第10話

 午前九時、居間で三人が座っている。誠と茜は胡座、晴香は正座をしている。こうしていると平和そのもので長閑なシーンだろうが実際はそうではなかった。

「ここに電話をかけろ」

 そう言って、茜は電話番号が書かれたメモ用紙を誠に見せる。

 いきなりのことだったので訳がわからない誠だったが流石に詐欺に陥れはしないだろうと思い、一先ず言う通りに電話を掛けてみることにする。

 呼び出し音が鳴り、何コール目かで繋がる。

『お電話ありがとうございます。スーパーあけぼの、採用担当の飯田です』

「は?」

 思わず電話を掛けた誠の方が唖然としてしまう。

『もしもし』

「間違えました。すみません」

 そう言ってすぐに誠は電話を切った。そしてすぐに彼は茜を睨む。

「おい、どういうことだ。なぜかスーパーの採用担当に繋がったのだが」

「当たり前だ。その電話番号にお前が掛けたのだから」

 茜は何を当然のことに驚いているのだと嘲笑してあっさりと言う。

「ふざけるな」

「ふざけているのはどちらだ? なぜ電話を切った。その店は人手不足で未経験でも歓迎だった。あとは履歴書を書いて面接を受ければ採用だった。そうなればお前はニートから卒業ができたのだ。そのチャンスをお前は自ら棒に振った。愚か者、恥を知れ。だからお前はクズなのだ」

 腕組みをしている茜は淀みなく誠を傷つけるためだけの言葉を吐き続ける。茜が手にしているのは愛の鞭なんかではないただの鞭だ。

「店の情報や仕事内容を誠さんに開示しないでいきなり電話を掛けさせるのは酷いです。心の準備だってありますし、そのようなやり方は」

 晴香が口を挟むと茜はギロリと彼女を睨む。

「間違っていると? では、清宮。お前が二週間掛けてもできなかったことを私は二時間で可能にした。そんな私の手腕が間違っていると。お前はそう言うのか?」

 首を傾げて挑発的に言う茜に晴香は対抗する。

「結果論です。効率を重視し過ぎて過程が滅茶苦茶です。それでは誠さんが仮に就職できても悔いが残ります」

「何を甘いことを言っているのだ。世の中、全て結果論だ。結果を残せない奴は消えていく。それが世界の常識だ。悔い? そんなもの皆が持っている。それでも皆、歯を食いしばって働いて日々を懸命に生きている。なぜ対象者だけがそれを放棄できるというのだ」

「なんか知らないけど俺のことで争わせてごめんね」

 空気の読めない誠が手を合わせて舌を出しふざけた謝罪をしてくる。

 茜と晴香の二人はゲンコツを誠に喰らわせる。彼は畳を転がり回る。

「痛い!」

「ふざけるのは生き方だけにしとけよ。次、舐めた真似したら宇宙の塵にしてやる」

「誠さんには空気を読むトレーニングもさせた方が良いですね」

「お前ら実は仲良しだろ!」

 大人しくなった誠は放っておき二人の争いは続く。

「とりあえず私のターンは終わらせておく。次は清宮、お前の番だ。私のやり方を否定したいならそれ相応の結果を見せてくれ」

 茜が求めるのは常に結果だ。過程などどうでも良いと言い切るほどだ。それに対して晴香は過程に重きを置いている。それは晴香が茜より年下だからだろうか。いや、違う。その理論が通るなら二人に怒られて隣で大人しく座っている一番の年長者は働いていないとおかしい。常に逃げていると人は成長しなくなるようだ。

「誠さん、誠さんが働きたくない理由を詳しく教えてください」

「今更ヒアリングか。温いな」

 茜の言葉を無視して誠に視線を向ける晴香。

 これで誠から働きたくない理由を聞き出すことができればそれを解消していくだけで彼は自発的に働こうとすると晴香は考えた。

「え、働きたくないことに理由なんてない」

 期待を裏切るのが松本誠という男なのはわかっていた晴香も溜息を吐くしかない。

「理由がないのですか。人間関係が嫌だとか。給料が見合ってないとか。能力がなくてプライドが高くて性格が悪くて口が悪いとか」

「おい、最後のはただの悪口オンパレードじゃねえか。ストレス溜まり過ぎだろ。岩盤浴行け。アロマでリラックスしてこい」

「そんな暇はありません!」

「そんな奴に過程を期待するなんて甘さを通り越して馬鹿がやることだぞ」

 鼻を鳴らす茜。厳しい先輩の言葉の刃が晴香を傷つける。

「あのな、馬鹿じゃなかったら俺みたいなニートに関わらないだろ。そう考えると上川畑、アンタも馬鹿ってことだな」

 茜に対して挑発するように誠は半笑いで言う。

「調子に乗るな、クズニート。私は清宮とは違う。すぐに結果を出す。私が来たからにはお前が働くのは時間の問題だ」

「まあ、頑張って」

「頑張るのはお前だ。そのふざけた性格もすぐに矯正してやる」

「アンタも女の子ならもう少し柔らかくなった方が良いよ。いや、一部分はとても柔らかそうなんだけどさ」

 誠がさりげないセクハラ発言をした次の瞬間、茜の右拳が誠の腹を減り込む。そのまま誠は廊下まで吹っ飛ばされる。

「茜さん、暴力はダメですよ!」

 吹っ飛ばされた誠は頭をさすりながら立ち上がり居間に戻る。

「えげつないパワーだな。ニート卒業させる奴が人間卒業しちゃってるよ。ボクサーにでもなったほうが良いんじゃないの? 天職でしょ。清宮さんはこんなパワーないよね?」

 恐る恐る尋ねる誠に冷たい笑みを見せる晴香。

「さあ、どうでしょう。試してみますか?」

 なぜか嬉しそうに晴香は微笑を湛えて拳を握る。

「やめとく。拳よりもっと鋭いものとかで刺してきそうだから」

「私、殺人はしませんよ」

「信用できないな」

 ニートは人ではないですよ、と普通に笑いながら言って襲ってきそうだった。

 茜は彼らを見てジト目で言う。

「お前ら、いつもそんな楽しそうに一緒にいるのか?」

「全然楽しくないから。命の危険まで感じる時あるから! 勘違いしないでよね!」

 ツンデレキャラのように誠が言うと晴香は溜息を吐く。

「気持ち悪いですよ、誠さん。それに茜さん、誠さんには対人コミュニケーションの経験が、特に異性とのコミュニケーション経験が欠けているので私が練習相手になってあげているだけです。決して楽しいからという感情で行なっている訳ではありません」

「なんとなく、お前らがどう二週間過ごしてきたかわかったような気がするよ。……本当に反吐が出る」

 暗い顔の茜に誠が言う。

「人の幸せを喜べないなんて可哀想な人間だな。そんなので生きていて楽しいか?」

「クズ如きが私を憐れむなんて大した度胸だな。十分、楽しいぞ。こんな人生でもお前みたいなクズを潰せると思えばな」

「こんな人生?」

 誠が首を傾げると茜は首を横にふる。

「気にするな」

「お前の存在自体が気に障るから早く出ていけ」

「誠さん、そんなこと言ったら本当に殺されてしまいますよ」

 心配そうに声を掛けてくる晴香を手で制して誠は言う。

「やれるもんなら、やってみろ。俺は働かない。人が増えようが関係ない。これは俺が決めた人生だ」

 茜は誠の脚を見て鼻を鳴らす。

「カッコつけているつもりかもしれないが足が震えているぞ」

 指摘されて誠が自分の脚を見ると確かに震えていた。

 先ほど、身をもって茜のパワーを知ったからか、誠の身体が茜に怯えているようだ。そんな誠を見て茜はふっと笑う。

「身体は正直で良い。幾ら頭で考えていても本能には勝てない。そこを刺激してやれば効率が良く相手を意のままにできる。清宮、覚えておけ」

 後輩の晴香に指導をする茜に誠は言う。

「俺を実験台にするのやめてね。元々、人間嫌いなのにこうやって身体から拒絶反応出てるし、トラウマでもう働けないわ。心療内科行って障害年金か、生活保護とるわ」

「安心しろ。私が上手くやればすぐに働きたくなるさ」

 茜は大きな胸を張って自信満々に言った。

「……絶対、上手くやれないだろ」

 こうして、誠をニートから卒業させようとする者が増えた。


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