第12話

 泳ぎに夢中になっていたらスカイブルーだった空はオレンジ色に染まっていた。

 誠は椅子に座ってプールを眺めている。水面がキラキラと輝いて夕陽が映っている。

 きっと明日は全身筋肉痛なんだろうなと思いつつ心地良い疲労感に顔が綻ぶ。

 茜は何度も笛を吹いて何本も泳がせようとしてくるし、晴香は終始周りの女性客を見て落ち込んでいたし、夏菜子はずっと五月蝿かった。

 そんな青春感に満ち溢れた一日が終わる。

 帰りも自転車ということ以外は充実していたと言って良いだろう。

「黄昏れていますね。疲れました?」

 隣に腰をかけて晴香が微笑んで聞いてくる。

「あんだけ泳げばな。でも、不思議と気分は悪くない」

「そうですか。それなら良かったです」

 彼女は正面にあるプールに視線をやって言う。表情は窺えないが誠と同じく今日のことでも振り返っているのだろう。

「清宮さんは楽しめたか?」

「え、私ですか」

 そんなことを聞かれるとは思わなかったのだろう。驚いた晴香は目をパチクリとさせる。そんな晴香を見て誠は苦笑して言う。

「清宮さんは君以外いないだろ」

 仕事だから心底楽しむなどできないのかもしれない。それでも誠は彼女には少しくらい楽しんで欲しかった。なんでそんなことを思うのかはわからないが。

 少し時間をかけてから誠の顔を見て晴香は言う。

「ええ、楽しかったです。……茜さんはやはり凄いですね。誠さんを楽しませて」

 晴香の顔を影が少し覆う。誠はそんな彼女から目を逸らし再びプールを見る。

「ただ俺に有酸素運動をさせたかっただけだろ。本当に迷惑な奴だ」

 晴香は苦笑しながら言う。

「そうかもしれません。だけど、私にはできないことです」

「あのな、アイツのやり方は強引で滅茶苦茶だ。今日だって水をかけて起こしてきやがったし、いつ殺されるかわかったもんじゃない」

 朝のことを思い出して誠は溜息を吐く。

「清宮さん、あの怪物をどうにかしてくれ」

 誠が頼むが彼女はそれを無視して言う。

「茜さんに言われました。社会では結果を出さないといけないと。確かにそうだと思いました。頑張りましただけでは社会は評価してくれません。茜さんは滅茶苦茶ですが結果を出しています。それを私は見習わないといけません。……例え、自分のやり方を曲げても」

 悲しそうな顔の晴香を見て誠は聞く。

「それは、自分が正しいと思っていてもか?」

 晴香はコクリと頷く。

「仕方がないですがそうしなければいけない時もあります。誠さんは知らないかもしれませんが社会とはそういう場所なんですよ」

 社会は南の島みたいに温かくなんかなくて、冷凍庫のように冷え切った場所。

 晴香はそんな風に社会を捉えている。

「まあ、その方が賢いのかもな。ここに自分を正しいと思い込んでいるニートがいるくらいだからな」

 自虐的に誠は言うが晴香は笑わない。

 誠は溜息を吐いてから言う。

「社会に出ていない俺が言うのも烏滸がましいけど正しいと思うなら正しいと思えるうちはそれを選んでも良いと俺は思うよ」

 社会のレールから外れた誠は他人から見れば正しくないのだろう。だけど他人が思い描く正しいに当てはまろうとする生き方は不器用な誠にはできなかった。

 いざ全てを手放して残ったものは虚無感と少しばかりの後悔だった。

 でも、今は晴香たちがいるのでそれが薄れている。きっとなくなることはないが彼女たちと関わり続ければ他のものに塗り替えることくらいはできるのではないかとそんな淡い期待を誠はしてしまっている。

 晴香は無言で首を横に振る。そして、少し間をあけてから口を開く。

「……私は誠さんのようには生きられません」

 申し訳なさそうに晴香が言うので誠は励ますように言う。

「大正解だよ、それで」

 そして、誠はクシャッと笑った。


 疲れた足で自転車を必死に漕いで外で飯を食べたので家に帰ってきたのは夜の九時だった。

 風呂に入って、歯磨きをして自室に行くと睡魔が誠を襲う。

 瞼が重い。今までそんなことはなかったのに昼から太陽を浴びて泳ぎまくったからだろう。

 このまま起きていてもやることは特にない。今まで夜更かしをしていたのはベッドに入っても眠れなかったからだ。

 きっと明日も辛い何かが待っている。それなら早く寝て少しでも体力を回復させた方が良いに決まっている。

 そんな、最近では思わなかったことが頭に浮かんだ。

 だから、誠は呟く。

「寝よ」

 そして、ベッドに体を預けてそのまま誠は眠りについた。


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