Ⅱ
唯とは、中学からの仲だ。同じクラスで仲良くなったのが縁で、高校も同じところを受験した。結果、運良くふたりとも受かった。
それから、高校では同じ部活に入った。部活には、私から誘った。中学では私も唯も帰宅部だったが、高校では何か打ち込めるものがほしいと思ったのだ。そこで、絵を描くのが好きだった私は美術部に入ることにした。
唯は最初入部を渋っていた。でも私は唯が絵が上手いということを知っていた。美術の授業で彼女の描いた絵を見たことがあったのだ。彼女の絵は世界を直接切り取ったかのように見えた。彼女は絵の才能がある、素人の私でもひと目見てそう分かった。だから、彼女も美術部に入るべきだと思ったのだ。何度目かの説得で、彼女はとうとう折れた。そうして、ふたりで美術部に入部したのだ。
今思えば、彼女を美術部に誘ったことが失敗だったのかもしれない。
彼女は美術部に入ってからぐんぐんと絵の技術を伸ばしていった。もともと生まれ持ったものがあったのだと思う。彼女は1年生にして県のコンクールで優秀賞を獲った。2年生では全国のコンクールで入賞を果たした。
それに引き換え私の絵なんか、彼女の足元にも及ばないものだった。でもそれでよかった。私はただの下手の横好きだ。絵が評価されるとかされないとかどうでもいい。そもそも評価に値するような絵なんか私に描けるわけがない。繊細な筆遣いなど考えたこともないし、色彩の組み合わせも真面目に研究したことなんてないのだから。私は天才型じゃなかった。かと言って天才を真似る努力もしなかった。凡人がフィーリングで描いたところで、当然、コンクールに出すレベルのものになる筈がない。初めから分かり切っていたことだった。私は美術部で自分の好きな絵を描けたら、それでよかった。それだけでよかった――はずだったのに。
初めて彼女が賞を獲ったと聞いた時、真っ先に感じたのは、屈辱だった。彼女よりも絵が好きな自信はあった。私のほうが、彼女より遥か昔から絵を描いていたのだ。それに、私だって一生懸命だった。努力した量は知れているけど、少なくとも彼女以上はやっていた、そのつもりだった。それなのに、あっと言う間に彼女に抜かされてしまったのだ。張り合う間もなかった。それから、うっすらと、怒りとか嫉妬を綯い交ぜにした感情を覚えた。言語化などできない、当の私でさえおぞましいと思ってしまうほどの感情だった。嬉しいとなんて、これっぽっちも思えなかった。それでも、彼女の報告を私は笑顔で聞き、外面を取り繕った。親友も知らせを聞いて喜んでくれるだろうと信じて疑わない彼女のことを少し哀れに思い、同時にざまぁないと思った。
私は素直で綺麗な子ではいられなかった。持たざる者が唯一武器にできる美しさも、演じることしかできなかった。皮の下に隠れているのは、あのどす黒い感情だった。心の中で渦を巻き、ぐちゃぐちゃに掻き乱す。気づけば、いちばん姑息なやり方で彼女の心を踏みにじっている。私は最低だ。自分がよく分かっている。親友だからこそ、なのだろう。近しい人だから余計に、何もなし得ていない自分が惨めになる。そして、感情をぶつける先を間違えて憎しみを抱くようになる。まさに今の私だ。醜い私。それを知りながらも、やめられない、愚かな私。
私達3年は6月で部活を引退。本格的に受験モードに入った。私は地元の大学を目指して勉強している。今のところは心理学部希望だ。将来なりたいものなんてなかった。夢とかも、いつの間にか考えることをやめていた。かろうじて思い出せるのは小学二年生の時「漫画家」と描いたこと。夢はいつか現実になる、そう信じて疑わなかった純粋無垢な過去の自分がいじらしい。今の私にそんな高尚な夢などなかった。だから行きたい大学とか学部とか、そんなものちっとも思いつかなかった。この中ならどれが楽しそうかという感じで強いて言うなればと心理学を選んだのだ。別に人の心を読めるようになりたいとか、誰かに寄り添いたいとか、そんな美しい動機はなかった。身の程をわきまえてしまえば、夢は消えてしまう。それがただの夢幻でしかないのだと気づいたときに、私たちは大人になるんだと思う。私は大人になった。それだけのことだ。
でも、唯は、私とは違った。彼女の夢は潰えるどころか膨らんでいった。彼女は芸術系の大学を目指すことにしたらしい。顧問の先生に勧められ、絵の道を志すことに決めたのだそうだ。先生はいつだったか部活で、自分もその道を志していたのだと教えてくれたことがあった。でも、美大に行って、自分のようなやつなどザラにいることを嫌と言うほど思い知り、打ちのめされたのだという。だから安牌な教職に逃げたんだと自嘲気味に語っていたことがあった。彼のような、現実の厳しさを知った人が、それでも彼女に絵の道を進めるのだ。彼女は他とは抜きん出て優れたものを持っているのだと語らずとも言っているようなものだ。唯に相談されたとき、そのことに気づかない彼女の鈍感さに心底呆れて笑ってしまった。
彼女はこれまでコンクールでの入賞実績が数多くあるため、推薦でいけるかもしれないのだという。その入試に備えて、今はひたすら絵を描いているらしい。芸術系は個々に補習や指導があり、私達の補習とは別で行われている。芸術系以外も勿論、夏休みは補習が朝からみっちりある。だから、補習帰りに彼女のいる美術室に立ち寄ってダベるのを、この夏の日課にしているのだ。
初めは補習の邪魔だろうと遠慮していたのだが、唯は息抜きに話し相手を欲しがっていたようなので、美術室に寄って帰るようになった。
私としても、唯と話すのは受験勉強のガス抜きになってよかった。唯をサンドバッグにしているつもりはない。彼女は親友なのだ。どうでもいいことを話すときだってある。嫌味を言うときだってある。愛しさが募るときだってある。憎しみが募るときだってある。そういうものじゃないか、親友って。
ねぇ、そうでしょ、唯。
【続】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます