THE END AND prologue

@hayakawa37

【最後の撮影旅行】

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。私は、ああそうか、と思った。

 世界が終わるなら、あそこに行かなくてはならない。確信を持って思ったわけでも、逆に何となく思いついたわけでもなかった。ただそう思ったというだけだ。

 私は旅の支度を始めた。着替え、食料、少しのサバイバル道具。それほどの量ではない。荷物はすぐにまとまった。出かける直前、そういえば自分はカメラマンだったな、と思い出し、埃っぽいメタルラックの上から旧式の一眼レフを下ろして肩にかけた。靴を履き、少し軋むマンションのドアを開ける。

 久しぶりに吸い込む外の空気は、やはり少し埃の匂いがした。


 世界の終わりなどとテレビで言われる前から、誰もがとっくにそのことを知っている。

 私が物心つくかつかないかの頃には、すでに戦争は末期の様相を呈していた。幼かった私は母と二人、日ごとに荒れていく街を転々としながら食いつなぐのだが、いっこうに暮らしは良くならない。各国政府も、いろいろなシステムも、まともに機能しなくなっていることは明らかだった。

 やがて、母が勤める大学の、学徒動員が始まった。教員であった母もそのうち兵隊にとられ、帰らぬ人となった。


 その頃からだっただろう。私が自分の存在を、曖昧に感じるようになったのは。

 身寄りを失い、親戚の住処をたらい回しにされるような子供を、大切に慈しんでくれるような人間はいない。誰もが自分のことで手一杯だった。自己を形成していく段階で、愛着も整った生活も与えられなかった私が、そうなったのも無理からぬことである、と理解している。もしかすると、そういう子供は世の中に多かったのかも知れない。

 ともかく、いつも自分を探しているような感覚だった。生きる意味を探そう、なんてフレーズの流行歌はいつもステレオから聴こえていたけれど、そんないいものではない。何もかもがぼんやりとし、私はただ生きるために形ばかりの学校に通い、職を見つけ、日銭を稼いで今日まで過ごしてきたのだった。


 ゴーストタウンと化した街並みを歩く。私が向かっているのは、この都市からずっと離れた、いつも霞がかかったように見えている丘である。垂れ下がった電線の向こうに、今日もその丘は霞んでいた。

 母が生きていた頃、

「あの丘には、神様が住んでいるのよ」

 そんなことを言っていたのを、思い出したのだ。一つずつ記憶をたどりながらアスファルトを踏みしめていると、そういえば大人たちは口を揃えて似たようなことを言っていた、と思い至る。

 神様が住んでいる丘。宗教など信じるようなおめでたい世の中ではなかったのだろうが、何故か人々はその丘には近寄らないらしい。都市近隣が戦車や砲台で埋め尽くされるような日も、丘は悠然とした佇まいで静まり返っていたのを覚えている。


 考えながら、馬鹿馬鹿しいなぁ、と感じ、割れたコンクリートを蹴飛ばす。世界の終わりに、そんなところに行って、何をしようというのか。何があるというのか。私はただ何かが欲しかったのだ。

 空っぽのまま終わってしまうであろう自分の人生に、最後だけでも意味を与えたかった。そんな自分勝手な衝動に利用される神様も、きっとたまったものではないだろう。


 二日目の夜が明ける。崩れたビルの庇の下で眠っていた私は、差し込む朝日の眩しさに顔をしかめながら、起き上がって辺りを見渡した。建物は全て形をなしていない。人通りもない。もう人など何か月も見ていないのだから、今日も見なくて当たり前だな、と私はぼんやり考えた。

 ふと思い立って、カメラを構えてみる。ファインダーからのぞいた景色はあまりにもみすぼらしい廃墟で、私は笑ってしまった。飯の種にしていただけの技術だが、素人よりは使える。何度もシャッターを押して、風景を切り取っていく。

 割れた窓ガラス。錆びた鉄塔。横倒しになった列車。

 そんなものたちを彩る陽の光や絡まったツタの葉の色、時には雨が降り注いでくる重たい雲の様子などが、とてもきれいだということに私は気づいた。そんな気持ちは、世界が終わることへの感傷だと自分に言い聞かせて、歩みを進めた。


 自分にとって、生きることとは何だったのだろう。

 ろくに感情を表すこともせず、誰と関わることもせず、それは生きているということで合っているのだろうか。

 神様に会いに行く。その思いは、一歩ごとに私の心を高揚させる。そして昂ぶった気持ちをぶつけるように、私はシャッターを切り続けた。


 目的の丘の頂上が眼前に迫ってきたのは、ちょうど七日目の昼下がりだった。このまま行けば、夕方には登りきることができる。都市の光景は眼下に遠ざかり、静謐な空気が漂っているようにも思える。あの埃っぽい街で暮らしていた私にとって、慣れない雰囲気を感じ、何度も身震いをした。

 ずっと早足だったため、肩で息をしながら、細い遊歩道の手すりを撫でてみる。

 やっと来れた。そんな気持ちになるが、不思議と達成感などは感じない。山に登ることそのものが目的である、と言う登山家などではないのだから、それもそうだろう。歩幅を確かめるような足取りで歩きながら、すぐ先にいるはずの『神様』に思いを馳せる。

 神様、私の生に、何かをくれたりするのでしょうか。私が今日まで過ごしてきた日々は、意味のあるものだったのでしょうか。

 そんな問いかけが心の中に湧き上がっては、とめどなく流れて消えていく。そして、私は頂上のモニュメントに辿り着いた。


 そんなに大げさなつくりをしていないな、とまず思う。モニュメントは無機質な金属でできていて、祈りの言葉や何かの名前が刻まれている訳でもない。

 モニュメントの足元に、小さな扉があることに私は気づいた。昔、博物館で見かけたような、年代物の技術でできているようにも見える。あれこれ引っ張ってみると扉は簡単に開き、当然のように下へと続いている階段を、私はゆっくりと下りて行く。

 暗い通路を何十メートルか歩くと、少し広い場所に出た。偶然手元の壁にスイッチがあるのを認める。一つ深呼吸をして、押した。


 ガラスのようなもので出来た透明な筒が、たくさん並んでいる。これは何だろうとそのうちの一つに近づくと、中には小さな種が十数個入っていた。よく見るとどの筒にも、同じように何かの種子が収められているとわかった。

 そして、一つ一つの筒の側面に、はっきりとした字が書かれている。

 教員をしていた母に教わって、私はその意味を知っていた。それは植物の学名だ。筒に保管されている種子の、それぞれの名前なのだろう。


「こんなものが……」

 思わずつぶやき、膝を折る。落胆でも、納得する気持ちでもなかった。ただ愕然とした。

 人類が今まで育ててきた穀物や、品種を改良した植物の種子を、保管して残してあるのだ。震えるようにしながら吐き出した息が白く染まり、ここが冷凍庫であることに今更のように気づく。

 誰が始めたことなのか、どれほどの時間がかけられた計画だったのかなどは知らない。たぶん、知っている人間などもういないのだろうとも思う。だがここに、そうやって植物たちが残されているのは、まぎれもない事実だった。

 人類が滅んでも、この星に住む生命を繋ぎ止められるようにと。そういう目的のもとに用意されたものなのだろう。誰に言われることがなくとも、私はそう素直に理解することができた。


 世界が終わっても、誰かがまた始められるように。

 終わりの向こうに、いつかまた始める誰かがいてくれますようにと。

 そんな願いを込め、自分たちがはぐくんできた、たくさんの生命の種を託す。その想いのことを人々は神様と呼んだのだ。

 くだらない。本当にくだらないけれど、あまりにも真摯な祈り。


 私はリュックを漁り、十徳ナイフを取り出した。はやるように、自分の爪を切る。一週間風雨に晒され、痛んでバサバサになっている髪の先も切り取った。それを、いくつか空っぽになっていたフィルムのケースに入れて、透明な筒たちの隙間に押し込む。

 きちんと整理されていた筒のいくつかがバランスを崩し、床に転がった。構わず押し込むと、フィルムのケースはどうにかそこに収まった。立ち上がって見ると、フィルムのケースはまるで元からそこにあったかのようで、その様子に何故か視界が滲んでくる。

 こうしておけば、いつかまた世界が始まった時、『人間』を残せる。たとえそうであっても、残されたそれはもう決して『私』ではないのだろうけど。


 ぽろぽろと目から涙が零れ落ちた。止まらなかった。汚れた服の袖で、拭う。拭う必要がないとも感じたが、少しでも長くこの風景を眺めていたいと思ったのだ。

 私が探していたものは、確かにここにあった。

 人々が託した願いに自分も混ざれる。同じ想いを託すことができる。人間として、人類の一員として自分が生きていた、そう言える。そう思える。


 神様に会いに来た私が、神様に会えることなどなかった。それはとっくに知っていたことで、期待などしてここにやってきたわけではない。それでも、私は生まれて初めて、自分が生きている感覚を確かめることができている。

 来て良かったと思えた。この旅に、ちゃんと意味があったことも、満足だった。

 最後にもう一度、自分が無理やりここに置いていく、フィルムケースを指先で撫でる。私は世界の終わりに、もしかすると人間であることを飛び越えて、『神様』になれたのかも知れない。そんな空想が浮かんできて、私は一人笑った。きっと泣き笑いになっていただろう。


 外に出ると、辺りはもうすっかり茜色で、空の端に少し藍色がにじんでいた。私は「よいしょ」と声を出し、モニュメントを背に腰を下ろす。

 足を投げ出したまま、しばらく夕焼けに染まった光景―――足元に続くなだらかな斜面と、その向こうで雲のようなもやに見え隠れしている都市を眺めていると、無性に写真を撮りたくなった。私はいつものようにファインダーを覗いて、構える。

 パシャッ、とシャッターの音が響く。その音を聞いているのは私だけ。眼下の街にも、この丘にも、もう人は住んでいない。でも、私はきっと一人ぼっちではなかった。

 カメラを下ろして、自分の目にも焼き付ける。世界の終わりはこんなにも美しくて、愛おしい。

 生きることになど、何の感慨もおぼえていなかった自分がそんな気持ちになれていることが嬉しくて、私は神様と、私にこの世界を与えてくれた人々に感謝した。


 私と、たくさんの命を包み込みながら、ゆっくりと暮れていく世界。終わっていく世界。

 そして、いつか再び始まる瞬間を、もう待ち始めている世界。

 流れ星が一つ、小さな光たちが瞬き始めた空を切り裂いていった。それは終わりと始まりを告げるささやきのように、私には思えた。

 

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