第15話
八月下旬、この日は夕方から近くの公園で縁日をやっていた。子供の頃からやっている祭りでよく行っていた。公園には屋台が並び、花火も上がる。
「今日はお祭りなんですね。誠さんは行かないのですか?」
「ニートは毎日がお祭りみたいなものだからな。行く必要ないだろ、人が多いし金もないし」
屋台の食べ物は値段が高いし、くじ引きは当たりが少ないのだからやっても意味ない。射的は下手くそで金魚すくいをしても誠に育てる気はない。
「……そうですか」
しょんぼりする晴香を見て誠は首を傾げる。
「なに、清宮さんは祭り行きたいの?」
「そ、そんなこと言ってないではありませんか! ……ただ、少しだけ興味があるだけです」
「祭り、行ったことないのか?」
「……ありません」
それを聞いて誠は溜息を吐く。
「仕方ないな。近いから散歩がてら行くか」
「え?」
首を傾げる晴香に誠は言う。
「祭り、行きたいんだろ。行きたい時行かないと後悔するぞ」
学校生活や日常生活で常に後悔してきた誠が言うと説得力が違う。
晴香は目を丸くして言う。
「珍しく誠さんが言っていることの方が正しい気がします」
「だろ」
そう言ってから珍しくって酷くねと誠は思った。
「ただ私、浴衣を持っていないので私服ですけど良いですか?」
「良いんじゃないの。俺も私服で行くし」
お祭りは浴衣じゃないと入場できないわけではない。仮にお祭りの敷居が高いなら誠の性格上、人生で一度も行かなかったはずだ。
そんなことを誠が考えているとガラガラと玄関の引き戸が開けられる。
「ちょっと待った! お兄さん、嘘はいけないよ。本音は晴香の可愛い浴衣姿見たいでしょ。それで、興奮したいんでしょ!」
やかましく登場したのは晴香の友達である野村夏菜子だった。
「なんで玄関の鍵が開いてんだよ。物騒じゃないか」
誠が言うと茜が不機嫌そうに顔を出す。
「私が開けたんだ、文句あるか?」
「俺の許可なしに変人を家にあげるな」
「お前自身が働かない変人なのだから別に構わないだろ」
鼻を鳴らして言う茜に誠は溜息を吐く。
「ここは俺の家だから俺がいない方がおかしいんだよ」
「相変わらず仲良いね。ニートでハーレム状態継続中なんてお兄さん、明日でも死んじゃいそうなくらい運使ってるよ!」
夏菜子はニコニコ笑顔で物騒なことを言う。
「わざわざ他人の家まで来て不吉なことを言うな。大体何しに来たんだよ?」
うんざりしたように誠が聞くと夏菜子は手を叩いてから話し始める。
「そうそう、晴香にプレゼントを持ってきたんだよ! これ、晴香に似合うと思って。せっかく持ってきたからお祭り行くなら使ってよ」
そう言って夏菜子は晴香に浴衣を差し出した。その浴衣を晴香はキラキラとした目で眺める。
「……着ていいの?」
遠慮がちに晴香が聞くと夏菜子はニコニコ笑顔で頷いた。そして誠にもなんか言えと視線を送る。その視線に気づいた誠は首をポリポリとかいてから口を開く。
「まあ、無料でレンタルできるなんてありがたい話だから着てみたら良いんじゃないの」
店で浴衣をレンタルしたら高いはずだ。税金でレンタルする手もあるが税金をむやみやたらに使うのは良くない。無料で手に入るならそれに勝るものはない。
晴香は目尻を下げて言う。
「……それでは着させて頂きます。夏菜子、ありがとう」
「どういたしまして。お兄さんも私に感謝してねー」
「なんで俺が君に感謝しないといけないんだよ」
「学校で人気がある晴香の浴衣姿が拝める男は今のところお兄さんだけなんだから」
晴香は可愛い。そんなことは誠でもわかること。それならクラスの男子や学年の男子、学校中の男子が晴香を気になっていてもおかしくない。
「良かったですね、誠さん。自他共に認める女の子とお祭りに行けますよ」
頬を紅くして少し照れながら言う晴香に誠は苦笑する。照れるならそんなこと言わなければ良いのにと思った。
誠は浴衣に着替える晴香を玄関前で待つ。
なんで自分の家なのに外から出されるか誠は疑問に思ったが性別の壁というのはなかなか難しいもので平等を目指そうとする現代でも色々と配慮が必要らしい。
二十分ほどして玄関の引き戸がガラガラと開いた。誠がそちらに視線をやるとそこには青色の紫陽花が描かれた薄紫色の浴衣を着て下駄を履いた晴香が立っていた。
「お待たせしました。……誠さん?」
言葉を発さない誠を不審に思ったのか晴香は首を傾げる。晴香の浴衣姿に見惚れて反応が遅れた誠は慌てて口を開く。
「……あ、そんなに待ってないから大丈夫だ」
誠の言葉を聞いて晴香は微笑む。
「それなら良かったです。あの……」
上目遣いで晴香は誠を見るが彼は違う方向を向く。
「よし、行くか」
誠の気持ちは既に祭りに行っていた。
「……やはり感想は言ってくれないのですね」
小声で晴香が何か言っているのを誠は聞き逃す。
「なんか言ったか?」
誠が晴香の方を振り向いて聞くが彼女は首を横に振る。
「いいえ、何も言ってないですよ」
そう言ってから晴香は苦笑した。
「そうか、それなら良いんだが」
「さあ、行きましょうか」
*
綿飴やベビーカステラの甘い匂いが風によって流れてくる。金魚掬いやスーパーボール掬いを楽しむ子どもたちやカップルが仲良く談笑しながら歩いている。
「……結構、人が多いのですね」
人の多さに驚いたのか晴香がそんなことを言う。
「だから一人では行かないんだよ。カップルの視線が辛いし」
げんなりした様子で誠が言うと晴香はクスッと笑う。
「誠さんは他人の目など全く気にしないおかしな人なのかと思っていましたが人並みには気にするのですね」
「俺をなんだと思っているんだよ。他人の視線が人よりも気になるから引きこもりになるんだよ」
「そうだったのですか。でも、今日は安心してください。私が一緒にいますから」
自信満々の晴香に誠は苦笑して言う。
「それは心強いな」
「はい、任せてください」
大きくない胸を張って晴香は言った。
二人並んで歩いていると晴香が足を止める。誠は彼女の視線の先に目をやるとそこにはリンゴ飴の屋台があった。
飴でコーティングされたリンゴが並び、キラキラと輝いている。
「食べたいの?」
誠が聞くと晴香は頬をリンゴと同じ朱色にして頷く。
「可愛くて綺麗で食べたことがないので気になります」
リンゴ飴が気になる理由をすらすらと並べる晴香に誠は苦笑する。
「そうか、それなら……」
誠はポケットから財布を取り出す。
「初めての祭り記念だ。普段、奢ってもらってばかりだからな」
誠の財布を見て、晴香は目を丸くする。
「え、誠さん。お金持っているのですか?」
「舐めるなよ。ニートにはスポンサーがついているから土下座とそれなりの理由を話せば貰える」
誠には母親という強いバックがいるのだ。
誠は不敵な笑みを浮かべて言う。
「今日の俺に死角はない」
「要するにお小遣いというわけですね」
「……まあ、そうとも言うな」
まったくと呆れて溜息を吐く晴香から逃げるように離れて誠はリンゴ飴の列に並ぶ。
列が進み誠の順番がくる。大きいのと小さいのがあったので大きいリンゴ飴を一つ頼む。七百円したので誠は少し驚いた。それを持って晴香のいたところまで戻ると髪を茶色に染めたチャラそうな男二人組に晴香がからまれていた。
「君、可愛いね。俺たちと一緒に祭り楽しまない?」
「いえ、私は……」
そう断って戻ってきた誠に視線を向けて助けを求める晴香。
チャラ男二人組も誠の方に視線をやる。そして、ニヤリと笑う。
「お前が彼氏? 釣り合わないだろ。こんなのより俺らの方が満足させてあげられるよ」
イケメンと祭りを回った方が楽しいだろうなと誠は思ったので怒りの感情は湧かない。それに対して晴香は怒りを露わにする。
「この人を馬鹿にしないでください!」
「おぉ、怖い、怖い」
誠を嘲笑してから二人組は去っていく。その後ろ姿を見る晴香の目は涙目になっていた。
「清宮さん大丈夫?」
「私は平気です。それよりあの人たちが誠さんを馬鹿にしたことが許せなくて」
「清宮さんだって俺のこと馬鹿にするだろ」
「それとは別です。……同じことでも違うことです」
悔しがっている晴香を見て誠は苦笑してからリンゴ飴を渡す。
「庇ってくれたお礼だ。リンゴ飴は女の子が持っていた方が似合う」
「……ありがとうございます」
ペコリと頭を下げる晴香に誠は苦笑して言う。
「こちらこそありがとな、ちゃんと怒ってくれて」
誠がお礼を言うと晴香は首を横に振ってから微笑む。
「担当者として当然の仕事をしたまでです」
「その割には怖がっていたけどな」
「……それは、ああいう人は苦手なので」
そう言ってから晴香は浴衣の袖で目元を拭ってからリンゴ飴を舌で舐める。
「甘くて美味しいです」
「それなら良かった。七百円を出した甲斐があったわ」
「お金の問題ではありません。誠さんに買ってもらったから、とても美味しく感じます」
「そういうこと言うと勘違いする男がいるから気をつけろよ」
「大丈夫です。今のところ、貴方しか言う相手はいませんので」
だから、勘違いさせること言うなよと誠は思った。
屋台を一通り回って花火が上がる時間となる。空には花火用の真っ暗なキャンバスが出来上がっている。
広場でブルーシートを敷いてそこに座って花火を見る家族連れやカップルがいる。誠たちはそんなもの持ってきていないので立ち見しか選択肢がない。
「花火を見るなんて初めてです。だから少し緊張します」
「別に清宮さんが花火をあげるわけではないんだからリラックスして夜空を見上げていれば良いんだよ」
誠が適当なアドバイスを送ると晴香は頷いて素直に夜空を見上げる。
ヒューっと琥珀色の種が一直線に打ち上がり、ドン!と夜空にカラフルな花が咲く。それを見て晴香は目をキラキラとさせる。
「凄いですね。とても綺麗です」
炎色反応で大袈裟だなと誠は思いつつ、頷く。
「まあ、確かに綺麗だな。夏の風物詩と言われるだけはある」
「なんで上から目線なのですか。今の誠さんでは花火に価値が負けていますよ」
呆れた様子で晴香に言われ誠は苦笑する。異性と花火を拝める日が来るなんて思いもしなかったから何を言われても腹は立たない。
「花火に勝つにはどうすれば良いんだろうな?」
「誰かに美しいと思ってもらえることをすれば良いんですよ」
「わかりやすいけどそれ、とても難しいな。一生できる気がしない」
誠の正直な言葉に晴香はクスッと笑う。そして、真剣な顔で言う。
「誠さんならできますよ。私も手助けしますから」
「それは心強いな」
何発準備しているのかと思うくらい花火は次々に打ち上がる。
花火師も大変だなと誠は思った。
「……浴衣」
誠がぼそっと言う。花火の音にかき消されてしまうくらいの声量だったが晴香の耳には届いたようだ。
「浴衣がどうかしました?」
少しだけ晴香は期待してしまう。だけどそれを悟らせないように視線は花火に向け続ける。
「凄く似合ってる」
「……ありがとうございます。そう言ってもらえて嬉しいです」
花火は打ち上がり続け、時間が経てば煙を残して消えていく。やがて煙さえも消えて元通りの夜空が現れた。
真っ黒の夜空には満月だけが残っていた。
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