第3話
朝食を済ませた誠が二度寝をしようと部屋に戻ろうとすると晴香に声をかけられた。手には上下灰色のジャージを持っている。
「これからランニングに行きますよ」
「ランニング?」
久しく聞いていなかった単語だったからか誠は間抜けな反応をしてしまう。
「はい。ニート生活で誠さんの体は衰えているはずなのでランニングをして頂いて仕事ができるくらいの体力向上を目指します」
晴香は味を占めたようにニッコリと笑顔で言う。きっと誠が女の笑顔に弱いことを見抜いたのだろう。手強い相手だ。
「今日はいいよ。それに食べてからすぐに運動するのは良くない。午後に回そう」
誠の必殺技、先送りを発動するがそれを彼女は首を横に振って無効化する。
「ダメですよ。そうやって先送りしたってまた同じことを言われるに決まっています」
「君は俺の何を知っているんだよ!」
「関わっていればそれなりにわかりますよ」
晴香は言おうか迷った「駄目な人間ということは」という言葉は黙っておく。晴香は気遣いができて優しい女の子だった。
「あれだ。ランニングだけで痩せようとする人いるけどあれ意味ないからな。むしろ食欲が増して太る可能性まである。それに俺、痩せているし。ランニング必要ないし。だから二度寝するわ」
「仮にそうであっても誠さんはダイエット目的で走るわけではないので良いじゃないですか」
「屁理屈を言うな、小娘」
「屁理屈を言っているのは誠さんだと思いますけど」
誠は頭を掻く。なぜ彼女はここまで誠を働かせようとするのだろうか、それがどうしてもわからなかった。
「なあ、俺がニートであることで君に迷惑をかけるのか?」
ただニートが一人いるくらい、日本としては大して痛手がないように思える。誠以外にもニートは多くいるのだから晴香がニートから卒業させる役目だとしても一人くらい諦めても良いはずだ。他のニートに時間を割けば良い。
「……かかりますよ」
彼女は小声でそう言った。
「どんな迷惑だ?」
「とにかく! ランニングに行きましょう、ね」
誠の質問をかき消して弱々しい笑みで言う晴香。
それに疑問を持ちつつも誠は頷いてしまった。
*
午前十時、ジャージに着替えてランニングシューズなんて持っていないのでスタンスミスのスニーカーを履いて日差しの強い外に出る。太陽がこんなに照っている時間に外出するのは久しぶりだったので目が慣れない。
「いってらっしゃい」
晴香が外には出ず他人事のように言う。
誠は振り返って聞く。
「君は行かないのか?」
「私が走る必要はないので。私がいなくて寂しいとは思うかもしれませんが誠さん一人で頑張ってください」
「全然寂しくないから。むしろいなくて嬉しい。それに俺も走る必要がないと思うけどな」
まあ、見張りもいないなら途中でサボれるなと誠は思った。
「私がいないからってサボらないでくださいね」
心を見透かされたように釘を刺される。
「そ、そんなことしねえよ!」
「そうですか。それなら安心です。信じていますよ、誠さん」
ニコッと笑って言われてこれは呪いだと思う誠。
「ニートを信じられてもな」
誠はそう呟いてから苦笑する。納得はできないし、したくない。だけど彼女は本気で自分を変えようとしているのは伝わっている。認めたくはないけど。
その場で誠は軽く準備運動をする。それを終えてから言う。
「じゃあ走ってくる」
「気をつけて」
まるで異世界でヒロインにチヤホヤされて魔王討伐を目指す冒険者になった気分だ。悪くない。こうやって送り出されることだけは良いなと誠は思った。
「それでは行ってくる」
「早く行ってください」
誠がしつこく気をつけての声掛けのおかわりを希望したが駄目だった。
「もし、ランニングに行ってお金持ちのお嬢様に結婚を申し込まれたらどうする?」
「常識のある女性ならジャージ姿の男性にいきなり結婚は申し込まないでしょう」
晴香は誠がした馬鹿な質問に的確に答える。
「ランニングに行った後、事故ったらどうする?」
「事故は事故ですよ。仕方がないです」
あっさりと言ってから馬鹿な質問ばかりする誠に晴香は溜息を吐く。
「さっさと行ってきてください。やることはまだまだ沢山ありますから」
聞き捨てならないことを聞いた誠は眉を顰める。
「やることまだまだあるのかよ」
しまったという顔をしてからすぐに真顔を作る晴香。だけどニート相手にはポーカーフェイスが大切だと教わっているので狼狽えてはいけない。
「ええ、あります」
すぐに切り替えて誠に真実を伝える晴香。
「言わなきゃ良かったと思っているだろ?」
「思っていません」
「いいや、絶対思っているね。顔にそう書いてあった。強がるなよ、人間なら失敗はするものだ。気にするな」
「……」
晴香は無言で誠のことを睨む。
「いや、睨まれても困る」
「とりあえず駄々をこねないでさっさと走ってきてください」
「子ども扱いするな!」
「子どもよりも誠さんの方がタチ悪いですよ」
これ以上、晴香に何を言っても無駄だと分かった誠は走り出す。
適当に近くを走ってすぐ休憩しよう。
誠の頭はそんなことしか考えていなかった。
「頑張ってくださいね」
そんな誠に晴香は声援を送った。
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