くなった師匠の腕が棒みたいに見えた。かつての剛健な筋肉が、今はもうどれだけ確かめても存在しない。
「いえ、いいんですよ師匠。私たちの父親でもあるので……」
玄関のドアが開く音がし、どさり、と重い物が置かれた音がした。
「あなた、体調どう? ……また発作をおこしたのかい!?」
現れて来たのはレイシャスお義母さん。オードル師匠の妻にあたり、私たちの育ての母だ。お義母さんが師匠のそばに座り、背中を擦ろうとしたところで手が冷たくかじかんでいることに気付いて断念する。
「アニール、わたしのかわりに擦ってやって。洗濯したばかりなのよ、こっちは」
「どうですか、師匠……」
「んむ、和らいできたわい……これ、そんなにしなくてもよいぞ」
擦る手を止め、私は立ち上がる。外に見える太陽の高さからして、鍛錬の時間になっていたから。
「じゃ、鍛錬してくるね!」
「ええ。オードルさんは私が見ているからアニールはいってらっしゃい」
看病中もそばに置いてあった木刀を握り、庭に出る。そこではエルベンとイヴイレスが案山子に向かって素振りをしていた。大滝のように汗をかきながらも、決して手を緩めていないことが彼らの動きからわかる。
「イヴイレス、交代の時間! エルベン、私とやらない?」
イヴイレスが、おう、と返事をして家の中に入っていく。その場に残っていたエルベンが素振りの手を止め、私の方に向き直る。
「ああ、いいぜ。お前の4連勝を今日で阻止してやらあ!」
「少し休憩してからでいいよ。私は身体をならしとく」
しばらくして二人とも身体の調子が調うと、さっそく向き合う。木刀を向かい合わせ、構える。やがてエルベンが先に動いた。彼なりに先を読んだ結果なのだろうが、アニールにとっては悪手に見えた。
「あまい!」
踏み込んで大上段から振り下ろしたエルベンの木刀を避け、がら空きの胴体を狙って木刀で突いた。
「ぐほっ……がはっ!」
途端、腹の中の物を口からぶちまけてしまうエルベン。腹を狙うのはやりすぎたか、と頭を掻きながら反省する。
「相変わらず、力押し頼りだな」
「げほっ……頭使うようには、してるのに。大振りの攻撃を避けて隙を作らせるつもりだったが」
「まず自分の攻撃の隙を埋めなよ」
「……もう一回頼む!」
口を拭ったエルベンが私に向き直る。この頃の私はエルベンやイヴイレスに対しては沢山勝っていた。
エルベンとの鍛錬を終えてノびている彼を放置し、村の見張り台に行く。
「ああ、もうそんな時間か。じゃ、あとはよろしくアニール」
同い年の黒衣の剣士——師匠の息子ユニール・フラガラハ——がこちらに気付くなり、はしごを使わずに見張り台の骨組みを蹴って降りて来た。交代を告げられて、私ははしごを使って見張り台に上る。
「野盗って、ほんとにいるのかな」
見張り台で見張る理由を私たちは大人たちから聞かされていた。魔獣と野盗から村を守るためだ、と。
「でも、野盗ってほんとうにいるのかなー」
魔獣あふれる世界でヒトがのこのこと魔獣の棲む森を掻い潜ってやってくるとは思えなかった。
日が暮れ、しばらく見張っていると真っ暗な森の中に一瞬だけ灯りが見えた気がした。目を擦ってみても、灯りはもう見えなかった。
「気のせいかな」
だが、直後に灯りが増えた! -7つ、8つだったと思う。非常事態には変わりないからそこで鐘を鳴らした。
「どうしたの、アニールちゃん!」
村の大人が駆け寄ってくる。
「森の方に沢山の灯りが見えました!」
「なに! ……野盗か! よし伝えてくる!」
大人が村の方に走っていく。私は灯りの観察を続ける。その灯りは徐々に近づいてきて、怖くなった私は台を降りた。そのとき、ぞろぞろと、武装した村の大人たちがやってきた。
「ここで防衛線を張る。君は村に戻って村を守ってくれ」
この大人たちのほとんどがかつては遊伐者として活躍していた者らしい。私だって戦える、と言いたかったが大人たちの眼を見ると反論する勇気がでなかった。歯を噛み締め手を強く握りしめ、私は村に戻った。
「アニール! この剣持って!」
私が村に戻るやいなや、レイシャスお義母さんが鞘付きのバスタードソードを投げてきた。お手玉しながらも受け取り、鞘から抜いて刀身の銀光にまみえる。
「油断はできないよ、意外なところから入ってくるかも分からないからね!」
レイシャスお義母さんはというと、師匠と共に大陸で活躍していた頃の魔術師の装備を引っ張り出している。
「私は野盗が来てるほうの村の門を守る。ユニールたちは反対側にいるよ、行っておいで」
「はい!」
剣を両手で握りながら、走る。
村の反対側の門に3人は少人数の大人たちと共にいた。私が着くと、視線だけを交わし、村の外側に注意を向ける。
イヴイレスの肩が張っているのに気づいた大人が彼の肩に手を置く。
「はりきりすぎるな。なに、敵は反対側だ。こっちは念のためだから気負うな」
大人が緊張を溶かそうとしているのが分かった。それでも重圧は溶けず、イヴイレスは更に剣を強く握りしめてしまった。
ガサガサ。
草を掻き分ける音がして、その場にいたみんなが音のする方に刃を向けた。ーーみんな、あんぐりとした。人数があまりにも多い。20人くらい。
「へっへっへ、魔法の灯に騙されてくれたかこっちには子供くらいしかいねぇぞ……! おい、やっちまえ!」
その掛け声と共に突風らしい何かが頬を撫でたのを感じた。ドサリ、という音がして横を向くと大人たちがみんな矢が刺さって倒れていた。
心臓が縮まる。
「散開、村の中に逃げ込め!!」
ユニールがそう叫んだ。その叫びに足を突き動かされて、村の建物の影に紛れる。
「……大人たちがやられちゃった。どうしよう。どうしよ……」
矢を避けて建物の陰に隠れたはいいものの、このままでは村が荒らされてしまう。頼りになるはずの大人が隣で倒れた。倒れた大人の、ビクンビクンと跳ねる腕を思い出す度に心臓が、バクバク、とせわしなく鼓動する。こわい。かなしい。どうすればいい?どうすればいい? なんど自分に問いかけても、答えはまったくの白紙だった。
手が震え、剣の先が震える。刃先が震えるのを見て、私は泣きたくなった。いままで対人の実戦はしたことがなかった。自信は持っていたはずなのに、一瞬で消え失せてしまった。動かなくなった大人の身体を思い出す度に、目の前が見えなくなる。つい今日までこの村に共に暮らしていたはずなのに。悲しい。悲しい。動けない自分が情けない。情けない。
泣きそうになった私を制したのはエルベンだった。私の手を強く握ってきた。
「だ、だいじょうぶ、だいじょうぶさ……」
私と同じとこに駆け込んできたエルベンは、しかし私の顔に怯えた表情を向けていた。--それを見て、私の心を閃雷が奔った。
守らなくては。護らなくては。
いま目の前で怯えている幼馴染を。病に伏せている師匠を。まだ生きて建物に籠っている村人たちを。そして、彼らがこれから潰すであろう、私たちの未来を。
---まもる!!!
そう思うと、自然と恐怖は消え去った。心臓は未だに激しく鼓動しているけれども、怯えからじゃない。これは昂ぶりだ。さっきまでと違って剣が軽く感じる。足に力が入る。闇夜がすこしだけはっきりと見通せる。ああ、私は戦士になったんだ。
「エルベン、戦える?」
未だに震えているエルベンに眼差しを向ける。このときの私の頭は、白鳥の降り立つ湖のように静かだった。
戦う、という言葉を聞いたエルベンが激しく震え始める。戦えないな、と判断して村の反対側を指し示す。
「あっちの方に行って、救援を呼んできて。それまで持ちこたえる」
それが一番現実的な策。たとえ戦うのが私一人でも、時間さえもたせれば私の後ろにあるもののほとんどが護れる。
建物の陰に誰かが近づこうとしている。ケタケタと笑っていやがる。エルベンが走って離れていく。--今からここは、私の戦場だ。
「ッ!」
建物の角を出ようとしていた野盗の首を狙い、一突き。不思議と柔らかく入った。首を貫かれた野盗は手から弓を落として、動かなくなる。
「誰だ、同胞をやったのは!!」
いきりたつ野盗ども。剣を捨て弓持って矢を番え、距離の離れている野盗どもに射る。私の急な出現に慌てて弓を構え直そうとしている敵を真っ先に射て、その隣の奴も射る。矢が胸に刺さって倒れてゆくお仲間を尻目に走ってくる野盗を目にして弓を捨て剣を拾い、剣を拾おうとしゃがんだ姿勢のまま下から斬り上げる。
「誰も通させない! ここより、このアニール・トカレスカがみんなを護る!! 全てを護ってやる!!!」
大きな声を張り上げる。理性が少々飛んで、誇り高き獣たる本心がむき出しになる。とはいえ、多勢に無勢。ここからは一人ではどうにもできないと、察していた。
「この火傷娘めが! 殺してくれるわ!」
---ここで死ぬのかな。だとしても、それはそれでいい。
死を覚悟して、私は微笑んだ。それでも悔いは無いな、と。その直後、鈍色の風が吹いた。一瞬で敵二人の首が飛んだ。グサ、グサ、グサ。急な襲来に浮足立つ野盗どもを正体不明の風が一人に一突き刺していく。グサ、グサ、グサ。刺されて立てなくなって屈んだ者たちの首が、ビュウッと、一気に揃わって飛ぶ。鈍色の風に鮮血が乗り、風の主が、スタ、スタとアニールの方に歩いてくる。
「俺だ、ユニールだ」
「知ってる。だってこんなことができるのは、私たちの中で最強のあなたしかいないもん」
「……。だが正直おまえよりは出遅れた。礼を言う、お陰で敵に立ち向かう覚悟ができた」
「さて、話は終わりだよ。立ち向かおう」
と私が切っ先を敵に向けるころには、敵は居なかった。
「逃げたな」
「……あ、そっか」
目の前に転がる死体。そのほとんどが、この村を襲ってきた野盗。……これのうち4人を、私がやった?
てのひらを見る。剣の刃を滑り落ち、柄を伝って血がてのひらの溝に満ちる。--敵の血だ。この血を見た時、私は私が今までの私でなくなるのを感じた。それはズシンとしたような感覚で、でも静かだった、とにかく訳の分からない感覚に襲われた。それを言葉で言い表そうとするなら、私は私自身が古い肌を脱ぎ棄てて新しい肌を得たような気分になったのだった。自然と目が月に吸い寄せられる。自然と口が動く。
「これからよろしくね、新しい私」
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「あの時から私は変わった。恐怖はあの時からはもう感じていない。敵に立ち向かえば立ち向かうほど勇気が湧く」
そう語るアニールのルビーのような眼は力強く輝いている。アニールの話に聞き魅入られ、うっとりしかけたウインダムズだがかぶりを振り、話してくれた内容を心の中で反芻する。眉間に皺をよせて、ウインダムズが険しい表情になる。
「……僕がそうなれる自信がない」
「無理に私と同じことをしろ、とは言わない。勇気の持ち方は人それぞれ。武器を捨てるのも持ち続けるのも君次第だよ、ウインダムズくん」
ウインダムズは、こくり、とだけ頷いてうつむいてその場を離れていく。その背中がちっちゃいようにアニールには感じられた。
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オードル・フラガラハ:——かつて大陸最強の生物を倒し、その名を大陸中に轟かせた遊伐者。大陸を駆けまわり、数多の伝説をねじ伏せた豪傑は、今はもう亡い——
ユニール・フラガラハ:——大陸最強の遊伐者オードル・フラガラハの実の息子。その実力は養子の3人より遥かにずば抜け、大陸随一の達人の域に達している。彼と戦い、生きて帰れた者は言う。”あれは本当に人の股から産まれたのか”と——
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