近況ノートに代えて

on

お久しぶりです。まずはごめんなさい。次にありがとうございます。最後に…

こんばんは、お久しぶりです。onです。

(そんなに立派なものではありませんが)ペンネームに向き合うのも久しぶりで、かなり緊張しています。

今見ると、最後に近況ノートを更新したのは5月8日ということで、二か月以上、留守にしていたということですね。思ったより長期間でした。

今回は、色々お伝えしたいことが沢山あって、近況ノートを作成しています。私的なことばかりですが、どうか、お付き合い頂けると幸いです。


まずは、妙な近況ノートを最後に更新をやめてしまい、本当にごめんなさい。

今見ても、決して気分のいいものではなかったなと反省しています。せめて、そこで書いた、『「夏のいなずま-the autumn rain-」について、どのようにするかを決めたらお知らせをする』ということは、しっかりするべきでした。他の方の助けを借りた分、そこには責任があったはずです。本当にごめんなさい。

遅くなりましたが、「夏のいなずま-the autumn rain-」については、非公開にさせて頂きました。☆をくださった方々、フォローしてくださった方々、♡をつけてくださった方々、閲覧してくださった方々、全ての皆様に、申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当は、この、更新休止期間に加筆修正をしていたのですが、どうしても納得いく形が見つけられないまま、このときを迎えてしまいました。恐らく、本当に秋雨が降る季節になれば、完成すると思うのですが、「それまで待っていてください」と言うには、いくらなんでも厚かましすぎますね。もしかしたら、お蔵入り作品になるかもしれません。ですが、この作品で出会えたご縁、直面した課題などは、私にとって、とても大切なものです。厚く御礼申し上げます。


そして、新作「ピアス」について、☆をくださった方々、フォローしてくださった方々、♡をつけてくださった方々、閲覧してくださった方々、本当にありがとうございます。あの小説は、他の作品とは違うところがあるので、これでいいのか、これをインターネットに上げていいものなのか、アップする直前まで悩んでいました。

振り返ってみると、小学校の授業中、方眼ノートの枠外に、誰にも見えないように小さい字で言葉を書き連ねて、あぁいうことをしていたときが一番楽しかった。あれは「小説家ごっこ」みたいなニュアンスの遊びだったように思います。私にとって「文章を書く」ことは、自分だけの秘密で、だからこそ自由が許されるただの遊びでした。

ですが、カクヨムを始めて、ありがたいことに、こんな拙い文章でも、読んでくださる方がいると分かると、その方々が急かしているわけでもないのに、なぜか、常に焦りを感じるようになっていました。もっと面白い作品を、カクヨムのニーズに合った作品を、PVが付くような作品を…こうなってくると、もう、色々、崩れていくのを、ぼんやりと眺めるしかなくなってしまったわけです。「文章を書く」ことは、私にとってどんなことだったっけ、それがわからなくなって、ペンを持つまで、キーボードに手をかけるまでは、「書きたい」「表現したい」という気持ちで溢れているのに、いざ文字を書いたり、打ったりし始めると、何がしたくてこんなことしてるんだっけ、と思うくらい、苦しさ、という言葉じゃ表現できないなにか、を感じるようになっていました。「文章を書く」ことを、「楽しみ」から「自己的な義務」に、「自分で」そうしてしまったんです。これを続けていたら、いつか、とんでもない齟齬の上に間違いが生まれると思って、逃げるように、カクヨムを開くのをやめました。

ですが、本当に、閲覧してくださる方々には、感謝では言い表せられないほど、感謝しています。皆様がいてくださるからこそ、私は、カクヨムを選びましたし、作品をアップし始めたあとも、「読んでくださる方がいるって、評価を頂けるって、書く仲間がいるって、こんなに楽しいんだ」と、強弱があったとしても、その気持ちが消えたことはありません。私が勝手に空回っていただけなので、そこは、どうか、悪く受け取らないでください。いつも、本当にありがとうございます。

そうしたあとの、この約二か月間、とにかく、書きたいと思ったことを書く、ということをずっと繰り返していました。それこそ、小学生の頃と同じように、思ったことを思うように書く。たったワンフレーズだけを書いたポストイットとか、川の上にかかった橋の上で見た夕焼けに感化されて零れた言葉を打った携帯のメモアプリとか、使いかけのノートとか、ミスプリントとか、手帳とか、とにかく、色んなものに、好きなように文章を書きました。とても、とても楽しかったです。他の人より、ちょっとだけかっこいい言葉を使って、なんでもない出来事を、ちょっとだけ特別に書くんです。それだけで、ずっと昔に憧れた、あんな小説、こんな小説に出てくる、あんな人、こんな人になれた気がして。純粋に、「文章を書く」ことが楽しかったあのときの調子を、取り戻せたように思いました。

でも、それを一つの物語にするって、どうしてあんなにも難しいんでしょうか。私は、基本的には、あまり突飛な話は書いていないつもりです。自分の周りでありえそうなこと、この人達、あんなことになっていてもおかしくないかもとか、もう少しだけ脚色したら、こういうことがあるかもなとか、日常をちょっと飛躍させただけの話を書いてきたと思っています。それが、どうして、文章にしただけで、全く知らない、自分の手を離れた別の生き物のようになってしまうのでしょうか。文体のひとつも揃えることが出来なくて、そのうち、何が書きたいかも分からなくなって、ふがいなくて、初めて、泣きながら文章を書きました。何度も「やめてやる」と思いました。誰もやれなんて言っていません。ちょっとの後ろめたさが残りますが、それさえ無視すれば、カクヨムでの出来事は、全てなかったことにもできたんです。

でも、どうしても、やめられませんでした。自分の中で、これだけはやめるなって、多分、幼い、ただ小説家に憧れていた子供の私が、そう言っていたんだと思います。何でもかんでもできないなら簡単に放り出して、誤魔化してきたじゃないかって。ここでもまたやるのかって。お前、たった一つだけ、これだけは楽しくできるって思ってたんだろ。書けないからって、簡単に逃げるなよ。

そして、その段階に来て、初めて気が付きました。文章を書くって、物語を作るって、とても難しいってことに。「小説家」という、それを仕事にしてお金を稼いでいる方々がいるんです。大きく見過ぎですが、捉えようによれば、(カクヨムに限らず、アマチュアの)書き手は、プロが、生業にしてやっていることを、対価にお金を得てやっていることを、しているんです。そりゃ、難しいに決まってるだろう。

だから、決めました。どれだけ時間がかかってもいいから、とにかく一作、自分の納得のいくものを書く。時間はもうこの際目をつぶるから、とにかく一作、「自分の、書きたくて書いた作品です」って言えるものを書く。そう決めて、6月の頭から書き始めて、ようやく形になったのが、「ピアス」です。

それにしてはえらいいかついな、と思われたと思います。もしかしたら、「死」という言葉を軽々しく扱いすぎだと思われた方もいるかもしれません。それはひとえに、私の文章力の拙さから来ています。もし、不快な思いをされた方がいましたら、この場を借りて、お詫び申し上げます。

実は、「ピアス」の制作中に、近親者が危篤になったという知らせを受けました。もしかしたら、どなたかには、その人のことをお話したので、覚えがある方もいらっしゃるかもしれません。今は何とか持ちこたえているそうですが、もう年齢も年齢で、いつどうなってもおかしくない状況です。

久しぶりに「死」という言葉に直面した、そのときに思い出したのが、小学校の、同級生の言葉でした。その人と交わした、最後の言葉です。

「死にたいと思っても、絶対に死んじゃいけない。それは、俺に死にたいと思わせた奴の思うつぼだから。だけど、生きた心地がしない毎日を、どうしていいか分からなかった。もし俺に、この気持ちを、ほんの少しでも理解してくれる人がいたら、こんなに苦しい思いをしなくてもよかったのかなって、今でも思うよ。」

その人は、私にそう言った次の日から、学校に来なくなりました。私は全く気づけなかったんです、その人がいじめられていたことに。その人は、結局、私が転校してしまうそのときまで、学校に来ませんでした。今でも、私はあのとき、どうしたらよかったんだろうって、考えます。

私は、守られた世界で生きてきたという自覚があります。いじめになりそうないじりには噛みついて抵抗したし、その分友達は少なかったけれど、こんな私を理解してくれる人が少人数、傍にいてくれました。噛みつくなんてことができるのは、自分を救ってくれる人がいるって分かっているから、です。

その人に、そんな存在の人がいたのか。もしかしたら、暗に私に助けを求めていたのかもしれない、なんてことを思うと、やりきれない気持ちになります。彼がその後どうなったのか、なんてもう、誰にも聞けません。聞けたとて、過去、私の前でその言葉を呟いた、恐らく苦しんでいた彼に、私ができることは何もないんです。

でも、もし、過ぎ去ったことに「もし」なんてありえないけれど、もし、彼に、あのとき言ったような、「この気持ちを、ほんの少しでも理解してくれる人」がいたらと、そう思って書いた作品が、「ピアス」です。

美談にして、いいように利用していると、そう思う方もいるかもしれません。ですが、この作品が、この作品こそが、「自分の、書きたくて書いた作品です」。小学生の頃、楽しくて書いていた文章。いつしか、自己的な義務になっていた文章。でも、逃げたくない文章。それが難しいということも気が付いた。その先にあったのは、ナイフで切り裂いた生肉のようにぐちゃりとした感触の、過去の後悔と、遅くて叶わなかった、それと同じ場所に残っている、差し伸べる手でした。後悔なんて星の数ほどあります。それを、少しでも、未来の誰かの役に立てる方法があるなら、その中で私にできることがあるなら、それは多分、文章だと思います。

虚構の世界だからできることがある。「こんなことありえないって」と思いながらも、泣きながらでも、笑って、「最悪だよ、また明日も生きなくちゃ」と言いながら、少しでも生きる意味を見出せるような、そんな文章が書けたら。

そう思って書いた、むきだしの私が思いっきり反映されているのが、「ピアス」です。復帰作がこれで大丈夫なのかとか、何か色々と勘違いしてるんじゃないかとか、色々思うこともありましたが、私はアマチュアですから、レイティングにひっかかる規約違反をしない限り、少しくらいはいいだろうと結論付けました。

そんな作品なのに、☆をくださった方々、フォローしてくださった方々、♡をつけてくださった方々、閲覧してくださった方々がいらっしゃって、とてもとてもとても、嬉しかったです。最後の更新もよくない終わり方だったのに、以前から読んでくださっていた方からも応援して頂いて、また、涙が零れてしまいました。本当に、ありがとうございます。ただいま、戻りました。


ここまで、長々と失礼しました。こんな一人語りにお付き合い頂き、重ね重ね、ありがとうございます。

これからの活動についてですが、自分のペースで、自分の書きたいものを書けるように、頑張ろうと思います。実は、これから、目標にしたいものもできました。もし聞きたいと言ってくださる方がいらっしゃったら、またの機会にお話ししますね。

今、私はとても満たされています。やっぱり、逃げなくてよかった。文章を書くことは、今の私にとって、とても楽しいことです。この楽しさも含め、私が作品に込めた思いを、自分の文章で、誰かに伝えることが出来たら、この上ない幸せだと思います。


最後に、こんな、情けなくてどうしようもない私ですが、どうか、これからもよろしくお願いします。




いつも私の拙い文章を読んでくださり、ありがとうございます。

onでした‼

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