第4話 もう一度、立ち上がる覚悟を


ーーこれは夢だ。


すぐに分かった。白くぼやけた空間。必要な情報以外をそぎ落としたような、そんな場所。そこに、ウェイン兄さんがいた。椅子に座って、パソコンに目を向けていた。ひどく懐かしい空気。ここは一年間引きこもった俺の部屋だ。そして俺はウェイン兄さんに声をかけようとベットから起きてーー


「ッ……」


ーーそこで目が覚めた。


◇◇◇


眼を開けるとそこは薄暗い見たことない場所だった。息を吸うとジメッとした嫌な臭いがした。多分、洞窟か何かだ。なんで……ああ、そうだ、飛び降りたんだ、死神崖から。


「ウェイン兄さんが、俺の部屋にいたのは……流石に夢か。そうだよな。それでこっちは夢じゃない、現実か。」


ーーよく生きていたものだ。


そう呟こうとしてふと崖から飛び降りた思い出す。銀色の雪のような髪をした少女のことを。


「……つ!!」


俺はとっさにあたりを見渡した。飛び降りた直後、彼女の体を捕まえ、抱きしめることができたとこまでは覚えている。だからーー


ーードン!


「ぎゃぁぁぁ!!」


突然、俺は後ろから何かに勢いよく押し倒された。そのまま顔面からスライディングを決める。


「痛っ!痛い!痛いって!イタタタタタタタ!!!!」


起き上がろうとしたところをさらに、右側の横顔を地面に押し付けられるようにして抑えられる。そして、どうやらそれをしたらしい奴の声が聞こえてきた。


「……あなたは何?」


「……耳が削れてる!片耳になっちゃうぅぅぅ!!!」


「答えて?目的は何?なんで飛び込んできたの?」


「まじでヤバいっす!髪も抜けちゃう!片側だけ禿げちゃう!」


「どうして?放っておけば私を処分できたでしょ?」


「……分かったから。答えますから……もう離してぇぇ……」


一巡の後、声の主は押さえつける手を離した。……多分、10年後くらいに右の側頭部だけ若禿する気がする。


「もしも、勝てると思ってるのならあきらめた方がいい。あなたに私は殺せない。不意を突くのも無駄。」


「……あのなぁ、もしかして間違えてないか?」

そう言いながら俺は後ろに振り向いた。予想通り、まるで冬探しの最も多く雪が降った日の朝を詰め込み、織りなしたような真っ白な細長い髪と同じ色のケモ耳、そして、同じくらい白い肌の少女がそこに居た。だが、それとは反対に見た目はみすぼらしいものだった。ボロボロの貫頭衣一枚だけを羽織り、せっかくの髪もぼさぼさだ。そして……首には鉄の首輪がはめられていた。つまり、奴隷だ。


記憶と同じ藍色の瞳がこちらを睨みつけている。俺はその目を睨み返すようにして声を言葉を紡いだ。


「俺は別にお前の敵じゃない。というかお前のこと自体知らない。なんでころ、殺さなきゃいけないんだよ……」


「ならなんで?」


「それは……悪いかよ?助けたいと思っちまったんだよ」


「……」


無言だった。いや、目が信じられないものを見ている目をしている。その目から彼女の心情が伝わってくるようだった。


「つまり恩を着せたかったってこと?」


「そういうことじゃない、ただ目の前で死んでほしくなかったんだよ。」


「……分からない。あなたはそれだけの理由で私を助けたと?自分が死ぬかもしれなかったのに?」


彼女の瞳が今度こそ完全に困惑と恐怖の色に染まった。


「……普通じゃないよ?私を捕まえるためでも、なにかさせるためでもなく、私を助けたかった?奴隷を?獣人を?」


「……だから何だよ?助けてやっただろ?」


少し、いや、かなり言い方が気に障った。俺は俺のせいでウェイン兄さんが死んだ。だから目の前で落ちていくこいつの姿が重なって、手を伸ばしただけなのに。


「信用できない。さっきも言ったけど私を騙して不意をつく気なら諦めた方がいい。あなたにはできない。」


すると、彼女は立ち上がって、こちらに背を向けて洞窟の奥に歩き出した。


「でも、もし今の言葉が本気ならもう少し考えた方がいい。……そのうち誰かを死なせることになるよ。」


「……っ!」


俺の中で何かが切れた。ゆっくりと立ち上がると、彼女めがけて駆けだす。


「とりあえず、殺さない。まずはここから出ーー」


俺は彼女の肩に手をかけて、


「おぃーーガッ!」


だが、掴めずに目の奥で白い火花が散った。次に顎に鋭い痛みが走る。……何とか開いた視界には白肌のこぶしが見えた。多分、反応する間もなく殴られた。


「諦めた方が良いと言ったはず……ッ!」


それでも俺はもう一度彼女に掴みかかった。今度こそ、襟を握りしめる。


「黙れよ!こんなことしたって何にもならないことくらいわかってんだよ!」


「この!」


「ごはっ!」


息が詰まる。今度は鳩尾にこぶしが突き刺さった。


「兄さんが死んだんだよ!俺が余計なことをしたから……俺が自分でなんでもできると思い込んで!自分勝手に動いたからせいでなぁ!」


少女の動きが止まった。


「ゴブリンに頭を殴られて、脳みそぶちまけて……どうしろってんだよ、なぁ!」


「こんなことしたってなんの罰にも慰めにもならないことくらい分かってる!兄さんが生き返らないことも!おれじゃあ兄さんのようにふるまえない!代わりにもなれない……世界どころか家族も守れない」


「誰も俺を憎まなかった。父さんがゴブリンに殺されて、俺のせいで今度は兄さんが死んだのに、母さんは俺を責めなかった。ラックスも、マリアもライアンも、村の人たちも、リンシャさんも……」


「知識があったって、記憶があったって……結局俺は、部屋にとじこもってるヒキニートで兄さんたちの影に隠れる弱虫で、わがままなただのガキだ。根っこは何も変わっちゃいない。」


言葉が溢れて止まらなかった。あの日から、ずっと頭の中でぐるぐると渦巻き浮かんでは消えていったぐちゃぐちゃの感情が意味となって口から吐き出される。瞳からいつの間にか涙がこぼれた。


「なあ、教えてくれよ。どうすればいいんだ。俺は……俺は……」


「ごめん……」


冷えて、小さくて、少し硬い、でも確かに温かい何かに包まれた。


「そんなつもりじゃなかったんだ。あなたもちゃんと苦しかったんだね」


「チクショウ……ウェイン兄さん……俺は……ああ、あああああ!!」


「大丈夫。あなたは頑張った。頑張ったよ。」


ひたすら俺は泣いた。泣きじゃくった。


◇◇◇


で、数分後


「忘れてください。なんでもします。」


「難しいね」


「ぐわぁぁぁああああ!!!!!!」


俺はブリッジの姿勢で雄たけびを上げていた。顔は紅潮MAXだ。ふは、あそこにフナムシっぽいのがいる。俺、いまだけ君になりたい。


「ケモ耳少女の胸元で泣きわめくとか一生の黒歴史だろ、これ。」


「変なこと言ってないでそろそろ脱出方法を考えるよ」


「ぁい。」


そう言って、俺は何とか立ち上がった。彼女の方を見ないようにしながら、洞窟の入り口から外をのぞき込む。


ーー轟轟と茶色に濁った水が流れている。


「やっぱむりか」


崖から飛び降りた時、崖の斜面を蹴って俺はどうにか谷底に流れる川に飛び込んだ。そのあと、流されるままに、最終的にこの洞窟に入り込んだんだと思う。正直、あんまり記憶がない。


「よく、無事だったな。奇跡だろこれ。」


それくらい、川の流れは激しい。そもそも死神崖から落ちて大きな外傷もないのもあり得ないことだ。


「うん、でもさっきからまた雨が強くなってる。そのうちここまで来ると思う。」


「ああ、来なくてもこの調子じゃ三日三晩は川は渡れない。つまり飢え死確定だ。」


「じゃあ、」


「ああ」


俺たちは後ろに振り返って洞窟の奥を見つめた。


「「進んでみるしかない。」」


俺たちはうなずきあうと、真っ暗な暗闇に踏み出した。


◇◇◇


洞窟はそう、長くは続いていなかった。代わりに行き止まりには小さな隙間が空いていた。恐らく周りも小突けば崩れるくらい脆いだろう。だが、その先を覗くと


「ゴブリンの巣か……」


「うん」


そう、隙間の先には小さな明かりと何匹ものゴブリンが闊歩していた。……こんなに近くにいたのによく先ほどの声が聞こえなかったものだ。雨のおかげなのだろうが、そのことに安堵する。


「……」


頭によぎるのはあの日のこと。殺意に濡れた眼、大量の血、崩れゆくウェイン兄さんの姿。自然と体が震えた。


「大丈夫?」


そう、心配そうなささやき声が隣から聞こえてきた。


「……問題ない」


俺は深呼吸をして、恐怖を押しのけるようにこぶしを握り締めた。


「ゴブリンの巣があるってことは外への入り口もあるってことだ。ここにいてもらちが明かない……だから」


まだ後悔も頭の整理も罪悪感も何も区切りはできてない。でも今は生きるために足掻こう。まだ、死ねない。ウェイン兄さんがなんで死んだか分かんなくなる。だから……


「行こう」


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弱者の英雄 初雪閃 @hatuyukisen

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