第4話

「――内田、今日、なんか機嫌良くないか?」


「そうですか?」


 コンビニの制服を着た悠は、先輩の言葉に首を傾げた。


「ああ。いつもは無って感じで接客してるのに、今日は愛想あるじゃん。何かあったのか?」


「…………」


 愛想がないとは、心外だが。心当たりは、ある。いつの間にか顔に出てしまっていたのだろうか。流石に、セナのことを話すつもりは無いが。


「……いや、特に何も」


「ふーん……」


 先輩は探るような目で悠を見ると、裏に引っ込んで行った。


 今日は快晴。天体観測という名目で、あの浜辺に行くことが出来る。


 今日は、アルタイルとデネブも見せてあげよう。三日月も、もっときれいに見えるはずだ。


 今日という日が、こんなに楽しみなのは久しぶりだった。



「……あれ?」


 家に帰った悠は、自室の入口で立ち止まった。目の前の景色が受け入れられなくて、理解できなくて、思考が停止する。手に持っていたリュックが床に落ちたのにも気づかないほどに。


 ベッド、机、小さな本棚の置かれた簡素な部屋。本棚に立て掛けておいたはずの望遠鏡のバッグが――ない。


「…………!」


 悠は部屋を飛び出した。


 バイトに行く時、悠は確かに望遠鏡を立て掛けておいた。ならば、誰が移動させたのか。答えはひとつしかない。


 荒い足音を立てて階段を駆け下り、リビングのドアを勢いよく開ける。


「僕の……望遠鏡知らない!?」


 ビールの空缶が散らばったテーブルでビールをあおっていた母親は驚いたように振り返った。その目は焦点が合っておらず、かなり酔っているのがわかる。どのくらい飲んでいるのだろうか。


「あんた、久しぶりに話してそれぇ? あんなもの売っちゃったわよぉ。あんたがろくに稼げないからお金ないんじゃ〜ん」


「…………っ!」


母親は呂律の回らない口調で続けた。


「まあ、大したお金にもならなかったけどねぇ? どうでもいいじゃない、あんなもの」


 目の前が、真っ赤になった。胸の中に殺意が芽生え、急激に膨らんでいく。


 自分にとってあの望遠鏡は、命と同じくらい大切なものだったのに。父親の形見だったのに。悠と父親を繋ぐ唯一のものだったのに。


 悠は震える手を握りしめた。フローリングを踏みしめ、ゆっくりと母親に近づく。


「……金がないのは誰のせいだよ。お前が飲んだくれてるからだろうが。お前の身勝手さで、僕から、父さんも、大切なものも、全部奪いやがって……!!」


 普通ならあったはずの、ありふれた、でも幸せな生活。それはもう、悠が産まれた時から壊れていた。


 母親は、赤ん坊の悠を放り出して遊び歩いていた。だから父親は、育休を取ってまで悠を育ててくれた。慣れない育児に戸惑い、寝不足になりながらも精一杯可愛がってくれた。身を粉にして働いて、遠足や修学旅行も行かせてくれた。


 悠の生活をたった一人で支えてくれた。だが、そんな父親も、あの日、いなくなった。

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