第17話
居間に移動して正座で誠と茜は向き合っている。
スーツを着て面接をしているかのような緊張感が漂っていた。
「私たちジャパンキーの使命は多くのニートを卒業させることだ。それは清宮からも説明を受けているだろ?」
茜に問われて誠は無言で頷く。
「よろしい。それで、私たちにはニートに関わる期間が決められていてな」
「期間?」
ジャパンキーに期間があるなんて誠にとって初耳だった。
「そうだ。約一ヶ月、その間にニートを働かせることのできなかった担当者はクビを宣告される」
クビ。その残酷な響きを誠は反芻する。それから、口を開く。
「じゃあ清宮さんは俺のせいでこの仕事をクビにされたって言うのかよ」
誠は唇を浅く噛む。彼女たちの中でも厳しい競争があることを知っていたらどう行動できていただろう。それででも誠は言い訳を並べて行動できなかったはずだ。そして、その言い訳が言い訳だということからも目を逸らしていたことだろう。
「そうだな。全部、お前のせいだ。お前の怠惰が招いた結果がこれだ」
言葉を濁さずに茜は言った。それに対して怒ることなく誠は苦笑する。
「……ハッキリと言ってくれて感謝するよ。お前じゃないとそんな風には言ってくれないだろうからな。それで、清宮さんのクビを撤回するにはどうすれば良い? 彼女自体に問題があった訳じゃないなら取り消すことくらいできるだろ?」
誠の甘い言葉を聞いて茜は溜息を吐く。
「お前は簡単に言うが私たちのクビは普通の企業のクビとは言葉は同じでも概念としては全くの別物だ。……私たちの暮らしは全て税金で賄われている。そして、それはより多くのニートを働かせ、上の者たちに税金を献上するためだ。だから、不用品はすぐに捨てられる。代えはいくらでもきくからな。そして、この任務は極秘だ。それを知っている人間をどうするかはお前でも分かるだろ?」
神妙な面持ちで語る茜に誠は詰め寄る。
「え、何言ってんだよ。揶揄うなよ。だって人間には人権があって……」
そう誠が話している途中に茜は首を横に振りながら口を挟む。
「ないんだよ、人権が。ニートのお前たち以上に私たちジャパンキーにはな。障害年金や生活保護の制度は受けられない。それに問題を起こして警察に逮捕されたとしても私たちはすぐ死刑だ。罪の重さに関わらずな。最初から死と隣り合わせなんだよ、私たちは」
「じゃあ、なんで……」
誠は思った。なんでそんな状況で仕事なんかしているのかと。いや、違う。そんな死と隣り合わせの状況でなぜ平然と仕事ができているのかと。茜も察したようで苦笑して答える。
「私たちにとって生きるとは、働くということなんだよ。働いている時だけが生きていると実感できる。働かないと消されるし、働かない私は私ではない。そんな寂しい生き物が集まっているのがジャパンキーという組織なんだよ」
誠は水族館で晴香に言ったことを思い出す。
『仕事しか生きがいがないなんて可哀想な人だな』
『また貴方はそのようなことを言って。……まあ、幸せは人それぞれですから強くは言えませんが仕事を生きがいと言えるのは私にとっては羨ましいことです』
彼女は他人のことを慮っただけでなく自分を犠牲にしてまで自分と関わってくれていたのかと今更ながらに誠は気づく。
「……なんでだよ。清宮さん、なんで言ってくれなかったんだよ」
「言っていたら、変わっていたのか? お前は変われたのか?」
そう問われて誠は乾いた笑いを漏らす。それを見て茜が言う。
「変われなかっただろうな。人間は変われるとポジティブなことを言う奴もいるが人間は本質的には変われないんだよ」
その通りだと誠は思った。
涙なんて流せない。流す資格が誠にはない。だから彼は歯を食いしばって己を律する。
泣いて解消なんてさせない。ただの自己満足。涙で過去を洗い流そうなんて虫の良すぎる話だ。悔いた過去は未来で取り返すしかないのだ。
遠い目をした茜が口を開く。
「清宮がお前に期間のことを言えなかったのは、ここに来て偶然できてしまった新しい日常を壊したくなかったんだろうな。清宮が関わった対象者でお前が最長記録だからな。お前の怠惰が作った不名誉な記録が清宮の思い出に変わってしまっていてもおかしくはない」
親が死んでも財産がある。借金ができても自己破産すれば良い。財産が取られても最後のセーフティネットとして生活保護がある。そんな都合が良い話を誠はパズルのように組み立てて安全圏を作っていた。疑っていたはずの汚い大人のそんな虫の良い話を誠はずっと信じてきた。
でも、彼女らにはそれがないのだ。一歩でも間違えれば命が奪われる。そして元々いなかったように社会は回り続ける。あんなに働いている彼女たちがいなくなったのに。
毎日、なんの取り柄もない松本誠という男と一緒にいて好きな奴としたいはずのデートまでして、すぐ結果が出なければ人生終了。そんなのクソゲーだ。誠が生きている世界より何倍もクソゲーだ。そんなクソゲーを彼女は必死にプレイしていた。そして、本気で楽しもうとしていた。
誠は拳を握る。
「俺はヒーローじゃない。それどころか社会人でもない。ニートだ。そんな俺に清宮さんの命は救えるのか? 正直に答えてくれ、茜」
真っ直ぐに誠は茜を見つめる。真剣な誠に見つめられた茜が口を開く。
「救えないな」
茜は即答した。
「……そうか」
肩を落とす誠に茜は鋭い視線を向けて聞く。
「諦めるか?」
諦める。自分だけの問題なら、あるいは赤の他人のことなら誠はそれが簡単にできる。しかし、晴香は赤の他人ではない。誠にとって大切だと信じたい子だ。だから、誠はハッキリと言う。
「諦める訳ないだろ」
茜は首を傾げる。
「なぜ? 清宮はただの担当者だろ。それとも惚れたか? 女なら誰でも良いのか。それなら私の方が肉体的にも優っている。胸だって触らせてやる。それで満足か?」
ワイシャツに隠れた大きな胸を押しつけてくる茜。
誠は思った。さあて、何を言おうかと。
正直、想いなんていくら伝えても駄目で伝えたとしても伝わらない。残るのは改竄された記録とか都合の良い記憶とかそんなものくらいだ。
じゃあ、五感に訴えるしかない。目に焼き付けて、耳朶を打って、気持ち良くて、コーヒーは苦くて思いは甘い、香りすらも思い出のトリガーにする。
そんな曖昧な作戦を決めて誠は立ち上がる。
「コーヒーは飲めるか?」
「飲めるが、それがどうした?」
「コーヒーを淹れる。ホットで良いな?」
「急にどうしたんだ。まだ私の質問に答えてもらってないぞ」
「ああ、そうだったな」
誠は茜に近づいて腕を伸ばし、ワイシャツの上から彼女の左胸を優しく揉んだ。柔らかい感触が誠の右手に伝わる。
「ぁ」
胸を揉まれた茜の小さな甘い吐息が聞こえた。
そして茜の胸から手を離し誠は口を開く。
「悪いけど、俺は貧乳の方が好きなんだ」
中学生の時、学校で言ったら翌日、黒板にでかでかとロリコンとチョークで書かれて女子にドン引きされたのを誠は思い出す。
今となっては良い、……いや今も苦い思い出に変わりない。
胸を揉まれて一瞬怒りかけた茜だったが誠の言葉を聞いて呆れた様子で口を開く。
「……それなら仕方がないな」
その言葉を聞いてから誠は台所に行く。
水道の蛇口をひねってポットに水を入れて湯を沸かす。
二つのマグカップにそれぞれオリガミコーヒーをセットする。
アイスコーヒーは初めて晴香がここに来た思い出だから悪いけど茜には暑いけどホットを飲んでもらう。
コーヒーを淹れてからそれを茜の元へと運ぶ。
「すまんな」
「なあに、ついでだから気にするな」
ふっと茜は笑う。
「それなら遠慮なく頂くとしよう」
茜はカップを口に運ぶ。
「美味しいな。苦味を心地良いと思うなんて初めてだ」
「俺も清宮さんとカフェに行って初めて知ったよ。誰かと飲むコーヒーもまた美味しいんだって」
誠一人では気づけなかったことがこのたった一ヶ月で晴香のおかげで沢山見つかった。だからなんだと嘲笑されるかもしれない。でも、そんなちっぽけなことが誠にとっての生きているということに繋がっていた。
「そんなことを私にわざわざ伝えるためにコーヒーを淹れたのか?」
「いや、違う」
誠は持っていたカップを座卓に置いてから茜の目の前に正座する。そして、土下座をした。
「俺のところに来なければ清宮さんは死ぬことなんてなかった。だから、責任が取りたい。俺に取れる責任じゃないかもしれないがそれでも取らないといけない。だから、清宮さんの居場所を教えてくれ」
「わからない、と言ったらどうする?」
誠が顔を上げると射抜くような眼差しで茜が質問する。
「コーヒー飲んだだろ?」
「飲んだな。だけど、わからない」
「おい!」
茜は自分の身体を抱いて口を開く。
「本当にわからないのだ。……なぜクズなお前がここまで清宮を必要とするのか、私ではなく彼女を選ぶのかが」
茜は自分の体にとても自信があったらしい。その自信を砕いて悪いなと誠は思った。
「責任なんて今更気にしなくて良いし、取ることはできない。担当者の死などジャパンキーにはよくあることだからな。これまでもこれからも人は必ず死んでいく。それにいちいち悲しんでいたら涙が枯れて本当に大切な人が死んだ時に流す涙がなくなってしまう。だから、ニートであるお前が気にしなくて良い。これが普通だ」
「……それでも取りたいんだよ。あの子が死ぬ世界は正しくないから」
誠の言葉を聞いた茜は目を見開く。そして、苦笑して言う。
「それをお前が言うのか」
「まあ、清宮さんがいるとデートの代金とか支払ってくれるから助かるし、目の保養にもなる。だから、俺に対して優しい世界を俺は守りたいんだよ。要するに全部俺のためだ」
誠はキメ顔でそう言った。いつも通り最低な発言に茜は安堵する。
「相変わらずクズだな、お前は」
茜の言葉にふっと笑う誠は頷く。
「まあな」
ニートは自分に優しくできる才能を持った生き物だ。
そんな心優しいニートが増えれば争いはなくせると誠は思う。
みんなニートなら戦争は起こらない。
茜は溜息を吐いてから言う。
「それなら教えてやる。今、清宮晴香は東京駅にいる」
「本当か⁈」
「本当だ。協力者からのメッセージが届いたからな」
「協力者?」
誠が首を傾げて聞くが茜はお前には関係ないことだと言わんばかりに首を横に振る。
「多分、お前を試しているのだろう。そして、お前が来ないとわかればすぐにでも死刑を実行するはずだ。だからチャンスは今しかない」
それがチャンスなのかはわからないが普段行動力のない誠が行動することだけは決まっていた。
「よし、駅だな」
死刑という物騒な言葉を聞き、誠は立ち上がる。玄関で靴を履き、幸運を願うように靴紐を硬く結ぶ。
居間から出てきた茜が誠の背中に声をかける。
「行っても無駄かもしれないぞ」
誠は振り返って茜を見る。そして苦笑して言う。
「仕事もしてないし用事もない。とても暇だから無駄でも支障はないさ」
「それもそうだな」
クスッと笑う茜に誠は片手を挙げる。
「行ってきます」
「留守は任せろ」
誠は笑って口を開く。
「よろしく頼む」
そう言って誠は走って駅に向かった。
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