第21話
晴香たちがいなくなって一ヶ月が経った。季節は夏から秋へと移っていったが誠はニートのままだ。この一ヶ月、彼は自室に引きこもってパソコンを弄り、スマホゲームに精を出していた。要するに晴香が来る前の生活に戻ってしまったのだ。でも、誠はその生活が全く楽しいと思えなくなっていた。
抜け殻になった誠を両親は心配していた。生気のない顔をして毎日があっという間に過ぎていく。晴香を気に入っていた誠の両親も彼女が家を出ていくと聞きショックを受けた。
インターホンが鳴る。宅配を頼んだ覚えはない。前だったら通販で買った本を楽しみにしていたのに今は違う誰かをずっと待っている。
もう一度、インターホンが鳴る。誠は椅子から重い腰をあげて自室から出ていく。慎重に階段を下りていく。
玄関で深呼吸をしてから鍵を開け戸を開ける。抽選をするかのようにガラガラと音が鳴る。
「お久しぶりです」
物腰柔らかく丁寧にそう言われた。誠は目を見開く。目の前には清宮晴香が立っていた。
彼女を確認して誠は苦笑する。もし、再会できたらなんて声を掛けようかと考えていた。ただ誠にしっくりくるものがなかった。だから、晴香と初めて出会った時に言った言葉を掛ける。
「何か用ですか?」
以前と違うのは誠の表情が柔らかくなっているということだ。晴香たちと関わった時間が無駄でなかったことがそこに示されている。
晴香はクスッと笑ってから頷く。そして、口を開く。
「松本誠さん、貴方をニートから卒業させるために参りました」
そう言って彼女は花が咲いたように微笑んで見せた。
「絶対に働かない」
挑発するように誠は言う。
「今度こそは絶対に働いてもらいます。働いてもらわないと私、殺されてしまいます。だから必要ないと言われても全力でサポートさせて頂きます」
ニコリと笑って釘を刺す。誠がコンビニのバイトの面接をバックれたことを根に持っているようだった。
「あれはパートになるくらいならニートのままいた方が良いなと思ったからで。なんで五十音順でナ行より下のハ行に降格しないといけないのか意味わからなかったから」
「誠さんの人に迷惑をかけても良いという思考の方が意味わからないです。今度から約束した面接に行かないということはやめましょうね。社会人失格ですから」
「俺は社会人じゃないし、ニートだし」
「屁理屈も禁止です。まったく、成長したのではないのですか?」
「人間がそう変わるもんか。ビジネス書を読んだだけで人生変わりましたとか言う奴は変わったフリをしているだけだ。それにそいつは変わったのではなく元々が変わり者なんだよ」
「誠さんはとても酷いことを言いますね。本当に人間ですか?」
「どんな質問だよ。愚かで怠惰な人間の本質を持っている俺こそが真の人間だろ。他の奴はその本質を上手く隠しているただの嘘吐きだ」
こんなことを堂々と言えるのは逆に凄いなと思いつつ晴香は苦笑して言う。
「変わりませんね、誠さんは」
「だから、人間そう変わって……」
誠の言葉を遮って晴香は口を開く。
「でも、私の好きな誠さんのままで安心しました」
優しい微笑みを浮かべて彼女は言った。誠は目を見開く。晴香が純白の羽を背負った天使のように見えたのだ。誠は少し赤くなった顔を逸らし言う。
「好きとか軽々しく言うなよ。この世は勘違い男だらけなんだから」
「別に勘違いして頂いて構いませんよ」
「からかうなよ」
「からかってませんよ」
真剣な顔で晴香は言った。そして、すぐにまた柔らかい表情に戻る。
「私は誠さん、貴方を好きになってしまいました」
一瞬、何を言われたのか誠はわからなかった。そして、何を言われたか分かっても何でそれを自分が言われているのか理解不能だった。
「タチの悪い冗談だな」
誠だって彼女がそんな冗談を言うような女子だと本気で思っているわけではない。だけど、それ以上に自分が彼女にそんなことを言われるとは思えなかったのだ。
「冗談ではありません。……私は本気です」
「なんで俺なんだよ。他にもっと良い奴が、マシな奴が幾らでもいるだろうが」
わざわざニートなんて選ばなくてもちゃんと働いて自立している男を選べば良い、男を選べるくらい晴香は可愛いと誠は思っている。
黙り込む誠に上目遣いで晴香は言う。
「……誠さんの答えを聞かせてください」
人はなぜ働くのか、それは金を稼いで幸せになるためだ。そして、しっかりと働いている晴香は幸せにならなければならない。
隣に今の誠がいたのでは晴香は幸せになれない。
「……清宮さんは俺と付き合うべきではない」
この気持ちは嘘ではない。ただ、それと相反する気持ちが誠の中にあるのも事実だ。それにそれを口にするのは現実的ではない。
「ごめん、清宮さん」
「私は誠さんと付き合いたいです。誠さんはどうですか?」
晴香は食い下がる。諦めない女の子は美しいと誠は思った。
「俺は……」
言い淀む誠に溜息を吐いて晴香が口を挟む。
「べき、なんて言葉、誠さんには似合わないです。……私は貴方の気持ちが知りたいです」
「俺の気持ち?」
「はい。誠さんの正直な気持ちを聞かせてください」
真っ直ぐな言葉には真っ直ぐな感情を乗せた言葉を返さなければいけない。ニートの誠でもそれくらいのことは知っている。
「……俺だって清宮さんと付き合えるなら付き合いたい。だけど、幸せにできる自信はない」
顔がカッコいいわけでも性格が良い訳でもない。そしてニートだ。
我儘は一個だけしか許されないはずだ。働きたくないというその我儘を通すには他の幸せは捨てないといけない。
「誠さんは意外と優しいのですね」
「なんでそうなるんだよ。俺は優しくないって前に清宮さんだって言っていたじゃないか」
「ええ、前はそう思っていました。でも誠さんと関わるうちにわかりました。誠さんは優しくないのではなく優しいからこそ人を遠ざける言動をするのだと。その証拠に今も私を傷つけないようにしている」
「傷はつけているだろ。君の告白を断っているんだから」
「浅い傷に済むように、ですよね?」
核心をつかれて誠は目を見開く。
「図星みたいですね」
「……違う。俺は我儘で君を幸せにするどころか君に迷惑をかける」
「そんなの今更です。貴方には沢山迷惑を掛けられました。でも、それが私にとっては生きていると実感できたのです。自信がないなら私が自信をつけてあげます。その為に私はまた貴方の前に現れたのですから」
女子高校生にここまで言われて情けないなと誠は思った。それと同時にここが現在地なのだとわかる。憐れまれるのは悪いことではない。立ち上がらせてくれる人が隣にいて、そこから立ち上がれるのなら。
誠は観念して頷く。
「……俺も君が好きだよ。労働よりはずっと」
晴香は誠の言葉に一瞬トキメキかけてから溜息を吐く。そして苦笑するが目は笑っていない。最低な告白をする誠にトキメキかけたことを後悔している様子だ。彼女は口を開く。
「最低のプロポーズです。また今度、ちゃんと聞かせて貰いますからね」
「機会があればな」
そっけなく誠が言うと晴香は首を横に振って言う。
「機会は作るものです。想いさえあれば簡単にできますよ」
「……想いか」
絶対に働きたくないと思っていたのに晴香を救いたいと思ったら体が勝手に動いていた。あれが想いならば人間って奴は物凄く単純な動物だと誠は思った。
晴香は誠の手を包み込むように両手で握る。突然の行動にドキドキしている誠に晴香は言う。
「だから誠さん、もう一度、バイトの面接を受けてみましょう」
恋愛モードだった誠の思考がすぐに切り替わる。一瞬で目が覚めた。そして、子供のように答える。
「やだ」
「なぜですか? 前はすんなりと電話を掛けていたではありませんか」
「たまたまだ。もう期待するな」
「なんで少し怒っているのですか。怒りたいのは私の方なのに!」
「うるさいなぁ。良いからさっさと上がれ。玄関でうるさいとご近所に迷惑だから」
「うるさいって、相変わらず誠さんは酷い人ですね」
そう言いながら晴香は笑顔で誠の家に上がった。
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