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「私は前に一度結婚して、そして、それはクリスマスの少し前だったわ」

とジーナは話し始めた。 


小学校の教師をしていた前夫のダグラスは、その朝、今夜は隣り町の会議に出なければならないから帰りが遅くなると言って出て行った。ジーナは当時、市役所に勤めていて、夫の帰りが遅いのなら、親友のアナベルに会いに村まで行ってみようと思った。このところ、しばらく会っていない。アナベルとは同じ歳、同じ村で生まれ育ち、姉妹以上の仲だった。アナベルは中学校を出た後就職せずに父親の農家を手伝っていたから、ジーナが給料をもらうと、ふたりで町にくりだして、洋服を買ってあげたりした。結婚はアナベルのほうがかなり早く、農夫のロバートとの間には八才と四才の男の子がふたりいた。


ジーナは結婚して六年になっても、子供ができず、そのことでアナベルに相談したら、「次に生まれたら、あなたにあげるわ」と冗談を言ったが、ジーナはそれでもいいなと本気で思ったくらいだった。

その日、ジーナがアナベルの家へ行くと、ロバートと子供は祖父のお見舞いに出かけたところで、翌日まで帰って来ないのだとわかった。


「偶然ね。まれにないチャンスだから、町にクリスマスショッピングに行かない?」

久しぶりで、親友とクリスマスショッピングができる。その後で、パブにも寄りましょうね。ジーナは久しぶりの楽しい計画にはしゃいでいた。

「それはうれしいけれど、だめだわ」

アナベルが泣く真似をして、残念そうに言った。


アナベルは今夜、クリスマスプレゼント用のフルーツケーキを作りあげてしまわなければならないのだった。彼女のフルーツケーキには、ドライフルーツ、ナッツ、それにラムがたっぷりはいっていて、とても好評だった。今では、村中の誰もが当てにしていた。だから、子供がいない今夜は、仕事をする最適な夜なのだ。

「じゃ、手伝うわ」

ジーナはコートと手袋を脱いだ。

「あなたにとっても貴重な時間を、無駄にしてはだめよ。うちに帰って、バブルバスにでもはいって、ひとりを楽しみなさいな」

アナベルはコートと手袋をジーナの胸に半ば押しつけるようにして、ドアまで連れて行った。


「なにか、誰かを待っているみたいねえ。誰か、今夜、会いに来たりして」

「ばれちゃったか」

ジーナ達は冗談を言い合って、笑った。アナベルの頬はラムの強い匂いのせいで、少女みたいにピンク色だった。今夜の彼女はとても女っぽくって可愛いと思った。色気のある人って、こういう女性を言うのね。

「ひとりのほうが、仕事が早いのよ」

とアナベルが弁解するように言った。

「わかっているわ。じゃ、明日、電話するわね」


その夜、ダグラスが遅く帰って来た時、ジーナは本を読み続けていて、まだ眠っていなかった。玄関まで迎えに行くと、闇夜で猫の尻尾を踏んだみたいにぎやっと驚いた。その反応がいつもの彼らしくなくておかしかったので笑ったら、なぜか敵をみるように睨まれ、起きて待っていたこと自体迷惑だとでもいうような空気が流れた、ような気がした。心に湧き上がってくるこの苦い感情はなぜかしら。小説の読みすぎかしらと思いながらコートを手にすると、うっすらとラム酒の匂いがした。ベッドにはいると、身体からも、ラムの甘い匂いがむんむんと迫ってきた。


「飲んできたの?」

 とジーナが訊いた。夫の背中はカメの甲羅のように動かず、答えもなかった。


「アナベルの匂いみたい」

とジーナは言った。との時には、特別な意味はなかったのだけれど。


その時、ダグラスの背中が小刻みに動いた。

彼は枕に顔をつけていたので笑いこけているのかと思ったら、驚いたことに、泣いていた。そして、彼がアナベルを愛してしまったことを告白したのだった。もう関係は三年も続いていた。ジーナにはすまないが、しかし、もう彼女なしの人生は考えられない、と言った。


ジーナはこの世の中で、すべての女性を疑ったとしても、アナベルだけは疑わなかったと思う。それほど信頼していたアナベルが、ダグラスとできていたなんて、絶対に起きるはずのない。起きることがないことが起きていた。


翌日、ジーナはスーツケースひとつ持ってあてもなく汽車に乗り、海辺の駅でふらりと下りて、安宿を捜した。部屋の中には、ベットと机と椅子にランプがあるだけ。ひとつある窓からは、呪っているような暗い海が見えた。放心している以外の時は、泣いていた。宿においてあった古い雑誌に旅行の広告が載っており、写真のホワイトビーチでは、恋人達がたわむれていた。


考えてみれば、子供の時から、何ひとつ夢が叶ったことなどなかったように思った。幸運の神からは見放されてしまった女で、両親も早くに亡くなったし、幸せとか、太陽とか、ビーチとか、そういうことは、すべて他の世界の出来事だった。でも、そのビーチの写真を切り取って、壁に貼った。部屋が、あまりに殺風景だったからだ。


村に帰ることになったのは一カ月後、ジーナが殺されたという噂が流れて、警察が捜査を始めたという新聞記事を見たからだった。村に帰ると、みんなが大騒ぎをしていた。


「死んだはずの私が、急に現れたからだけじゃないのよ」

とジーナがフィルに言った。

「村中が、浮気していたの。みんなが別の誰かと関係していたのが、ばれたってわけ。まったく、ひどい村だわ」

ジーナはブランディを一口飲んで、グラスを乱暴にテーブルに置いた。

「そのサークルからはじき出されたのが、八十歳のじいさんとこの私。なんてこっちゃ」

 ジーナがあははと笑った。過去になってしまったら、どんなことだって、笑えるのだと自分でも驚きながら。


「どうして、きみなの?」

と、フィルが言った。

「・・・だって。わたし、アナベルみたいにきれいでないし、…・つまり、わたしは人気がなかったということでしょうよ」

「そんなことない。きみはとても魅力的なレディだ」

「ありがとう、フィル。お世辞でも、うれしいわ」

「そんなことがあって、ロンドンに出てきたんですか。ドラマみたいだ」

「ドラマじゃないわ」

「そこで、ジョンはきみみたいな女性に出会えて、なんてラッキーなんだろう」

「今、ジョンがラッキーだって言った?それとも私がラッキーだって?」

「もちろん、ジョンがラッキーだって言ったんだよ。でも、両方がラッキーだったと言うべきだった。ところでどうやって出会ったの?」

「友達のパーティで。あの日は冷たい雨の夜で、もう少しで行かないところだったわ」

「聞かせてくれるかい」

ジーナはまた時計をチェックした。どうせ、ここまで話したのだ。

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