第2話

 洗顔を終え、居間に行くと仕事に出かけようとしていた母親が目を丸くして誠を見る。息子相手だというのにお化けでも見たような目だった。

「アンタどうしたの?」

 母親が悪い物でも食べたか心配するように聞いてくる。賞味期限切れを許さなかったり、生ものすらあまり食べない誠がそんなものを食べるはずがない。

「どうしたも何も意味のわからない女子高生に無理矢理起こされたんだよ」

「ああ、晴香ちゃんか」

 誠が早起きできた理由を聞き母親が笑う。苦手な朝に叩き起こされた誠にとっては笑いごとではない。

「知っているのかよ」

「あの子、良い子よね。娘にしたいくらい」

「まんまと騙されているじゃねえか!」

 母親が懐柔されているとわかり誠は舌打ちする。すぐ親は結婚相手を探そうとする。マジでやめて欲しいと誠は思う。

「でも、アンタが早起きできたのはあの子のおかげでしょ」

「それはそうだけど……」

 釈然としないがその通りなので俺は頷く。

「ちゃんと晴香ちゃんに感謝しないとダメよ。あ、私もう仕事行くから」

 時計を見て慌てて家を飛び出す母親を見送って社会人って大変だなと誠は思う。欠勤は勿論、遅刻すらも許されないなんてまるで会社に生かされているようだ。絶対なりたくない。永遠のニートでいたいと誠は思った。

 母親が消えて家には誠と晴香の二人きりとなる。ちなみに父親は母親よりも先に家を出た。両親が共働きのおかげで誠には自由があるのでその点は感謝している。

「座っていて良いですよ」

 キッチンに立つ晴香は持参してきた花柄のエプロンをしておろした髪を黒ゴムでポニーテールに結う。その流れるような慣れた仕草が美しく誠は見惚れる。

「どうかされましたか?」

 小首を傾げて聞かれるので誠は慌てて目を逸らして言う。

「な、なんでもない」

「そうですか」

 特に気にしていない様子の晴香は準備を続ける。

 何もすることのない誠は晴香に言われたように座布団へ腰をおろす。

「朝食はいつぶりですか?」

 フライパンにベーコンを敷きながら晴香は聞く。ジューっとベーコンを焼いている音が鳴っている。

「大学に通っていた頃だから二ヶ月前くらいかな」

 確かあの時は大学の一限前に大学近くのコンビニで買ったサンドイッチと紙パックのカフェオレを食べた。あの時は社会のレールから外れていない、大学生をしていたなと誠は懐かしい気持ちになる。学生証は便利だったなと誠はしみじみと思った。

「健康のためにも朝食は毎日食べないとダメですよ」

 最近の研究では朝食を毎日摂るのはあまり良くないのだと誠は内心思ったが口にはしない。適当に返事をする。

「はいはい」

 誠は知識量だけは並の人間より多かった。失言も多いが。

「誠さんの為を思って言っているのに。明日からもちゃんと早起きしてくださいね」

「朝食を毎日作ってくれるなら考えなくはないな」

「なんで上から目線なのですか、まったく」

 慣れた手つきで卵を片手で割りフライパンに落とす。

 どうやらベーコンエッグを作ってくれるようだ。

 卵が良い感じの硬さになるまでサラダやらパンの準備をする晴香を見て誠は言う。

「慣れているな。家でもやっているのか?」

「はい。……一人暮らしなのでやらないといけないと言う方が正確です」

「ほーん、自立しているなぁ」

 高校生なのに偉いなと思いつつ、誠はスマホを開きアプリゲームのログインボーナスの受け取りを済ます。確定ガチャチケットまではまだログイン日数が必要なようだ。

「私を見習って誠さんも自立してください」

「いつかはな」

 誠にとっては『いつか』を先延ばししているのが『今』だ。そんな奴の『いつか』がいつ来るのかは隕石がいつ地球に落ちてくるか並みにわからない。もしかしたら隕石の方が先に地球に落ちてくるかもしれない。もし、そうなら誠は働かずに死ねるという訳だ。働いていても隕石相手には敵わないのだからそれも悪くないなと思う。

「後々苦しくなるので早く自立しましょう」

 ベーコンエッグの皿の脇にちょっとしたサラダをのせてサラリと厳しいことを晴香は言う。

「そのうちね」

 寝転ってスマホを弄りながら誠は適当に答えた。

「できましたよ」

 ダラダラとスマホを見ていた誠にそう言って晴香が料理を運んでくる。誠は座卓に並べられた料理を覗き込む。パンにペーコンエッグ、サラダのザ・朝食と言ったメニュー。コーヒーまで淹れてくれている。見た目は美味しそうだが誠の口に合うかどうかは別問題である。

 まずはベーコエッグのたまごを箸で割る。黄身が川の流れのように白身の方へと流れていく。

 たまごの半熟加減は完璧と言って良いだろう。

 黄身を絡めた白身を口に運ぶ。続けてベーコンも食べてみる。カリッと良い音が鳴った。

「……うまい」

 認めたくはなかったが美味いものは美味いので悔しいが認めるしかない。

「良かったです」

 晴香は当たり前と言わんばかりに喜びもせず淡々と言う。

「まだベーコンエッグだけだ。他は不味いかもしれない」

 なぜか誠は辛口審査委員の気持ちで朝食を食べている。

「普通に味わって食べてください。私自身、誰かにこうやってご飯を作ったのは初めてなのですから」

「そんなこと言って他の奴にも作っているだろ?」

 仮に晴香が他の人に朝食を作っていようが誠には関係ないのだが追求するくらいに誠の器は小さかった。

 エプロンを外しながら晴香は溜息を吐く。

「少しは私のことを信用してくれても良いのではないですか? 本当に誠さんが初めてですよ」

 上目遣いで言われて誠はドキッとする。

 誠は人を信用するのが苦手だった。信用することは相手に委ねているのと同義だと考えているからだ。傷つくのは怖いし、相手の気持ちが見えない事実はもっと怖い。だから彼は人間関係を放棄して生きてきたのだ。その方が楽で生きやすいから、生きていけるから。誠は人を信用しないことを選び続けていた。

「いきなり完全に信用しろとは言いません。だから少しずつでも良いから私を信用してみましょう。私が駄目なら他の人でも良いです。それが誠さんのニートから卒業する第一歩だと思いますので」

 年下の子に優しい声音で言われて妙に恥ずかしく思う。恥ずかしさからか誠は食べるペースをあげてさっさと完食してしまう。

「ご馳走様!」

「もう、味わって食べてくださいって言ったじゃないですか。でも、お粗末さまです。美味しかったですか?」

「……まあまあ」

「素直じゃないですね」

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