2章 ニートは変わらない。

第9話

 八月中旬になったが誠の生活は晴香が来る前とさほど変わらない。晴香も頑張ってはいるが誠に働く気配はなく苦戦を続けている。

 午前七時半、誠を今日も起こせずに文句を言いながら階段を降りる晴香。

「まったく、誠さんの睡眠への欲には参ってしまいます」

 インターホンが鳴る。こんな早い時間に誰だろうかと晴香は首を傾げる。

 誠の両親は既に会社に行っており、誠は眠っている。この家の者ではないが出られるのは晴香だけなので出ることにする。

 晴香が引き戸を開けるとそこには見知った顔があった。

 赤髪のショートカット。女子にしては高い背丈。端正な顔立ち。そして羨ましいと思ってしまう豊満な胸。晴香が彼女に会うのは春以来だ。

「久しぶりだな、清宮。春の研修以来だな」

「……お久しぶりです、あかねさん」

 上川畑かみかわばた茜。高校二年生で晴香の先輩である。けれど、同じ高校に通っている訳ではない。彼女はJK(ジャパンキー)の先輩である。だから彼女は晴香の任務についてもよく理解している。

 茜が言う研修と言うのはニートを指導するためのものだ。どのような関わり方をしたらニートを短い期間で働かせられるかを学ぶ。

 なぜ茜がここに来たのか、晴香はわからなかった。そんな彼女の疑問に答えるように茜は口を開く。

「今回の対象者に苦戦しているようだな」

 その一言で晴香は理解する。どうやら私の停滞ぶりが本部にも伝わってしまったようだと。誤魔化し誤魔化し誠の現状を報告書にまとめていたが、ダメだとわかればすぐ先輩を派遣するのだから流石だと思う。

「お前は優しすぎるからな。ニートなんて社会のクズ、多少強引な手を使っても職に就かせてそのまま労働の辛さを体に叩き込んで慣れさせれば良いだけなのにお前はそれをしない。相変わらず、非合理的だ」

 茜はなんでもないことのように言った。

 彼女のやり方を晴香は嫌っていた。別に茜のことを嫌っている訳ではない。ただ彼女の対象者のことを考えないやり方は効率的だが肯定できなかった。

「それで対象者は?」

 晴香は俯き少し言いづらそうに答える。

「……二階の自室で眠っています」

 それを聞いた茜は顎に手を当て言う。

「ふむ。私が読んだ報告書には朝七時に起きてランニングに行き、朝食をバランスよく食べているとあったがあれは嘘か?」

「嘘ではないです!」

「ではなぜ対象者は七時を過ぎても眠ったままなのだ?」

 茜は淡々と確実に晴香を追い詰める。

 彼女を言いくるめるなど晴香にはできやしない。だから誠のことを正直に話すことにする。

「一度だけ、ちゃんと報告書通りに活動したことがありました。それからは……」

 言葉を濁す晴香を見て何かを察した茜は口を挟む。

「なるほど。要するに相当なクズという訳だな。それなら、……始末するか」

 冗談ではなさそうに言うのでとても怖い。

「清宮が手を焼いているということはこのまま時間をかけていても埒が明かなそうだ。それなら私のやり方で死ぬまで働いて貰う方が効率的だ。そうは思わないか?」

「死ぬまでって、私たちの役目は幸せになるための労働を対象者に行って頂けるようサポートすることですよ!」

 晴香が叫ぶと茜は嫌悪感を表すように目を細める。

「社会に出られないままが幸せだと、お前は本気でそう思うのか?」

 茜の瞳が赤く光ったような気がした。眼光鋭く晴香を射抜く。

 その問いに晴香は答えられなかった。

「まあ良い、とりあえず中に入れて貰おうか。話はそれからだ」


 茜を家にあげ、麦茶を出す晴香。

「それで茜さんは何を命じられてここに?」

 晴香や茜は本部の指示がないと動けない。彼女が目の前にいるということは本部から何かしらの指示があったということだ。

「まずは対象者の実態の確認と清宮のサポートと言われている」

 晴香は茜の言葉に引っかかった。その疑問を口にする。

「まずは、ですか」

 茜はコクリと頷き緑茶を飲む。

「美味しいな。対象者にも淹れているのか?」

「いえ、誠さんはお茶よりもコーヒーの方が好きですから」

 晴香がそう言うと茜は苦笑する。

「対象者の好きなものなど私は把握したことがないな。……把握しなくても業務は遂行できるからな」

 悠長に誠を担当している晴香に皮肉めいたことを言う茜。

「今までお前がしてきたことを否定することはしない。だが、これからはそうはいかない。必要ならば私のやり方を選択して貰う。それが嫌ならお前のやり方で一日も早く対象者を変えてみせろ」

 数多のニートを卒業させてきたことはある。

 晴香は彼女の迫力に気圧される。

「わかりました」

 返事をすると茜は飲み終わった湯呑みを台所に持っていく。

「ご馳走様。それでは対象者を起こしに行こうか」

 これから誠さんを起こしに行くのは赤鬼ですよと晴香は思った。

 階段を上り、晴香は茜を誠の部屋まで案内する。誠の部屋の前に着くと茜がふっと笑う。

「ここか。邪魔するぞ」

 そう言って茜はノックもせず誠の部屋に入る。

 未だベッドの上で眠っている誠は幸せそうな寝息をたてている。

 そんな彼に茜は近づき、隠し持っていたペットボトルの水を誠の顔にかけた。

「ぅ」

 苦しそうな声を漏らす誠に茜は声を掛ける。

「起きろ、クズニート。今起きればお湯は勘弁してやるぞ」

 聞こえたのか、苦しかったのかすぐに誠は体を起こす。

「何すんだよ、清宮さん!」

 誠の視線はすぐ目の前にあった大きな胸に集中する。

「残念だが清宮ではない。私は上川畑茜だ。今日からよろしくな、対象者」

「誰だアンタ。と言うか、初対面でいきなりとんでもないことしやがって、何が狙いだ?」

「私はお前のような社会のクズ、ニートを始末しに来たのだ。覚悟しろよ」

「意味わからねえ。清宮さん、この頭おかしい人と知り合いか?」

「茜さんは私の先輩です」

 そう答える晴香に誠は溜息を吐く。

「よりにもよって先輩かよ。後輩の方がまともだった訳か」

「その通りだ。私ならお前如きに時間など掛けない。その点では清宮に感謝するんだな」

「感謝だと、こんな頭のおかしい奴連れて来られて感謝なんてできるか!」

 本当は晴香が茜を連れてきた訳ではないが晴香がこの家に来たから茜が来てしまった事実は間違っていないので晴香は文句を言えない。

「では、感謝できるよう私が叩き直してやるからさっさと顔を洗ってこい」

「なんでアンタの命令を聞かないといけないんだよ。俺は清宮さんの命令しか聞かない」

 茜は溜息を吐く。

「あれだけ清宮に迷惑を掛けておいて困った時には頼るなんて清々しい程にクズだな、お前は。よく聞け、ニートよ。私の命令は絶対だ。今月中にはお前を立派な忠犬に生まれ変わらせてやるから覚悟しとけ」

 ちらと誠は晴香を見るが彼女は首を横に振っている。従えと、そう彼女の顔は言っていた。

 誠は仕方がないと溜息を吐いてから部屋を出ていく。それを確認してから、茜が口を開く。

「なぁ、清宮。一つ、暇つぶし程度の勝負をしないか?」

「勝負、ですか?」

「ああ。どちらが対象者を成長させることができるか。あいつに働きたいと、働かせてくれと思わせられるのはどちらかという勝負だ」

 ニヤリと笑い提案する茜に晴香は声を荒げる。

「誠さんはおもちゃではありませんよ!」

「同じようなものだろ。私たちには自由などないのだから少しくらい遊ばせて貰ってもバチは当たらないだろ。……これからも生まれた瞬間から人生が決まるなんていう不公平なゲームを死ぬまでやらされるのだからな」

 茜は歯を食いしばって悔しそうに呟いた。

「私たちの過去と誠さんは関係ありません。でも貴方が望むなら、誠さんの為になるのならその勝負受けて立ちます」

「ああ、あいつの為になるさ。まあ、お前が勝負に乗った時点で私の勝ちは決まっているが」

 大きな目をさらに開き、自信満々に茜は言う。

「負けるつもりはありません。もし私が勝ったら茜さんには本部に戻って貰います。きちんと私のサポートなど必要ないと示しますので」

 晴香が言うと茜は悪魔のように笑って口を開く。

「良いねえ。それなら私が勝ったら、……あいつの担当官を降りろ」

 茜の言葉を聞いた晴香は目を見開く。そんな彼女を見て茜は嘲笑する。

「動揺しすぎだろ。普通に考えて合理的だと思わないか?」

「……それはそうですけど」

「それなら決まりだ」

 また茜はニヤリと笑いゴングを鳴らすかのように手を叩く。

「ここから勝負開始だ」

 合理を求める茜は手強い。それは対象者を人として見ていないからできることだ。彼女には躊躇することがない。それができるのが彼女の強みで弱みでもある。そこに勝機はあると晴香は考えた。

「顔洗ってやったぞ!」

 階下から誠の間抜けな声が聞こえてくる。

「顔を洗っただけで偉そうにするな、クズニート!」

 それに負けじと二階から大声で言う茜。そのことについては同感だなと晴香は思った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る