第20話

 翌日、晴香たちとの別れの日が来た。

 誠は思う。別れの時ってどんな顔を作れば良いのかわからない、と。今まで誰かと密接に関わることなどしてこなかった。祖父が死んだ時も祖父のことは少し苦手だったし、もう怒られなくて良いのだと安堵したクソな自分がいた。そんな自分を誠は許せなかった。あの時は罪悪感を音楽とかスマホゲームで埋めた。

 でも、晴香と別れる時は何を使えばそれを埋められるかわからない。罪悪感でもないし、喜びでもない。寂しさと言うには関係も短いので傲慢過ぎる。だから誠は初めて取り繕うことを覚えるのだ。

「まあ、今までありがとうな。あと道端で会った時はシカトするなよ」

 たったそれだけの空っぽな言葉を晴香に伝える。余程なことがない限り、二度と会うことはできないとわかっているというのに。

「……しませんよ。ちゃんと挨拶くらいはしますので安心してください」

 晴香も苦笑して合わせてくれる。そこに彼女らしさは全くない。

 本音を言うのはカッコ悪い。相手に依存しているように見えるから。その人がいないと自分が生きられないと言っているようなものだから。だから大切な言葉を濁すし、言わないという選択を取る。それが間違っていることを知っていたとしても。松本誠とはそういう男なのだ。

 玄関で晴香に手を挙げる誠。別れの言葉を添える。

「……じゃあな」

「はい。さよなら、誠さん」

 今生の別れを果たして二人は離れる。その距離は元々あったようだけど決してそうではないことを二人だけはわかっている。

 キャリーケースをガラガラと引く晴香を茜が追いかけて声をかける。

「良いのか、初恋の男なんだろ?」

 一瞬で晴香の顔が赤くなる。

 餓鬼はわかりやすいなと茜は思った。

「茜さんは何を言っているのですか!」

「あんなに落としやすい初恋の男というのもなかなかいないからな。勿体ないと思ってな」

 いつもと変わらず合理性を考えて茜は話している。しかし、今回はそこに晴香のためという理由も含めて。

「人間の生きる意味を恋愛だと言う奴もいる。仕事のためだけに生きている私たちにとって恋愛を極めるのもこれからの仕事に役立つと思ってな」

「そんなのではありません!」

「そこまで否定するならもう言わないが、……後悔しないようにしろよ。先輩からの助言だ」

「……はい」

 茜が自分に対して助言なんて珍しいなと晴香は思った。



 晴香と茜が出ていき、誠は履歴書を持ってバイトの面接に出かける。

 誠が履歴書を書くのは高校生でやったアルバイト以来だった。

「てっきり、内定が出るまでサポートしてくれると思っていたんだけどな。アフターケアがしっかりしていない。だから、国のやることは気に食わない」

 ブツブツと文句を言いながら誠は歩く。

 雨粒のような液体が地面に落ちる。見上げても天気は快晴だった。代わりに誠の目の端から涙が零れ落ちる。そして、頬に伝っていく。

「あれ、何泣いてんだよ。俺」

 涙の理由を探してすぐに見つかる。

「そっか。あんだけ嫌がっていたのに俺、意外とあの生活が気に入っていたんだな」

 晴香に怒られる毎日。茜に叩き起こされる毎日。誠にとってはどちらも地獄のようだったのに思い返せば美化されて素敵な思い出になっている。悔しいけどそれが事実だった。

 誠が面接を受けて合格して働けば彼女たちとの接点は確実になくなる。晴香の命を守ることが一番大切だがバイト先に電話した時点で絵梨花はとりあえず良いと言った。

 それなら誠が働く理由はない。

「……面接、めんどくさくなっちまったな」

 誠はスマホでバイトの面接をバックれた時の法的な問題を調べる。簡潔に書かれた結論を見て誠は苦笑する。

「特に問題はない、と」

 今、面接に言ってこれまで何をしていたかとか、長所短所、志望動機を聞かれても答える自信がなかった。言ったとしてもお前には理解できないと、理解しようとしないと絶対に思ってしまう。

「人間失格だな」

 そう呟いて踵を返し、誠は来た道を引き返す。

 もう誰もいない、その家を目指して。



 ガラガラと音を立て開く戸。誠はいつも聞いていたはずのその音がいつもより響いている気がした。きっと家の空間に誠以外誰もいなくなったからだろう。二人がいた時は帰ってきたら「お帰りなさい」とか「帰ってきたのか、クズ」とかそんな言葉をかけられて賑やかだったからそんな音を気にすることはなかった。

 今の誠にあるのはバイトの面接をバックれた罪悪感と晴香たちがいなくなったことからくる寂寥感。

「……変われたと思ったんだけどな」

 そう呟いてから誠は階段を上がり部屋に戻る。

 椅子に座って読書をするが内容が頭に入ってこない。代わりに脳裏に焼き付いてしまった晴香の顔が目に浮かぶ。彼女の笑った顔や怒った顔、それらがアルバムのように並ぶ。

 手を繋いだ時の鼓動とか頬に触れた唇の感触もハッキリと思い出せる。

 自分には関係ないと思っていた感情が生まれて誠は戸惑う。

 そして、溜息を吐く。

「……惚れてるじゃねえか」

 この時、恋とか愛とか面倒な感情を誠は初めて自分の中に認識した。

「どうするんだよ、これ」

 諦めることは簡単で傷つかなくて楽で良い。理由だっていくらだって自分で作れるし、惨めな自分にならなくても済む。だから合理的に考えて諦めることを選ぶべきだ。

 それなのに、誠は諦めるということを選びたくないと思ってしまった。

 深呼吸してからもう一度冷静に考える。晴香の幸せのため、誠がニートだから、そんな言い訳を並べることはやはり簡単で納得のいく理由だらけだ。それでも、晴香を諦めるという選択肢がすぐに消えていく。こんな感覚は初めてだ。

「理論じゃないって言うのかよ。感情論なんて大嫌いなんだけどな」

 誠は独り言を言ってからもう一つの可能性を考える。

 もし、晴香を諦めないで手に入れたいと思うならどうすれば良いのか。

 誠と晴香の関係性は既になくなった。それならそこで終わる。

 ただ、誠も晴香も普通の存在ではない。一人は怠惰を極めたニート、もう一人は労働を極めた女子高生だ。

 だから、自然と誠はその行為をしていたのだろう。

「まだ俺はニートのままだぞ」

 誠は一縷の望みに賭ける。

 どうしようもなく情けない好きな女の子の呼び戻し方。

 他の誰にも真似なんてできないし、させない。

 人間なんて失格で良い。自分が幸せになるのなら。


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