驟雨
「遅かったじゃない、連絡もしないで」
家のドアを開けて早々耳に飛び込んできたのは、母の小言だった。
「……ただいま」
「勉強するって言って学校残ってくるけど、ホントは友達とどこか遊びに行ってるんじゃないの?」
腕を組んで眉根を寄せて、お得意のキンキンする甲高い声で母は言う。
「そんなことしてないよ、勉強集中してたら時間遅いことに気づかなかっただけ」
ここでジュンとの出来事を言ったら余計に話がややこしくなるだけだから、言わない。ただでさえ「勉強してくる」と誤魔化して小説を書いているのだから、ここで口を開くのは墓穴を掘るに等しかった。
「とにかく、もうご飯できてるから。食べなさい」
「うん」
リュックを背負い直して、私はそそくさと自室に逃げ込んだ。
いつからか、母と会話することさえ上手にできなくなってしまった。自分が本当にやりたいことを隠してしまっているから、後ろめたさで胸がたまらなく苦しくなってしまう。
正直に打ち明けたい。自分が将来作家になりたいこと。だけどそれを否定されるのがどうしようもなく怖かった。
両親は二人とも堅実な人だから、いつ成功するかもわからず稼ぎの安定しない職業を認めてくれるはずがない。
部屋着に着替えてすぐさまベッドに寝転んだ。思うように体が動いてくれなかった。
考え事をしているうち、私はついに食事も摂らず眠ってしまった。
翌日の放課後。一人の教室でノートに思考を刻んでいると、ふらりとどこからともなくジュンが顔を出した。
「よかった、いたんだ」
「ん?」
「昨日あんなこと言ったけど、不安だったんだ。また会えるかなって」
ジュンは昨日と同じく私の隣の席に座って早々、そんな言葉を吐いた。
「放課後はいつもここで執筆してるよ。部活も入ってないし。心配しなくても大丈夫だよ」
そういえば、とふと気になったことを口にする。
「ところでジュンって何年生なの? 一年ではないよね?」
「……あー、うん。三年生」
聞いた途端、「げ」と思った。二年生ならまだしも三年生なんて。自分は思い切りタメ口で話していたので、なんとなく決まりが悪くなる。
「あはは、気にしなくていいよ。タメ口、むしろ大歓迎」
ジュンは私の心のうちを読み取ったらしくそう言って笑った。おかげで私もだいぶすぼめた肩を元に戻すことができた。
「ジュンは部活入ってないの?」
「入りたい部活がなくてさ。作ろうかなって思ったんだけど、人が集まらなくてやめちゃったんだよね」
「へえ。なんの部活作ろうとしてたの?」
「文芸部」
その言葉を聞いた瞬間、私はびっくりして思わず「えっ」と声を漏らした。
「文芸部!?」
「うん。作りたかったんだけど、他に入ってくれる人が見つからなかったんだよね。だからもう諦めちゃった」
「ああ……」
残念だったなと思った。もっと早くジュンと出会っていれば、同じ部活に入りたかったのに。まあ、自分は今年度入学してきたばかりだからそれはきっと不可能なのだけど。
いや。だけどもしかしたら、今からでも間に合うかも。
「そ、それじゃあ私が入る!」
「え?」
「ほら、うちの学校って部活作る時に必要な署名は二人だけでしょ? だからつくろうよ! 私とジュンで、文芸部! ぜったい楽しいよ」
私は身を乗り出してジュンを誘った。だけど彼女はなぜか難しい顔をしていた。
「あー……。ごめん、ミヅキ。その誘いには乗れないや」
「え。どうして?」
「……受験生、だからさ。それに今部活を作ったとしても、私六月には引退しちゃうし。そしたら、ミヅキが一人になっちゃうよ」
ジュンの言うことは確かに理解できた。だけど、そんなのはもう慣れっこなのだ。
「大丈夫だよ。私、今までも一人で執筆してきたし。それに放課後一緒に過ごすだけなら、部活を引退した後でもできるじゃん。ジュンはここで勉強するとかさ、ね、だから」
「ごめん、そういう問題じゃないんだよ」
一人はしゃいでいたところへ、パシャリと冷水を浴びせられた気分になった。そうだ。またやってしまった。私は人の気持ちをあまり考えないで突っ走ってしまうことがよくあった。そのせいで友達もあまりできなくて、だから気をつけようって、思っていたのに。
「ごめんね。ミヅキの誘いはすごく嬉しいけど……。文芸部には、入れないんだ」
「ああ、うん。こっちこそごめんね。一人で先走っちゃって」
なんとなく気まずい空気になって、二人で押し黙った。窓の外の焼け落ちる太陽が、私を嘲るみたいだった。
そのとき私のスマホの通知がカバンの中でピロ、と鳴った。見ると、母からのメールだった。今日は早く帰ってきなさい、とあった。思わずため息が口から漏れてしまう。
「ん、どうしたの、何かあった?」
ジュンに問われたけど、親との複雑な関係を話したくなくて「ううん」と首を振った。
「今日は早く帰ってきなさいってお母さんが。ごめんねジュン。私、今日はもう帰るね」
「あ、うん……」
ジュンの少し寂しげな目が、教室を出た後も脳に焼きついて忘れられなかった。
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