第6話

 翌日の朝、昨日のように晴香は誠を起こしにきたがベッドには誠の姿はなかった。

 急いで晴香は階段を降りて居間にいる誠の母親に話を聞くことにする。

「誠なら六時くらいに起きてランニングに行ったけど」

「え、ランニング」

「一日であの子を変えられるなんて晴香ちゃん凄いわね」

 あの誠が一日で改心するなんてありえない。事実は誠が朝の六時に起きて家を出て行ったことだけ。あれだけ早起きを嫌がっていた誠が朝六時に起きたのだからそれなりの事情があるに違いない。

「私、探してきます。お仕事頑張ってきてください!」

「いってらっしゃい」

 誠の母親に見送られた晴香は玄関で茶色のローファーを履き外に出て誠の行きそうな場所に当たりをつける。

 短い付き合いなのでわからないが今日の彼がランニングを真面目にやっているとは思えなかった。そして朝早くでも時間を潰せそうなところだとすると少しは絞れてくる。

 誠の家の近くには公園と朝からやっているファストフード店がある。誠が公園でのんびりしている光景が晴香には思い浮かばなかった。まだファスト店でコーヒーを楽しんでいる可能性の方が高い。

 晴香はファストフード店に向かうことを決めて歩き出す。犬を散歩させている人にすれ違い犬に吠えられてしまう。朝の静かな街に子犬の甲高い鳴き声が響き渡る。

 誠の家近くのファストフード店に到着する。外から見える店内には人がいた。あれが誠なら苦労はしないで済む。

 晴香は祈るようにベルの鳴るドアを開けた。



 誠は家から少し離れた河川敷の野原に寝転がっていた。さっきからキャンキャンうるさい犬を散歩させた人間が何度か通っていて寝づらいがあのまま家で寝ていても晴香によって七時には強制的に起こされてしまうのでそれよりはマシだし、傾斜のある野原で寝て少し背中がチクチクすることもあるが慣れれば平気だ。

今頃、晴香が慌てていることを想像すると誠は笑みが溢れそうになる。

「お兄さん、何やってるの?」

 頭上から声が降ってくる。

 目を開けると誠の顔を覗き込むように見下ろしていた黒のパーカー姿で金髪の少女と目が合う。

「俺になんか用か?」

 誠は俺の睡眠を邪魔するなよと思いながら聞いてみる、

「そうそう。友達がなんか困ってるみたいでさ。探し物? あ、探し人か。なんか画像送られてきて『このニートがいたら教えて!』ってきたからさ」

 金髪の少女はスマホを誠に見せてくる。そこにはしっかりと誠の写真が載っていた。

「個人情報の保護はどうなってんだよ。こんなギャルに俺の写真なんて送りやがって。帰ったら説教してやる」

「説教されるのはお兄さんの方だと思うけどねー」

「というか君はなんなんだよ。清宮さんの知り合いか」

「友達ってさっき言ったでしょ。記憶力悪いなー、お兄さん」

 今の若い奴は初対面の相手に喧嘩を吹っ掛けるのが流行っているのかと誠は思った。

「お兄さん見つかったから晴香に伝えとくねー」

「おい、やめろ」

「ごめーん。もう、送信しちゃった!」

 誠は溜息を吐く。

「お兄さんガッカリしすぎだから。可愛い女の子に追われるなんてご褒美だよ」

「俺にとっては罰ゲームなんだよ!」

「お兄さんツッコみ上手だね。お笑い芸人でもなれば〜」

「芸人なんかになったら早朝ドッキリとかされるだろうが。あんな迷惑なドッキリはない。よく芸人はあんなの受けて裁判沙汰にしないなっていつも感心しているが大変な仕事は却下だ」

 誠の話を聞いた金髪少女はお腹を抱えて笑いひとしきり笑い終えてから口を開く。

「お兄さんって変だね」

「変人に関わるなって大人に教わらなかったのか?」

「お兄さんは女の子に手を出す度胸なさそうだから大丈夫かなって」

「俺のこと舐めすぎだろ。俺は今のところ無害だが他のニートはわからん。無敵の人は怖いんだから気をつけろよな」

「お兄さん優しいねー」

「言うなら気持ちを込めて言えよ。なんだその棒読みは」

「でも優しいだけの人はモテないからお兄さんはなしかな」

「なんで告白してもないのに振られているんだよ。おかしいだろ」

「あはは、おもしろい」

「だから気持ちを込めろって言ってんだろうが。こんなの繰り返されたら傷つくわ」

「お兄さんメンタル弱いね。それじゃあ社会で通用しないよ」

「うるせえ! さっさとどっか行け!」

「荒れてるなぁ、お兄さんは」

 彼女はまだ暗い空を見上げてホッと一息吐く。

「君は俺のことを知っているようだが俺は君を知らない。それはフェアじゃない気がするんだが」

「あ、自己紹介してなかったね。私は野村のむら香菜子かなこ。高校一年生で晴香とは同じ学校のクラスメイトで友達なんだ!」

 元気一杯の自己紹介を聞いて、この子もニートから卒業させるために国から派遣されたのかと誠は疑う。

「せっかく自己紹介したのに反応なしって悲しいんだけど!」

 全然悲しそうな様子ではないので誠は放っておくことにする。

「もしかして君もなのか?」

 唐突に誠は質問する。彼女に考える時間を与えさせないように。

「え、何が?」

 夏菜子から返ってきたのはそんな戸惑いの声だった。

 彼女が惚けている可能性はあるがとりあえずは追求しないことにする。

「いや、なんでもない。忘れてくれ」

 国がやっていることだから関係ない人を巻き込むわけにはいかない。彼女が無関係で事情を知らされて口止めで殺されるなんてことはごめんだった。

 誠の顔を覗き込んで夏菜子は口を開く。

「お兄さんってなんで働かないの? 大人でしょ?」

「働きたくないからだ」

「直球だねー。でも働かないとお金貰えないじゃん。遊べないじゃん。つまらなくない?」

「遊ぶ相手なんていねえし、働くくらいなら遊ばなくても平気だ」

「へー、おかしな人。やっぱお兄さんヤバいね」

「だから、おかしな人とは関わらない方が良いってさっき忠告してやっただろ。わかったらどっか行ってくれ」

「それは無理なお願いだなぁ。これからお兄さんを晴香が来るまで見張っておかないといけないから」

 悪戯ぽく舌を出して言う夏菜子に誠は溜息を吐く。

「俺の睡眠を邪魔して何が楽しいんだよ。学生ならこんなところで道草食ってないで学校行けよ」

「今は夏休みでーす」

 社会のレールから外れて、終わらない夏休みを満喫している誠はそんな当たり前のことを忘れていた。

「あはは、お兄さん馬鹿だなぁ」

 夏菜子の嘲笑に誠は苦笑を返す。

「君よりは賢い自信があるけどな」

「年下の女の子にマウント取れて嬉しい?」

 夏菜子に真顔で聞かれて誠は黙ることしかできなかった。

「あ、来たみたいだね!」

 そう言って後ろを振り返る夏菜子。その先には少し疲れた様子の晴香が立っていた。

 晴香はゆっくりと誠たちの方にやってくる。

「いや、これは違くて。ランニングを終えた後の休憩というか」

「言い訳は結構です。早く家に戻りましょう。お説教はその後です。夏菜子、ありがとう」

 晴香は冷たくそう言ってすぐ背中を向けて来た道を戻ろうとする。

「あーあ、怒らせちゃった」

 誠の隣で苦笑しながら夏菜子が言った。


 家に帰ってきてすぐ居間で正座をさせられる誠。

「良いですか誠さん。貴方は社会的に変わらないといけない立場なのです。私から逃げていても意味がないのです。わかりますか?」

 誠はわざと首を傾げてみる。それを見た晴香はすぐに誠を睨みつける。怯んだ誠は言い訳を始める。

「働きアリの原則でサボるアリは必ず出てしまう。それは人間界でも同じことで俺のような人間が存在していても仕方がないことだ。だから俺を変えようとするのではなく俺のような人間とも共生できるような生き方を君が身につけることが大切だと思うんだが」

「屁理屈はやめてくださいって何度も言っているでしょ!」

 激怒する晴香を見て誠は頭を掻く。なんで自分が怒られないといけないのだと本気で思っている状態だ。

「明日からちゃんと早起きして朝食を取ってランニングをしましょう。それを繰り返して健康的なリズムを作っていきます。良いですね?」

 晴香は返事をしない誠をさらに睨む。彼女の睨みには凍りついてしまうほどの凄みがある。だが誠は冬眠が得意なのであまりダメージはない。

「そんなつまらない話よりあの金髪の子、野村さんだっけ? 友達なんだって。正直、意外だったよ。君に友達がいるなんてさ」

 友人関係では晴香は自分と同じ部類の人間だと誠は思っていた。

「朝から俺を探すのを手伝ってくれるなんて良い友達だな」

「話を逸らさないでください!」

「わかったよ、明日から早起きして朝飯を食べてランニングすれば良いんだろ」

 これで文句ないのかと言わんばかりに誠は晴香に言う。しかし、晴香の表情は硬い。

「……信用できません」

「え?」

「私は誠さんのことが信用できません! だから私がこの家に住んで一日中、誠さんを監視します!」

「はぁ? 意味がわからない。なんで君がこの家に住むんだよ。生活費が余計にかかるだろ!」

 晴香はこめかみを手で押さえる。

「真っ先に心配するのがそんなこととは。安心してください。私にかかる生活費は勿論、私が誠さんのお母様、聖子(せいこ)さんにお支払いしますので」

「俺が母親に渡しとくから俺に支払ってくれれば良いぞ」

「貴方のことが信用できないと言ったでしょ。これでも私、結構怒っていますからね」

「見ればわかるよ」

「そういうところも腹が立ちます!」

「そういうところって説明してくれないとわからない」

「誠さんの態度がですよ!」

「態度はこれまでの環境で生きてきた蓄積だから変えるのは難しいな。慣れてくれ」

「あまり言いたくはありませんでしたが誠さんってとてもムカつきます! 学生時代、ご友人ができなかったのも納得がいきました」

「自信をつけさせるべき人間がそんなこと言うなんて最低だな!」

「最低なのは誠さんの方です!」

 お互い視線をぶつけ合う。意地と意地を素直にぶつけ合うところは二人ともまだまだ子どもなのだ。

「一緒に住むからって変なことしないでくださいね」

「しねえよ!」

 一つ屋根の下に住むからって現実でラブコメ展開になるなどありえない。

「今日のようにはもう逃げられませんよ」

 ロックオンをしたと言わんばかりに晴香は言った。

「住み込みということはメイド服とか着てくれるの?」

 誠が言うと晴香は顔を赤くする。怒っているのと照れているのが混じっているような表情だ。

「着ませんよ!」

 晴香が強く否定すると誠は舌打ちをする。

「接客のバイトで舌打ちなんてしたらいけませんからね」

「そんなの常識だろ」

「そうですよね。それでは女の子にも舌打ちはやめましょうね」

 舌打ちくらいでうるさいなと思い誠はまた舌打ちをしそうになるが堪える。

「日々の生活からそういう悪い癖を直さないといざ働いた時に出てしまいますからね。これからは気をつけてください」

 親からの働けという圧力だけでも嫌なのに口うるさい女子高生まで一緒になったらさらに窮屈な生活になりそうだと誠は思った。


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