第8話
晴香が誠の家に住み始めて一週間が経った。
晴香のおかげで誠は心変わりして朝は早起きし朝食を欠かさずに己に負けずランニングを……するはずがなかった。
松本誠という男は如何なる状況になっても変わらない。
「誠さん、朝ですよ」
誠は早起きするのではなく晴香に起こされても熟睡を続けることが得意になった。
今の誠には大音量にかかるスマホのアラームも敵わない。睡眠中の誠に死角はないのだ。
「ここまで変わらないなんて思いませんでした」
晴香は頭痛がしたかのようにこめかみに手をやって言う。
決して彼女の能力が劣っている訳ではない。誠の働きたくないという意志が強すぎるのだ。それくらいの意志があれば何かしらの仕事はできるのではないかと思ってしまうがそうならないのが誠だ。
けれど、そんな誠を晴香は諦めない。彼女には仕事があり、諦められない理由があるからだ。
昼が過ぎて長い眠りから誠は目覚める。
眠い目を擦りながら階段を降りて台所まで行くと晴香がいた。洗い物をしていた。
「やっと起きましたか。もうお昼なら食べてしまいましたよ」
「そうみたいだな。で、俺の分は?」
誠の態度を見て溜息を吐く晴香。
「早起きできない人にご飯はありません!」
働かざる者食うべからずという訳か。ついに誠は食事すらも許されなくなった。
働かざる者食うべからず。このような言葉を残したフィリップ・ド・コミーヌを誠は許さないと思った。
「朝飯食べろって言ったのは君なのに。そんなに早起きが大事かよ」
「早起きは三文の徳という言葉がありますよね。早起きはことわざになるくらい大切なのです」
「知ってたか? 三文って今の価値だと全く価値がないんだぞ」
晴香は捻くれ者の誠が何かしら返してくることはわかっていたがここまでとは思わなかった。どうしてこんなモンスターが生まれてしまったのか、晴香は疑問だった。誠の両親は懸命に働いている。その血筋を持っているのだから誠にだって労働は可能のはずだ。それなのになぜ?
「おい、そんな哀れんだ目で俺を見るな。なんか俺が可哀想な奴になるだろうが」
「とっくに可哀想な人になっているのに気づいていないのですか?」
「そうだな、今の俺は可哀想だ。訳のわからない女子高生が家に住み着いて無理矢理、朝起こしに来るんだからな」
「国公認のお仕事をしているだけです。親御さんにもこの家に住むことを了承して頂きましたので何も問題はないかと」
「だから、俺の許可は取ってないじゃないか!」
「必要ない、と前にも言ったはずです。それにこの家の所有者は誠さんではなく、誠さんのご両親なのですから」
真っ直ぐに誠を見て晴香はハッキリと言った。
誠は溜息を吐いてから冷蔵庫から2リットルの水を取り、紙コップに注ぐ。それを飲んでから口を開く。
「作ってくれないなら自分で作るしかないか」
「誠さん、料理できたのですか?」
信じられないと言った様子で晴香は目を丸くして聞く。
「馬鹿にするな。料理くらい俺でもできる。まあ、作れるのはナポリタンくらいだけど」
料理なんてものはナポリタンさえ作れれば良いと誠は思っている。
「食べてみたいです。誠さんのナポリタン」
晴香はサファイアのような瞳をキラキラと輝かせる。
以前、パスタが好きだと言っていたので誠が作るナポリタンに興味津々のようだ。
誠は晴香を嘲笑する。
「君はお昼を食べたのだろう。作るのは俺の分だけだ」
大人気ない誠はそう言ってキッチンへと向かう。
「一人分も二人分も大して変わらないではないですか」
「変わるわ! それに今は痩せているから良いが食べ過ぎると太るぞ」
もう少し胸の方に栄養が行くのなら食べた方が良いなと誠は思った。
「私は我慢しますが私以外の女性にそのようなことは絶対に言わないでくださいね」
「安心しろ。女の知り合いなんて君と野村さん以外いないから」
「それはそれで可哀想ではありますが」
鼻を鳴らし誠は冷蔵庫から具材を取り出す。玉ネギ、ピーマン、ベーコン、ニンニク。そして棚からパスタを取る。
手を洗ってから、まずはニンニクの皮を剥いてからスライスする。すぐに手がニンニク臭くなる。この匂いがなかなか取れないことを誠は知っている。
ベーコン、玉ネギ、ピーマンも切っていく。特にポイントはない。
パスタ用の鍋に水を入れて沸騰させる。お湯が沸騰したら塩を少し入れてパスタを茹でていく。五分くらいで茹で終わるだろう。
オリーブオイルを敷いたフライパンに火をかけスライスしたニンニクを入れる。
ニンニクの香りが立ったら切った玉ネギを柔らかくなるまで炒める。玉ネギが良い感じになってきたらベーコンも投入する。
ここからが誠流のポイント。パスタの茹で汁をフライパンに加えて煮ていく。ピーマンも入れてさらに煮ていく。水分が飛んだらケチャップをかけまくる。
出来上がったマグマのようなフライパンに茹でたパスタをぶち込む。それを和えて完成!
「できたぞ」
皿にナポリタンを盛り付ける。店のように綺麗な仕上がりではないが味には自信があるのでそれを晴香に渡す。
晴香は目をパチクリとさせる。
「私の分、作ってくれたのですか?」
「作らないとうるさいだろ。それに色々と奢ってもらっているお礼も兼ねてだ」
照れくさそうに誠が目を合わせないで言うと晴香はクスッと笑って皿を受け取る。
「頂きますね」
「ん」
晴香は居間ではなく台所にあるテーブルの椅子に座る。
ナポリタンの麺をフォークで上手にくるくると巻いてから口に運ぶ。
「とても美味しいです。誠さんは料理人が向いていますかね」
「ナポリタンしか作れない料理人なんていらないだろ」
「でも、本当にそれくらい美味しいですよ」
笑顔でナポリタンを食べて褒めてくれる晴香。
まさか女の子に料理を振る舞うなんて思いもしなかった。
「……それは良かった」
自分が作ったものを他人に喜んで食べて貰える。そして「美味しい」というたったそれだけの言葉を貰って自分も嬉しくなる。そんな感覚を誠は初めて知った。
「俺も食べるか」
そう言って誠は晴香の隣の席に座って自分で作ったナポリタンを食べた。
相変わらず、自分の作るナポリタンは美味いなと誠は思った。
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