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ジーナはロンドンに出てきて、秘書の仕事を見つけたのだが、あの日は全く、何をやってもうまくいかないさんざんな日だった。


手の痛みが激しいので、お昼に医者に行ったら、リウマチだといわれた。仕事に戻ると、仕事に大ミスをしでかして、ボスからみんなの前でこっぴどく叱られた。今度やったら、首だと脅かされた。


緊張して仕事をすると逆に手間取って、遅くまでやり直ししなければならなくなり、ようやく終って会社を出たところで、傘を忘れてきてしまったことに気がついた。ボスが居残るあの事務所にもう顔を出したくなかったので、濡れたままバスを待った。来てほしい行き先へのバスは一向に来ず、反対方向にばかりやって来た。


通りの向う側に、少し前に閉店した家具屋の後に、ビタミン店が開店していた。そのビジネスが長続きしないだろう。そんなことは、素人目にも明らかで、なぜそんな簡単ことがわからないのだろうとジーナは思った。外から見たら、自分の結婚も、そんなふうに見えていたのだろうか。


やっと来たバスもまた別の方角行きだったけれど、それには「ヘブンストリート」と書いてあり、それは友達が住んでいる所だった。そういえば、今夜、パーティをするから来ないかと誘われてはいたのだった。でも、人の集まる所へなんか行くつもりはないから、そんなことは忘れていた。


けれど、雨で濡れて、寒いし、空腹だし、手足は痛むし、ええい、ヘブンでも、ヘルでもいいわ、どうにでもなれとぎりぎりで決心して、そのバスに飛び乗った。

そこで、ジーナはジョンに会ったのだった。


ジーナは空腹だったせいかすぐにお酒が回っていい気分になり、やたらよく喋ったように思う。初めは寂しさを隠そうとして喋っていたはずだったけれど、途中からはなんだか昔の自分に戻ったみたいでと思いながら喋っていた、そんな記憶がある。

その時、ジョンに「いつか、あなたと一緒になるような気がするわ」と言ってしまった。

そんなことを言ったのは前にも、後にもない。


「どうして。それはないと思うよ」

とジョンが言った。彼が三ヶ月前に、家を捨てて出てきたばかりの人間だなんて、ジーナは知らなかった。


「一度ジョンが、初対面で、どうしてそんなクレージーなことを言ったのかって訊いたことがあるわ。知らないうちに、言葉が口から飛び出したって答えたわ。本当なんですよ」

ジーナはくくっと笑った。


「それまでの人生で得た知識と知恵が、ありとあらゆる力をふりしぼってその一瞬に凝縮して脳を動かし、行動させたのかもしれない。彼のほうも、同じような傷をもっていたから、こんな奇妙な女に、優しくしてくれたのかしらね」

「おふたりは、結ばれるべくして、結ばれたんだね」

「そうかもしれません」

「いつか、ぼくにも、そんな運命の人とめぐり会う日があるといいなあ」

「ありますとも。きっとすばらしい方がね、どこかで待っていらっしゃいますよ」

「ぼくが、もう一度、幸せだと感じられる日が、あると本当に思いますか」

「ええ。必ずあります。私、思うんですけど、幸せの手前には、必ず試練の痛みがあるものなんですから。だから、あなたも、諦めないで」


フィルはジーナの手を取って、キスをした。

「ぼくは、諦めたくはないんだ。でも、まず、どうすればいいんだろう」

「あまり先のことは考えないで。一時間先まで生きるのが大変なら、十五分先のことだけ考えてみて。それなら、できるでしょう」

「それなら、できるかもしれない」

「あまり逆らわないで。がんばらないで。気を楽に、流されるままに。深呼吸もいいのよ」

「深呼吸」

「ほら、こうやって」

 彼はジーナを真似て、息を深く吸って、吐いた。

「ねっ」

「うん」

 フィルが急に慟哭して、猫みたいに背中を曲げて顔を手で覆った。ジーナは席を立ちフィルの隣りに座って、その背中を撫でた。彼は体格のよい人だと思っていたのに、触れてみるとずうっと痩せていた。どんなに苦しい日々を耐えてきたのか、骨から伝わってくるような気がした。


             

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