第14話
「誠さん、私とこれからデートしてください」
誠が自力で早起きできるようになった日の午前十時、誠は晴香にデートに誘われた。
デートを誘うにしては抑揚のないトーンで事務的に言われ誠は怪訝に思う。そして不機嫌そうに聞く。
「なんで俺なんだよ。君の彼氏でもないのに、他の奴誘えよ」
「誠さんじゃなきゃ駄目なんです」
言葉だけを聞けばトキメキかけるようなものだが誠はそうはならなかった。なぜなら晴香の目が死んだ魚のようだったからだ。
「何を企んでいる?」
誠が聞くと晴香は口を開く。
「これから誠さんにはデートの中で私をエスコートして頂きます。仕事をした時に女性との関わりも当然あるでしょうし、気遣いを学ぶという点でも合理的な選択でしょう。だから私で練習しておきましょう」
誠は納得しようとするがそこまでする必要があるのかと思ってしまう。
ただ晴香は真面目なので冗談を言うような子ではない。彼女は誠が働くために本気で提案しているのだ。
そして、晴香は小悪魔のように笑う。
「それに、これは誠さんが早起きできたご褒美でもあります」
「君とデートするのが、か」
誠が確認すると晴香はコクリと頷く。そして、首を傾げる。
「不服ですか?」
晴香は自分の容姿に自信を持てるくらいに可愛いのは事実なので誠は文句が言えない。
「いや」
自分とデートすることがご褒美と言えるところは感心してしまう。その自信を分けて欲しいと誠は思った。
「それなら準備をしますので少し待っていてください」
そう言って部屋を出ようとする晴香の華奢な背中に誠は声をかける。
「家から一緒に行くのか?」
「違うのですか?」
「いや、待ち合わせ的なことをするのかと」
「したいのですか?」
したいかと聞かれてしたいと言えば男のプライドが傷つく。だから誠は首を横に振る。
「別に」
「そうですか。では、一緒に行きましょう」
「あのさ」
「なんですか?」
「俺とデートするなんて良いのか?」
誠が聞くと晴香は溜息を吐く。
「勘違いしないでください。これも誠さんに働いて頂くためです。他に理由はありません」
「そうじゃなくて、清宮さんの気持ち的に嫌じゃないのかということだ」
いくら仕事でも嫌なことは絶対にある。金を貰うより嫌なことが絶対に。誠とデートするのはそうではないのかを彼は確認する。
「問題ありません」
即答する晴香に誠は苦笑しつつ、清宮晴香という女の子は自分とは違うのだと誠は改めて思った。
「お待たせしました」
特に準備などなかった誠が玄関で待っていると晴香がやってくる。いつもの制服姿ではなく白のワンピースに麦わら帽子という私服姿である。
その姿に見惚れていると晴香が残念そうに言う。
「感想は言ってくれないのですね」
「あ、いや。……似合ってるよ、とても」
ひまわり畑にいる美少女みたいだなと誠は思った。
「それなら良かったです。私以外にも女性の私服はできる限り褒めるようにしてください」
自分の私服が褒められたことに晴香は喜ぶ様子はなく誠にアドバイスをする。
誠に褒められても嬉しくないからかもしれないがそれなら他の女の私服を褒めても意味ないじゃないかと思ってしまう誠。
「それではどこへ行きましょうか、誠さん」
「え、どこって?」
「言ったはずですよ。今日のデートは誠さんが私をエスコートする、と。その為のデートなのですからちゃんとしてください」
「そんなこと言われてもな」
誠が行くところと言えば、ラーメン屋、本屋、カフェだから女子が好きそうなところはカフェくらいだ。ただそれだけでは一日を潰すことはできない。
デートなんて人生で一度もしたことがない誠にとってデートプランを考えるなど苦行でしかない。
少し考えてから誠は口を開く。
「よし、決めた。お家デートにしよう。家なら炎天下で歩き疲れないし、人混みでうんざりすることもない。家、最高だ」
「却下です。日頃から出かけている人ならそれでも良いですが引きこもり気味の誠さんではデートになりません。別案をお願いします」
「簡単に別案とか言うけどな考える身にもなってくれ」
「大して考えてはいなかったではないですか。他の場所でお願いします」
そう言われて誠は考え直してから答えを出す。
「家だな」
「ツッコミませんからね」
晴香は誠にうんざりしたような目を向けて言う。
すると、茜が玄関にやってきて口を開く。
「デートなんてベッドに行くまでの過程でしかないのだからそこのクズが言っている家のベッドが一番合理的な場所だぞ」
「そんなことしません!」
頬を赤く染めて晴香が茜に怒る。
「お前はそうでも童貞はすぐに女を狙うへなちょこ狼だ。そこのクズだって例外ではない。どうせすぐに個室に行こうとするぞ」
「そ、そんなことねえし!」
「狼狽えているではないか。清宮はせいぜい気をつけるんだな」
晴香に忠告して茜は居間に戻っていく。その背中を見ながら誠は呟く。
「あいつを家に一人にさせておくのが不安だから俺は家を提案したんだけどな」
「本当ですか?」
晴香は疑いの眼差しを誠に向ける。
「本当だよ! あいつの言うことを間に受けるなよ!」
「……それなら良いですが」
未だに怪しむ晴香に誠は溜息を吐いてからスマホを取り出しデートスポットを検索する。
ランキングの上位を眺めながら誠でも行きやすい場所を選ぶ。
「水族館とかはどうだ?」
「良いですね」
なぜ魚たちの家のような場所である水族館が許されて誠の家が駄目なのかは少し不満だったが言うと面倒なので言わないでおく。
晴香はヒールサンダルを履いて立ち上がる。
「それでは行きましょうか。茜さん、お留守番お願いしますね」
「任せろ」
茜は腕組みをして仁王立ちで言う。そんな堂々とした彼女を見て誠は溜息を吐く。
「……不安しかない」
そう誠が零して二人は家を出た。
電車で三十分のところに目的の水族館はある。
誠と晴香は電車に乗り込んで扉近くの座席に並んで座っている。
平日のお昼近い時間なので電車は比較的空いている。
「電車に乗ったのはいつぶりですか?」
晴香に問われ、誠は思い出す。あれは確か大学に退学手続きをしに行った時。書類などを提出したらサポートセンターのおばさんが哀れみの目を誠に向けてきた。「勿体ないわね」とまで言われた。
「一年ぶりかな」
「景色が見やすいように後ろを向いて座りますか?」
「子供扱いするな」
誠だって子供の時は後ろを向いて座り自分が乗っている電車と並走している電車との競争を楽しんでいた。でもそれは昔の話、今それをやったら頭のおかしい奴だ。
晴香は誠に微笑みながら言う。
「誠さんは自分が思っている以上に子供ですよ」
「生意気言うな、未成年」
「未成年でも働いていますよ。生意気なことくらい言う権利はあります」
「労働至上主義者め」
「世の中そういうものなんですよ、残念ながら」
そんなことを晴香は寂しそうな声音で言った。
電車に揺られて十五分、目的の駅に着いた。
誠たちが改札を抜けると駅は鞄を持った黒のスーツ姿の男女が多くいた。誠の隣にいた晴香がその様子を見て口を開く。
「多分、就活生ですね。夏は就活生にとって勝負ですからね」
誠もあのまま大学生をやっていたら、と言うより今から彼らのように動かなければいけない立場なのだが他人事のように彼らを眺める。
「大変そうだな」
「そうですね」
他人事のように誠が言うと晴香は呆れた様子で溜息を吐く。
「がんばれー」
誠がやる気のないエールを就活生に送ると晴香に背中を叩かれる。
「皆さん、誠さんより頑張っていますよ。頑張るのは誠さんの方ですよ」
「痛いな。俺は俺で頑張ってるだろ!」
「そうですね。早起きできましたもんね。えらいえらい」
「馬鹿にしてるだろ」
「嫌なら頑張って馬鹿にされないようにしてください」
「頑張るのは嫌だから馬鹿にされても気にしないようにするわ」
「誠さん」
晴香が呆れた様子で名を呼ぶ。誠は一瞬だが寒気がしたような気がする。
「なんだよ」
「やばいです」
「何がだよ!」
これ以上言わせるなと言わんばかりの目を晴香は誠に向けた。
「俺がヤバいなら君もヤバいはずだ」
「私はまともです」
落ち着いて言う晴香に誠は首を横に振る。
「いいや、俺と一緒にいる時点でまともではないだろ」
「仕事で一緒にいるだけですから」
その仕事で好きでもない男とデートしている今の状況が既にまともではないなと誠は思った。
チケットを買い、(チケット代は晴香持ち)改札みたいな機械で水族館に入場した二人は魚たちを見て回る。
「こうやって泳いでいるだけで注目されるなんて魚って楽で良いな。俺、今度生まれ変わるなら魚がいいな」
食べられないで済むなら最高だと誠は思った。
「魚に失礼ですよ、誠さん。貴方が魚だったら水槽の中で極力泳がないで裏で職員に餌だけ沢山もらっていそうです」
「その想像はいくらなんでも酷すぎないか?」
「誠さんが水族館にいる魚の労働を舐めるからいけないのですよ」
「まあ、人間の方が楽そうだよな。泳がなくて良いし、本も読めるから」
「誠さんは現に楽をしていますものね」
毒を吐き続ける晴香に舌打ちをしてから誠は歩き出す。
「エスコートしないとダメなんだろ。さっさと行くぞ」
「誠さんはエスコートの意味がわかっていないようですね」
苦笑して晴香は誠についていく。
「誠さんは女性を引っ張りたいとか思わないのですか?」
「思わないね。引っ叩きたくなる時はあるけど」
「誠さん、暴力はやめましょうね」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ」
「言葉の暴力も、ですよ」
だから、それもそのままお返しすると誠は思った。
「というか、そんなに女っていうのは男に引っ張られたいものなのか? 俺としては女に引っ張って、というより養って欲しいんだが」
誠が言うと晴香は俯いて話す。
「結局、女の子は男の子に引っ張ってほしい生き物なんですよ」
「ふーん、そんなものか」
興味なさげに言ってから誠の足が止まる。道路の中央でチンアナゴが展示されていた。
屈んでゆらゆらと揺れているチンアナゴを見始める。
「知ってるか、チンアナゴという名は犬の狆に顔が似ているからなんだ」
誠は自慢げにネットで得た雑学を晴香に披露する。
「物知りなんですね」
晴香は知っていたと言わんばかりに棒読みで言った。
チンアナゴを夢中に見る誠の横顔を見て晴香は言う。
「誠さん、そういう純粋な目もできるんですね。いつも死んだ魚の目をしているので意外でした」
「……心底楽しいと思った時はできてるんじゃないか、知らんけど」
恥ずかしそうに誠は言った。少し顔も赤くなっていた。
クスッと笑ってから晴香が口を開く。
「仕事も自分がやっていて楽しいと思えることを軸に考えてみれば良いんですよ。そうすれば理想の仕事に出会えます」
「労働が楽しいわけがないだろ」
「生きがい、とおっしゃる方もいるのですよ」
「仕事しか生きがいがないなんて可哀想な人だな」
「また貴方はそのようなことを言って。……まあ、幸せは人それぞれですから強くは言えませんが仕事を生きがいと言えるのは私にとっては羨ましいことです」
少し寂しげに晴香は零した。
誠はチンアナゴに夢中であまり話を聞いていないようだった。
それに晴香は苦笑して軽く誠の背中を叩く。
「なんだよ」
「別になんでもないですよ」
少しだけ、誠を夢中にさせるチンアナゴに嫉妬してしまうなんて愚かだと晴香は思った。
「清宮さんも見てみろよ。マジで面白いから」
晴香も誠の隣に屈んでチンアナゴの高さに目線を合わせる。
上下している動きは確かに面白いと晴香は思った。
「単体だと思わないのですが全体を見ると綺麗だなと思います」
「綺麗か? 面白いだろ」
「やはり私と誠さんは価値観が合いませんね」
「まさかチンアナゴまでとはな」
二人は遠慮がちに笑い合ってから次に移動した。
顔を寄せて二人は丸い窓からふわふわと浮かぶクラゲを見る。膨らんだクラゲはまるで風船みたいだなと誠は思った。クラゲはライトアップされていて紫色に染まっていた。
「クラゲは魚より良いな。浮かんでいるだけで美しいから。今度生まれ変わるなら魚よりクラゲだな」
「私はクラゲ少し苦手です。子供の頃、友達が海で刺されそうになっていましたから」
「怖いこと言うなよ」
「すみません」
本当に悪いと思ったようで晴香は申し訳なさそうに謝った。
そんな真剣に謝られると思わなかった誠はフォローするように言う。
「まあ俺、海行かないから良いけど」
晴香は口元を隠してクスッと笑う。
「相変わらず自分のことしか考えていませんね、誠さんは」
「みんなそんなもんだろ。自分が一番可愛い。そう素直に認めればみんな自己肯定感が上がって自殺も減る」
「ニートの誠さんが言うと説得力がありますね」
「だろ。俺がこういうことを言い続ければいずれは救世主になれるかもしれない」
晴香としては皮肉として言ったはずなのに誠には得意げな顔をされてしまった。
また誠はクラゲを見て言う。
「クラゲはクラゲでも生まれ変わるならベニクラゲが良いな。不老不死だから」
「でも、ベニクラゲは食べられたら死んでしまいますよ」
「マジかよ」
「誠さんはさっきから生まれ変わるならと仰ってますが人間は死んだら終わりですよ?」
そんなこともわからないのか馬鹿なのですか? という顔で晴香は言った。それを聞いて誠は眉間に皺を寄せて言う。
「そんなの死んだ人間しかわからないじゃないか。清宮さんは夢がないな」
「夢を見ることも大切かもしれませんが現実を見る方がもっと大切です」
「夢を見ないと生きている意味なんてないだろ」
「やっぱり合いませんね。私たち」
「無理に合わせる必要ないだろ」
「それもそうですね」
お互いに苦笑しながら頷いた。
水族館を出ると空はオレンジ色に染まっていた。水族館内にいた身としては間隔の短いタイムスリップをしたようだと誠は思った。そして、晴香が今日のデートの総評を始める。
「短い時間でしたが今日は楽しかったです」
「本当に楽しかったなら棒読みはやめてくれ。それに嘘を吐かれるのは嫌いだから楽しくなかったのならそう言ってくれ。二度と行かないから」
「楽しくない訳ではなかったですよ。まあ、引っ張っては頂けませんでしたが」
不満げに言う晴香に誠は鼻を鳴らす。
「捻くれた発言も多かったので直すようにしましょうね」
「捻くれた性格は一度矯正してもまた捻くれる。美容室で癖毛を縮毛矯正しても戻ってしまうみたいにな」
「誠さんのそういう知識だけは立派ですよね」
「勉強家なんだよ」
ニヤリと笑って誠は言った。
「それなら女心も少しは勉強してみてください。きっと誠さんの役に立つと思いますから」
「なるほど、ヒモを目指せってことなら勉強してみる価値はありそうだな」
「違います」
すぐに否定してから晴香は溜息を吐く。
「私以外の女の子とデートする日はまだまだ遠そうですね」
「別にデートなんて疲れるだけだから頑張ってまではしたくないな。金もかかるし。そういう点から考えると清宮さんとのデートは良いな」
「え?」
不意に言われて瞬きをする晴香に誠は笑顔で言う。
「だってデート代は経費で落としてくれるし、俺が変なこと言ってもなんとか丸くしてくれるだろ。多分、他の女子といるより楽で良い。そこそこ、楽しかったしな」
女子と遊んだことなど一度もないけど誠はそう思った。
なぜか晴香の顔が赤くなっていたが誠はスルーした。
「今度は引っ張ってくれるイケメンの彼氏と来なよ、水族館」
「私に彼氏なんていませんよ」
「清宮さんなら彼氏くらいすぐに作れるだろ。コンビニでポイントカード作るレベルで」
誠の言葉を聞いて晴香はクスッと笑う。
「本当、最低ですね。誠さんは」
「まあな」
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